7-2

「かくして、ブギーマンはこの地に完全なる復活を果たしました」


 そう言うと、年若い女性は穏やかに微笑んだ。


「はぁ……」


 ほしあおいには困惑の表情を作ることしかできなかった。


「蒼き死の病と共に顕現した人殺しの王に逆らっても意味はないのです」


 葵の困惑を無視するかのように女性は言葉を続ける。


「何しろ、王は私達ヒトを殺すためだけに存在するのですから」


 女性はそこで言葉を切ると紅茶を一口すすった。


 ノートパソコンのキーボードの上で葵の指は凍りついたように止まっている。

 とっくの前にメモを取る気分ではなくなっていた。


 場所は勤め先の出版社から徒歩数分のカフェ。その貸し会議室。

 葵は自身が編集とライターを担当する大衆娯楽誌に掲載する特集記事の取材中だった。


 特集記事のタイトルは「ブギーマン・リザレクション 鮮血の花嫁の伝説」。

 巷を騒がす猟奇連続殺人事件と、殺人鬼にまつわる都市伝説を組み合わせた、全く新しい切り口の記事になる予定だった。


 葵の対面で微笑みを浮かべる年若い女性の名前は翠川みどりかわ絵梨花えりか

 猟奇連続殺人事件の最初の被害者である天川あまかわミチルが所属していた都市伝説研究サークルのメンバーだ。


 都市伝説――特にブギーマンについて詳しい人物だと職場の後輩から紹介を受けて取材を申し込んだ。

 翠川は美しいと表現しても差し支えのない容姿の女性だった。あのうだつの上がらない後輩がどのような経緯で彼女と知り合ったのか興味のつきないところだったが、今は仕事中だ。個人的な好奇心はひとまず脇に置いておくべきだろうと葵は判断した。


「ブギーマンの啓示は今後も続くでしょう」


 啓示が続く? 殺人事件はまだ終わらない、とでも言いたいのだろうか。


 葵には翠川の発言の意図するところが全く理解できなかった。

 まるで、神官か巫女の宣託のように曖昧で不明瞭な言葉の数々。

 その整った容姿と相まって、ある種の神秘的オーラを纏ってるようにすら感じられる。

 葵はそれを悪い兆候として捉え、頭の中で警戒音を鳴らした。

 

「ブギーマンこそが唯一の崇拝対象足り得るのです」


 話の雲行きは怪しくなる一方だ。

 葵の警戒心はどこ吹く風と、翠川は白く長い指でティーカップの縁をなぞっている。

 その指先は翠川とは別個の生き物のように見えた。


「あなたも、私達と一緒にブギーマンを崇めましょう。そうすれば、もう何も心配することはありません」


 この女を自分に紹介した後輩は一体何を考えているんだ。

 どうして、仕事中に取材対象から宗教の勧誘を受けなくてはならないのか。

 会社に戻ったら絶対に文句を言ってやる。蹴りの一発もくれてやらなければ気が済まない。


「やがて、全てのヒトに等しく安寧がもたらされることでしょう。大丈夫です。ブギーマンはナイフの達人です。痛みは一切ありません。ただ、おとなしく身を委ねればいいのです。そうすることによって、私達は王からより素晴らしい死を賜ることができるのです」

「ブギーマンに、身を委ねる……」


 まさか、目の前の女は、連続殺人犯に進んで命を差し出すつもりなのだろうか。

 猟奇的な事件の犯人がカリスマ性を発揮し人心を掌握する事例は過去に幾つもあった。そのことが被害を拡大させた事例も探せば無数にある。

 回りくどい自殺願望の発露のようにも見える。とてもじゃないが、正気の沙汰とは思えなかった。

 陶酔した表情で妄言を吐き続ける女とこれ以上話を続ける気にはなれない。


 葵が席を立つ言い訳を考え始めたそのとき。


「よろしければ、星さんも私達の集会に参加しませんか?」


 翠川がそう提案してきた。


 集会……?

 あまり気が乗らない話ではあった。翠川の言いなりになるようで癪だし、それでなくとも、カルトに関わるのは危険すぎる。


 しかし——―。


 今回の特集には編集長も期待を寄せていた。

 良い記事が書けたら、何かしらのインセンティブがあるかもしれない。冬のボーナスの査定期間もとっくの前に始まっている。そろそろ上司に対して自分の仕事っぷりをアピールする必要があった。


 都市伝説の殺人鬼を崇拝するカルトへの突撃取材。

 特集の中核を成す記事としてはまずまずお誂え向けといえるのではないか。

 この機会を利用して良い記事をものすれば編集長もきっと満足してくれるだろう。


 妹の養育費と学費の問題もある。大学に進学するための費用を自分で賄えるならそれに越したことはない。

 可能ならば、裏切り者の両親に頭を下げるようなことはしたくなかった。

 葵にとって、親から妹の高校進学の費用を出してもらったことですら業腹なのだから。

 妹に関する全てのことを自分で管理したい。葵は常々そう考えていた。


「星さん。どうなさいますか?」


 翠川がユメを見るような表情かおを向けてくる。

 それは、なくてもいいモノをる幻視者のかおだった。

 葵にとって、馴染み深い貌。彼女の人生に付いて回る影のように昏い貌――。


「私は……」


 何はともあれ食い扶持を今まで以上に稼ぐ必要はある。

 物価や光熱費だって高くなる一方なのだから。


 葵は顔面に精一杯の愛想笑いを貼り付けると、翠川の申し出を受け入れる旨を伝えた。

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