6-5
また、夢を見た。
それは、まだ
宙樹は自分が夢を見ていることを理解している。
夢だと理解している夢の中で宙樹は泣いていた。
小さな体を震わせて、大きな声で泣いていた。
何がそんなに悲しかったのか。今となってはもう思い出せない。
いや、違う。悲しいことが沢山あり過ぎて、泣いている理由を特定することが出来ないのだ。
母親はとっくの前に死んでいた。宙樹が彼女の死を願ったから。少なくとも、宙樹はそう考えていた。
父親も母親の後を追うように死んだ。母親の死を願った罰だ。少なくとも、宙樹はそう考えていた。
もう、家族はいない。
宙樹の面倒を見ることになった遠縁の親戚は、決して悪い人間ではなかったが、あまり子供のことが好きではないようだった。
アパートの開け放たれた窓縁に腰をかけては、遠くの景色をぼんやり見つめながら、ずっと煙草を吸っているような人だった。
彼女が自分から宙樹に話しかけることは少なかった。あったとしても酷く事務的で簡素な言葉のやり取りだけだった。
宙樹は与えられた玩具や絵本でひとり遊びをしながら、この無口な女性の表情を横目で観察した。
紫煙を燻らせながら窓の外を眺めるときの魂が抜けたようなぼんやりとした表情。それが少しだけ父親のことを思い出させ、宙樹は鼻の奥がツンと痛むのを感じた。
『父親と母親が死ぬ原因を作ったのはお前だろ? 自分に悲しむ権利があると思うな』
夢の中だというのに、虫の羽音を思わせるあの不快な声が聞こえた。
アレは宙樹の頭にぽっかりと口を空けた虚の向こうから響く声だ。
宙樹が宙樹である以上、どこへ行っても追いかけてくる。
『忘れるな。お前がおれを呼んだ。これはその結果だ。全てお前のせいだ』
声が宙樹を苛む。
『お前は人殺しだ。お前が生き続ける限りおれが消えることはない。お前のせいでヒトが死に続ける』
声が宙樹の罪を責めたてる。
『見てみろ。世界中が死の気配に覆われていく。もう、誰にも止めることは出来ない』
声が宙樹を嘲笑う。
『まぁ、お前が死ねばどうにかなるかもしれないが』
――ナイフを。
夢の中で宙樹はもがく。気がつくと、彼の手足はすっかり伸びて、黒いセルフレームの眼鏡をかけた
――早く、ナイフ……を!
液体のようにまとわりつく闇の中で、手足をばたつかせながら悪鬼を退けるためのお守りを探すが、どこにも見当たらない。
――おれのナイフを……!!
宙樹は粘性の闇の中で、カッターの刃が肌を滑る感触を思い出す。
肉を断ち、血管を裂き、赤黒い液体の溢れる感触を思い出す。
この痛みだけが自分の正気を保ってくれる。
この痛みだけがアイツから自分を解放してくれる……。
『何度も言ってるだろ。そんなことをしても無駄だ。ナイフがおれの象徴であることを忘れたのか?』
声がまた宙樹を嘲笑う。
耳を塞ぎ不愉快なノイズを閉め出そうとするが、音は彼の中で無限に反響を繰り返す。
冷たい闇が宙樹の肺に侵入する。自由に呼吸をすることが出来ない。
『お前は愚かだ』
呆れたような声だった。憐れみすら感じさせる声だった。
それが宙樹の魂を磨り減らしていく。少しずつ、けれど確実に。
いっそ、死んでしまおうか。そんな考えが頭の片隅に浮かび上がる。
楽になりたくて過去に何度も自死を試そうとした。結局、死ぬことは出来なかったけれど……。
自死をやり遂げるには少年はあまりに臆病だったから。
闇の中に宙樹を嘲る大きな声が響き渡る。臆病者を嘲笑する声が響き渡る。
ナイフは……。おれのナイフは、どこ……?
愛用のシーツを失った子供のように宙樹はたどたどしくあたりを手探りする。
けれども、彼のお守りは見つからない。永遠に失われたままだ。
『どうした? もう終わりなのか?』
このまま、アイツに自分の魂が砕け散るまで攻め苛まれるのかもしれない……。そんな考えに捕らわれる。
これが夢だと理解しているのにもう二度とこの悪夢から目覚めることはない。そんな思いに捕らわれる。
あきらめが甘い倦怠感になって宙樹の心を呑み込もうとしたその時だ。
『先輩』
どこからか、鈴の鳴るような声が聞こえた。
ついさっき聞いたはずなのに、今となっては酷く懐かしく感じる声だった。
『宙樹先輩』
――ああ、この声は……。
宙樹は声のする方に手を伸ばす。
昏く冷たい闇の底で、暖かな声のする方に手を伸ばす。
『先輩、起きて。駅に着いたよ』
宙樹の頭上で光が急速に膨れ上がる。降り注ぐ白い奔流が少年の意識を呑み込んだ――。
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