6.ピクニックに行こう

6-1

 刑事達は屋上に出ていた。前野まえのが見学をしたいと言ったからだ。

 鍵は職員室で借りてきた。教師達はふたりの刑事にさしたる関心を示さなかった。

 間近に迫った期末考査の準備で闖入者達の相手をしている暇はないようだ。


 屋上に珍しい物は何もなかった。開けた空間があるだけだ。

 人間が身を潜めるスペースはない。この場所を犯罪者が活動拠点に使うのは噂話でも無理がある。普通に考えれば分かることだった。

 もっとも、それはブギーマンが常識の通用する人間だったらの話だが。


 太陽が落ちるまでまだ時間があった。遮蔽物のない空間を日の光が燦々と照らしている。少し暑いくらいだった。

 屋上を風が吹き抜けていく。湿り気のある生暖かい風は梅雨の訪れを予感させた。


 二人の刑事はスーツのジャケットを脱いで脇に抱えていた。

 クールビズの移行期間だが明日からもう夏の格好でいいだろ。大迫おおさこはハンカチで汗をぬぐいながら思う。


 若い刑事は屋上のフェンス越しに此乃町このちょうを見おろす。都亜留とある高校は周囲の土地よりも少し高い所にあって、四階建ての屋上からの眺望はなかなか壮観だった。


 この町で連続殺人事件が起きている。その犯人は都市伝説の殺人鬼だと囁かれている。

 馬鹿馬鹿しい話だったが、現状、容疑者すら絞り込めなていない。警察が足踏みをしている間に犯人は凶行を重ねていた。大迫はその事に忸怩たる思いを抱く。


 気が付くと大きな溜め息をついていた。身体的なものよりも精神的な疲労が溜まっているのかもしれない。


 遅々として進まない捜査に加え新型ウイルスの心配もある。マニュアルに従い対策しているが罹患のリスクは常につきまとう。その事に言いようのない息苦しさを覚える。

 

 犯罪、疫病、事故、自殺、戦争……。

 世界中に死が遍在している。まるで空気のように……。大迫はこの仕事に就いてからそう考えることが増えた。


「おい」


 前野の呼ぶ声に大迫の思考が中断された。


「これを見てみろ」


 先輩刑事が手にしているのはありふれたパック飲料のカラだった。


「どうしたんですか、それ?」

「拾ったんだよ。ここで昼飯を食ってるヤツがいるみたいだな」


 前野の言葉に大迫は首をかしげる。


「生徒たちは気味悪がって屋上に近付かないのでは?」


 そんな話を職員室の教師から聞いたばかりだった。


「どんな場所にも物怖じとは縁のない人間はいるんだよ」


 大迫は「前野さんのように?」と言葉にしかけたが、すんでのところで口をつぐんだ。大人げない当て擦りを控える程度の分別はあった。


「これといった収穫はありませんでしたね……」


 大迫には都亜留高校への訪問が無駄足としか思えなかった。


「ふむん……」


 後輩の言葉に前野が考え込むような顔をする。


 先輩刑事はこの訪問から何か事件解決のヒントを得たのだろう? 大迫にはよく分からなかった。


 前野は冬眠から目覚めた熊が餌を求めてさ迷うように屋上をうろつき始める。


 一体、彼は何を探しているのだろう。

 屋上をくまなく探せば、ブギーマンに逢えるとでも考えているのだろうか?


 そう言えば……。

 大迫はブギーマンに関する情報で伝え忘れているものがあるのを思い出した。

 

「前野さん」

「何だ?」

「ブギーマンの件でおかしな話がありました」


 遺留品を求めて地面と睨み合いをしていた前野が顔をあげる。


「都市伝説――特にブギーマンのマニアの中に妙なことをしている人達がいます」

「妙なこと?」

「はい。ブギーマンをある種の『神』のように崇めるカルト的な集団を作っている人たちです。あまりにも馬鹿げた話なので、今まで忘れていましたが」

「カルトねぇ……」


 前野が難しい顔でつぶやく。


 その時だ。

 校庭を人影がよぎった。学ランを着た男子生徒のようだ。校内に生徒は残っていないはずだったが……。


 まさか幽霊? 大迫の頭に突拍子もない考えが浮かぶ。都市伝説の殺人鬼の目撃談がある学校だ。幽霊ぐらい現れてもおかしくない……。大迫はそこまで考えて我に返った。馬鹿げた空想だ。これじゃ生徒たちと何も変わらない……。


「期待してたんだがな……」

「何の話ですか?」

「妹だよ。ほしあおいの。公園の死体の第一発見者。姉は自分にアポを入れろと言ってたが、会ったなら文句を言われないだろうと思ったんだがなぁ……」


 前野が残念そうに言った。



 ※



 目が覚めると既に下校時間は過ぎていた。

 宙樹ひろきは養護教諭の葉原にベッドを借りた礼を言うと慌てて保健室を飛び出した。


 教室に戻り鞄を回収する。鍵は開いていた。多分、担任が閉め忘れたのだろう。この学校は全体的にセキュリティ意識の低いところがあった。

 そのおかけで職員室まで鍵を借りにいく手間が省けたわけだが。


 さて、スーパーに寄って買い物でもして帰ろう。宙樹がそう思ったときだ。

 鞄の中に入れっぱなしだったスマホが着信音を鳴らした。


 誰だろう……?

 宙樹の番号を知っている人間は少ない。

 確認すると後輩のほし美朱みあかからだった。


「はい、空嶋からしまです」

「あっ、宙樹先輩? 今、少し大丈夫かな……?」

「大丈夫ですよ。何かあったんですか?」

「うーん、これといった用事はないんだけど、今日は短縮授業でお昼がなかったでしょ? ちょっと先輩の声を聞いておきたかったんだ」

「な、何ですか、それは……」


 宙樹は後輩の言葉に思わず動揺する。

 それってまるで……。


「ルーティーンってあるでしょ? 毎日、同じことしなきゃ落ち着かないというか」

「はぁ、そうですか……」

「先輩、がっかりしてる?」

「どうして、おれががっかりしないといけないんですかねぇ!?」

「急にキレないでよ。カルシウム足りてないんじゃない? あと、その……昨日の件もあるし……」


 後輩の声が沈む。


「あの後、警察から何か聞かれましたか?」

「聞かれてないよ。昨日の今日だもん。警察も忙しいんじゃない? 先輩の方は……?」

「おれの方も特には」

「そっか……。それとさ、お姉ちゃんが……何か、ごめんね……」

「大丈夫です。気にしてませんよ。それにあの状況です。お姉さんが神経質になるのも分かります」

「そうだね……。お姉ちゃんは、いつも私のことを第一に考えてくれるから……」


 後輩の声に明るさが戻り宙樹は胸を撫で下ろす。


「ねぇ、先輩。明日って予定あったりする?」

「特にありませんよ」


 明日は土曜日で学校は休みだ。予定といえば、平日に出来ない水回りの掃除をすることぐらいだった。


「だったら、少し遠出して遊びに行かない? 一時期、日本でも都市封鎖の噂とかもあったでしょ? 大丈夫だとは思うけど、もしそうなったら、どこにも行けなくなるからさ。念のため、今のうちに楽しい思い出を作っておきたいなって。……駄目、かな?」

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