6-2

 宙樹ひろき駅前の広場に置かれたベンチで道行く人々の姿をぼんやりと眺めていた。

 土曜日の朝九時前だったが、それを差し引いても、平時よりも人が少なく感じられた。

 自粛傾向が続いているのだろうか? K県は他県よりも新型ウイルスの罹患者数が多いわけではなかった筈だが……。


「宙樹先輩、おはよ!」


 聞き馴れた後輩の声が耳に飛び込んできた。

 その声は暗くなりかけていた宙樹の心を明るく照らすようだった。


ほしさん、おはようございます」

「待った?」

「それほどでも」

「そうなの? 先輩のことだから、昔の漫画みたく一時間ぐらい前に来てるかと思った」

「それはさすがにベタ過ぎますよ」


 美朱みあかの言葉に宙樹は苦笑いを浮かべる。


「あ、そうだ。お弁当は?」

「ちゃんと作ってきましたよ」


 弁当箱の入った大きな紙袋を見せる。


「やったー! 先輩のお弁当、一度ちゃんと食べてみたかったんだよね!」


 昨日の放課後、宙樹は目の前で喜びの声を上げる後輩に「遊びに行かない?」と誘われた。


 都市封鎖が本当に実行された場合、市民の移動が制限され、自由に遠出ができなくなる。

 そうなる前に楽しい思い出を作りたいから協力して欲しい。そう後輩の少女に頼まれたのだ。


 宙樹は少し戸惑ったが後輩の申し出を快諾した。すると、彼女はおずおずと「もうひとつお願いがある」と言ってきた。それは「宙樹の手作りのお弁当を食べたい」というものだった。


「本当に中身はおまかせで良かったんですか?」

「大丈夫! 先輩のこと信じてるから!」


 美朱が力強く言い放つ。

 何であんたが自信満々なんですか、と内心で呆れたが宙樹は何も言わないでおいた。


「先輩、その服似合ってるね!」


 ジロジロと宙樹を見つめながら、美朱が言う。


「な、何ですか急に。別に普通の格好ですよ……」


 そう言う宙樹の服装は、プレーンな長袖の白シャツに黒い細身のデニム、ブルーのハイテクスニーカーと斜めがけにした黒いサコッシュという特徴のないものだ。宙樹は服装で悪目立ちするのを嫌っていた。空気のように周囲に溶け込む格好が好きだった。


「そういう、一見当たり障りのないヤツが実は一番難易度が高いんだよ」

「そうなんですか? あ、星さんもその服よく似合ってますよ」

  

 美朱の服装は、ふんわりとした青いチェックのワンピースに白いカーディガンとベージュのスニーカー、手には革製のハンドバッグを持っていた。女性のファッションに疎い宙樹から見ても素直に可愛いと思えた。


「あはは、何それ。取って付けた感じだけど褒めてもらえると嬉しいな。ありがとう」


 宙樹の賛辞に美朱がはにかむ。まるで花のような笑顔だ。

 その表情を見て宙樹は自分の心拍数が上がるのを感じる。


「そ、それじゃ、行きましょうか!」

「うん!」


 ふたりは海を見に行くつもりだった。

 K県は四方を山に囲まれており海がなかった。隣県まで遠出をする必要がある。電車を乗り継いで片道二時間弱の道程だ。着くのは昼前になる。


 海岸で宙樹の作った弁当を食べる予定だ。

 その後は特に考えてない。一応、観光地なのでそのへんを散策するのもいいだろう。


 ふたりは改札を潜り電車に乗る。


 車内はガラ空きだった。少ない乗車客は皆マスクをしていた。これなら自分が着ける必要もないだろう。宙樹はそう考えマスクを外し、サコッシュにしまった。


 隣にちょこんと座った後輩はマスクをしていなかった。一瞬、そのことを指摘しようと思ったが、どうせ「同調圧力に負けたくない」とか、よく分からない説明をされて終わりだろう。宙樹は敢えてのスルーを選択した。


 仮に自分が学校でマスクを外してすごしたらどうなるだろう? 多分、空気人間のおれがマスクを外したところで誰も気にすることはないだろう。


「どうしたの? ぼんやりして」

「世界平和について考えていました。また、他所の国で戦争が始まったでしょ?」

「嘘がバレバレだよ。先輩、そういうこと考えるタイプじゃないでしょ」


 後輩の言葉に宙樹はひょいと肩をすくめる。


「もう、何それ。お菓子あげないよ」


 美朱がバッグから取り出したものを見せてくる。

 それはチョコミント味のポッキーだった。


「すみません。その歯みがき粉みたいな味の物質はNGで……」

「ひどーい! チョコミント美味しいのに」


 美朱がムスっとした表情で言う。


「先輩はわがままだなぁ。じゃ、これ」


 今度はブルーベリーのガムを差し出してきた。


「いただきます」


 ガムは嫌いではない。今度は素直に施しを受けた。

 美朱はお菓子を食べ終えると、スマホを取り出して何かを入力していく。

 友達とLINEでもしているのだろう。

 宙樹もスマホを取り出して適当に眺める。インターネットには気の滅入るようなニュースが氾濫していた。

 流行り病の蔓延に凶悪犯罪の横行、政治家の不祥事、テロに戦争……。嫌になって来る。


「先輩」


 気付くと後輩の顔が至近距離にあった。鼻と鼻が触れそうだ。

 黒目がちの大きな瞳が宙樹を真っ直ぐ見つめている。


「うわわわわわわわっ!!」

「ちょっ、先輩、声が大きいから……!」


 他の乗客たちが宙樹に非難するような視線を送って来た。


「どうしたの? またムズカシイ顔してたよ」

「……す、すみません。」

「すぐに謝るのやめよう」

「はい」


 宙樹の返事にとりあえず満足したのか、美朱が笑顔を見せた。

 それがやけに眩しく感じられて、宙樹はまたぞろ自分の胸の鼓動が高まるのを感じた。

 

「あ、そろそろ乗り換えだ」

「そ、そうですね」


 ほどなくして、目的の駅に着いた。

 この駅でローカル線に乗り換える。そこから、さらに一時間ほどの旅だ。


「先輩、お腹減った。もう、ここでお弁当食べちゃおう」


 美朱が座席に腰をおろすなり言う。


「さっきお菓子を食べたばかりでしょ」

「アレだけじゃ足りないよー!」

「空腹は最良のスパイスですよ。お昼まで我慢してください」


 美朱が不満そうな表情でうめく。宙樹は無視することにした。

 空腹をまぎらわすためか、美朱が猛然とスマホに何かを入力していく。鬼気迫る表情だ。


 ふたりの間に会話はなくなったが息苦しい沈黙ではない。宙樹もスマホで電子書籍の小説を読み始めた。


 のんびりとした時間が過ぎていく。

 そうこうしているうちに車内アナウンスが目的地に到着したことを告げた。

 

 ふたりはホームに降り、改札口を抜ける。


 目の前に海が見えた。

 太陽の光を海面が反射してまるで星屑を散りばめたようにキラキラと輝いている。

 

「宙樹先輩、早く行こう!」


 美朱が駆ける。


「あっ、ちょっと待ってくださいよ!」


 宙樹がそれを追う。

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