5-5

 会計を済ませ蕎麦屋を出た前野まえの大迫おおさこは、都亜留とある高校に向かっていた。


 商店街から目的地までは二十分ほどで到着する。腹ごなしにはお誂え向きの運動だが、大迫はいささか困惑していた。先輩刑事の提案があまりに唐突だったからだ。


「……本当にこれから行くんですか?」

「もちろん」


 大迫が確認すると前野はあっさりと答えた。

 後輩刑事には肩をすくめることぐらいしかできなかった。


 しばらく歩くと都亜留の校門が見えた。

 学舎の入り口は固く閉ざされているようだ。

 当然だが手元に令状はない。任意捜査になる。学校側に協力を拒否されたら大迫たちは引き下がるしかない。


 一先ず先方の反応を見るか……。そう考えた大迫が校門のインターフォンを押そうとすると、前野がそれを手で制した。


「ちょっと待ってな」


 前野はそう言うと門扉の隙間に指を差し込んでと掴む。


「ちょっ、前野さん!?」


 面食らった大迫の声を無視して前野が門扉を引く。

 すると、思いの外軽い音をたてながら、校門が開け放たれていくではないか。

 

「……」

「おいおい、そんな顔するなよ。開くようになってたんなら問題ないだろ?」

「……どうしてロックが外れているのを知っていたんですか?」

「この学校はセキュリティ意識が少し低いんだよ。が教えてくれたのさ」

「なるほど……」

「まぁ、そうそう毎日鍵をかけ忘れてるワケでもないらしいがなー。今日は運がいい!」


 前野が飄々とした調子で言い放つ。

 ふたりは校門を潜り学校の敷地内に足を踏み入れる。

 

「……閉めておいた方がいいですよね、これ」

「あー、そうだな。大迫、よろしく頼むわ」


 前野は軽い調子で言うとさっさと校舎の方へ歩いていく。

 置いていかれたらたまったものではない。門扉を閉じた大迫が急いで前野を追う。


 その時だ。

 大迫は校舎の窓越しにマスクをつけた白衣姿の女性が自分たちを見ていることに気付いた。

 女性の傍にベッドが見えた。保健室の養護教諭だろうか?


「前野さん」

「ん? ああ、そうね」


 大迫は先輩刑事をうながすと自分もスーツのポケットからマスクを取り出した。

 上からの指示で捜査を行うときはマスクの着用が義務になっていた。


 前野が白衣の女性に会釈をする。

 女性が訝しげな顔で、窓越しに会釈を返す。


 前野は警察手帳を取り出すとそれを女性に向かってかざした。

 女性の目が大きく見開く。彼女は窓を開くと刑事たちに手招きする。


「はじめまして。私はK県警捜査一課の前野と申すものです」

「同じくK県警捜査一課所属の大迫です」


 刑事達から自己紹介を受けて白衣の女性は困惑した表情を浮かべる。

 窓越しでは気付かなかったが彼女は細いフレームの丸眼鏡をかけていた。


葉原はばらです。この学校で養護教諭を務めています。刑事さん達が一体どのようなご用件で?」

「すみませんね、突然。今日は、こちらで少しお話を聞きたくて伺わせていただきました」

「あの、校門は閉じてませんでしたか……?」

「校門ですか? ああ、開いてましたよ。なので、勝手に上がらせてもらった次第です」

「担当の先生が閉じ忘れたのかしら。お恥ずかしい……」

「気を付けた方がいいですね。最近、物騒な事件も多いし」


 前野の言葉に葉原の表情が僅かに翳る。


「物騒な事件と言えば、つい先日学校の近くで女性の死体が発見されましたよね?」

「……!」


 葉原の表情に緊張が走った。

 都亜留の生徒が第一発見者であることは彼女も把握しているはずだ。

 この反応は当然のものだった。


「生徒の皆さんに迷惑をかける気はありません」


 少しでも警戒を弛めるために大迫がフォローを入れる。

 自分達はある意味『悪い刑事と良い刑事』だなと、大迫は自嘲気味に思う。


「そういえば生徒さん達の姿が見当たりませんなぁ」


 前野が辺りをわざとらしく見まわしながら葉原に聞く。


「……今は短縮授業期間です。期末考査も近いので部活動も休止中なんです」

「ふむん……。つかぬことをお伺いしますが、最近学校で何か変わったことはありませんでしたか?」

「……ありませんよ。普段どおりです」

「奇妙な噂話がありましたよね? 屋上におかしな人物……フギーマン、とやらが現れたとか」

「……生徒たちの作り話ですよ。そんなものいちいち相手にしません」

「なるほど……。現在、屋上は使われているんですか?」

「お昼休みだけ解放しています。放課後にも解放していましたが、今はしていません。生徒の居残りを原則禁止しているので」

「ふむん」

「葉原先生、あなたはブギーマンについてどう考えていますか?」

「さっきも言いましたが、子供の作り話以外の感想はありません。思春期特有の不安を荒唐無稽な物語に仮託することで乗り切ろうとしているのかもしれませんね。今は新型ウイルスやおかしな事件のこともありますし」

「他の先生方もそのようにお考えで?」

「そうですよ。誰もあんな話を真に受けたりしません。ですから屋上もいつもどおり解放していました」

「そうしないと、噂話を認めることになるから?」

「……まぁ、そうですね」

「ふむん」

「あの、もういいですか……?」


 葉原がベッドの方に視線を送りながら言う。


「ええ、ありがとうございます」


 ベッドにかけてあるタオルケットがもぞもぞと動いた。

 誰か寝ているようだ。


「校舎に入ってもいいですか」

「……止めても、勝手に入るのでしょ?」

「ええ、追い出されない限りは」

「不法侵入、という言葉はご存じかしら?」

「もちろん。まぁ、こんな仕事ですからね。多少の無茶はします。ご理解いただけるとありがたいのですが……」


 前野の言葉に、葉原は大きくため息をつく。


「どうぞお入りください。職員室にはこちらから連絡を入れておきますので」

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