5-4
駅前の商店街は平時に比べると人影がまばらに思えた。営業を自粛している店舗もまだ幾つかある。
K県警捜査一課の刑事
出前を取っても良かったのだが、ふたりとも気分転換を必要としていた。
蕎麦屋はランチタイムの営業を終えて暖簾をしまうところだったが、店主は常連である刑事たちの顔を見ると快く店に招き入れた。
「大きな
「ええ、そうさせてもらいます」
店主の言葉に大迫が柔和な笑みを浮かべながら応える。
ふたりが通されたのは、店の奥まった場所にある小さなお座敷だ。この席は刑事たちの指定席になっていた。
丁度、他の客から死角になる位置の席で、密談をするのに向いていた。店側からのちょっとした配慮だった。
店主が冷たいお茶とおしぼりを運んでくる。
「俺は天ざるね」
そう言いながら、前野が熱いおしぼりで顔を拭く。
「自分は……鴨南蛮とかやくご飯のセットで」
おしぼりで手をぬぐいながら大迫。
店主が注文を繰り返し厨房に下がるのを確認してから、前野が口を開いた。
「さっきお前が話していたブギーマンとやらだが、もう少し詳しく教えてくれや」
この先輩刑事は都市伝説に興味があるのか。
大迫は意外に感じた。
「そうですね……」
何から話すべきか。大迫は少し悩んでから口を開く。
「もう、十年以上前からある噂話ですね……。若者を中心に語られる続けているんですよ。自分の学生時代にも流行ったことがありました」
「ふむん」
「流行り廃りを繰り返すみたいなんですよ。ブームが去った後も、熱心なマニアたちが語り継いで、そこから新しいバリエーションが生まれるんです。そして、それがまたブームを起こす」
「マニア?」
「ブギーマンに限らず、都市伝説には愛好家が多いんです。インターネット上で精力的に活動してる人も沢山見かけますね。
「ああ、天川の件もあって気になっているんだよ。そういう連中は、一体、何をやっているんだ?」
「都市伝説の概要をまとめてインターネットにアップしたり、匿名掲示板やSNSなどでの考察、議論、実地へのフィールドワーク、最近は紹介動画の作成が盛んですね。ちょっとした小遣い稼ぎになるケースもあるようです」
「詳しいな……」
「少し調べたんですよ。捜査の助けになるかと思って」
天川ミチルは
「続けてくれ」
大迫はお茶で唇を湿らせ先輩刑事の言葉に従う。
「ブギーマンの都市伝説で最も旧いとされるエピソードは、『深夜に鏡の前で名前を五回呼ぶとブギーマンが現れる』というものです」
「現れて何をするんだ?」
「それは分かりません」
「?」
前野が訝し気な表情を浮かべる。
「『殺人鬼のブギーマンが現れる』というだけで具体的に何をするかまでは語られていません」
「そいつは殺人鬼なんだろ? 人間を……自分を読んだ相手を殺すんじゃないのか?」
声のトーンを少し落として前野が指摘する。
「少なくとも、最初期のエピソードにそのような要素は確認できません。少し後のバリエーションに『深夜にナイフの刃をくわえて水鏡を覗くとブギーマンが現れる』や『寝る前にブギーマンを強く想うと夢の中で逢える』などが存在しますが……」
「そっちでは殺すのか」
「はい。前者が『呼んだ人間を殺害する』で、後者が『呼んだ人間の望む相手を殺害する』という違いはありますが」
「ふむん……」
前野が何か考え込むような表情を見せる。
この先輩刑事は一見するとタヌキを思わせるユーモラスな容姿だが、時折、尋常ではない怜悧さを見せる。
彼から学ぶべきことは多い。大迫はそう考えていた。
店主が注文の料理を持って来た。ふたりの会話は一時中断される。まずは腹拵えだ。
「それで、他にはどんな話があるんだ?」
早々と天ざるを食べ終えた前野が聞いてくる。
「そうですね……。例えば、『部屋の死角に隠れて子供を拐っていく』とか、『女性の一番美しいときに命を奪いに来る』なんてのもありますね。今回の事件がブギーマンに紐付けられる大きな理由のひとつはこれです」
連続殺人事件の被害者は全員二十代前半から半ばの女性だった。
「そして、ナイフ。ブギーマンを象徴するアイテムです。これも、事件がブギーマンに紐付けられる要因のひとつになります」
大迫は思い出す。
被害者の胸元に深々と突き立てられたナイフの存在を。
「地元の高校で目撃されたアレは?」
「
「ブギーマンの目撃者は誰なんだ?」
「はっきりしません。都亜留の生徒や教職員かもしれないし、そうじゃないかもしれない。都市伝説は基本的に「友達の友達」のような実在するか判然としない人物から聞いたとされるものなんです」
「ふむむん……」
前野は眉間にしわを寄せながら低い声で唸った。
調べた情報を全て伝えた大迫は残りのお茶を飲み干した。
ふたりの間に沈黙が幕のように降りた。
店主の観ているテレビが今日も新型ウイルスに関する情報を伝えてくる。
罹患者数は横ばい状態でここひと月は殆ど変化がない。重症化で死亡するケースも未だに見かける。
新たな変異株の発見も続いていた。
大迫にはこのパンデミックがいつになったら収束するのか皆目見当も付かなかった。
「……あの新型ウイルス、事件の捜査にも影響が出ますよね」
「ん? そうだなぁ……」
そう答える前野の表情はどこか上の空だった。
「それじゃあ、行ってみるか……」
先輩刑事の唐突な言葉に大迫は面食らった。
「え、何の話ですか?」
大迫の質問に前野は意外そうな顔で言った。
「都亜留高校に決まってるだろ。学校関係者に直接話を聞くんだよ」
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