4.彼女はずっと探している
4-1
白い包帯が螺旋を描きながらするすると床に落ちていく。
ガーゼを剥がすと左腕の傷はほとんど塞がっていた。
それを確認して
この傷は数日前に自分でカッターを突き刺した結果できた傷だ。
宙樹は人差し指でその傷をそっとなぞる。
大切なものを慈しむような壊れやすいものを扱うような繊細な手つきだった。
少年の左腕には治りかけの傷以外にも複数の傷痕がうっすらと残っていた。
救急箱から絆創膏を取り出して一番新しい傷に貼る。もうこれで充分だろう。
宙樹はハンガーにかけてあった学ランを羽織ると、ブルーのランチクロスで包んだ愛用の弁当箱を通学用のリュックに入れマンションの部屋を出た。
外は生憎の曇り空。鉛のような雲が空いっぱいに広がっている。
風も強い。寒の戻りと言うほどでもなかったが少し肌寒い。
予報では午後から雨になっていたのを思い出す。
宙樹は部屋に戻ると小さな靴箱の脇に立てかけてあった黒い雨傘を取る。
「雨が降ったら屋上で昼ごはんが食べられませんね……」
宙樹は少し寂しげに笑った。
※
三時限目の終わりに雨粒が教室の窓を叩き出した。予報よりも早い降り始めだった。
四時限目の終わりには強い風を伴う本降りになっていた。
風が窓枠を鳴らしガラスのうえを雨粒が涙のように流れていく。
宙樹はそれをぼんやりとした顔で眺めている。
外の景色は雨に白くけぶっており、まるで薄いヴェールに覆われたように判然としない。
世界中が海の底に沈んだみたいだと宙樹は感じる。
今日は一時限目から授業に集中することができなかった。
教師の言葉が右から左に抜けていく。
来年は大学受験もあるのにこんなことでいいのか。宙樹は他人事のように考える。
宙樹は小さくため息をつくと横目で現国教師の様子を盗み見る。
教師は板書に集中しておりこちらに背を向けていた。
宙樹は念のために教科書を立てて即席の遮蔽物を作ると、その陰でスマホを操作してLINEアプリを起動する。
『すっごい雨!これじゃ屋上は無理っぽいね』
後輩からメッセージが届いていた。
『仕方がないですね。今日は別々に食べましょう』
返信にすぐ既読マークがついた。
『授業中にスマホいじるのやめた方がいいですよ』
『宙樹先輩もね!!』
後輩のメッセージに宙樹は小さく笑みを浮かべる。
『久しぶりに友達と学食行くね!』
「友達」と言う単語に宙樹はまたしても胸が痛むのを感じた。
『そうですね。それがいいと思います』
『先輩はどうするの?』
「ひとりで寂しく便所飯ですよ」とでも返信しようかと思ったが、美朱にドン引きされるだけなのでやめた。
『教室で食べます』
後輩に無難な返事を返してスマホをスリープさせる。
黒板の上のスピーカーから四時限目の終わりを告げるチャイムの音が流れる。
終業の礼を済ませると教室の空気が昼休み特有の弛緩した空気に変わっていく。
学食か購買部に向かうクラスメイト達を尻目に宙樹は鞄からブルーのランチクロスに包まれた弁当箱を取り出す。
今日の献立はメインのおかずが焼き鮭と肉団子、付け合わせに常備菜のキャロットラペと色どり担当のミニトマトを添えた。弁当箱の半分は白飯でその真ん中には赤い梅干しが乗っている。
甘辛のタレで味つけした肉団子を箸でつまみ口に運ぶ。
宙樹の表情が曇る。味つけが悪いわけではない。
ただ、ひとりで食べる弁当がやけに味気なく感じる。
ひとつき前まではこれが当たり前だったのに……。
宙樹は短い期間で自分が変わってしまったことを感じる。
談笑するクラスメイト達の声が教室に響き渡る。
おれはあの輪の中には溶け込めない。その権利はない。宙樹は自分にそう言い聞かせる。
弁当の残りを黙々と咀嚼していく。砂を噛むような味が口の中に広がる。
『お前は路傍の石ころだ』
軋むような声が言った。
『お前は無色透明な空気だ』
ガラスを爪で引っ掻くような甲高い声が宙樹を嗤う。
『お前は死ぬまで、いや、死んでも誰からもかえりみられないだろう』
教室でクラスメイトに囲まれながら、宙樹は埋めることのできない深い孤独感を抱えていた。
『心配するな。おれがずっと側にいてやる。おれだけはお前の味方。お前のトモダチだからな』
宙樹はロボットのように機械的に箸を動かし頭の中に響く声を努めて無視しようとする。
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