3-5

 空嶋からしま宙樹ひろきは戸惑っていた。

 どうして、自分がこんな場所にいるのか理解不能だったからだ。

 対面の席に座るほし美朱みあかは、すました顔で紅茶をすすっている。

 

「宙樹先輩、飲まないの? 冷めちゃうよ」


 美朱はカップをソーサーに戻しながらそう言うと、紅茶の隣に置かれたチョコレートケーキをフォークでひとくちサイズに切り崩す。


「ケーキも美味しいよ」

「はぁ……」


 宙樹と美朱がいるのはクラシカルな雰囲気を漂わせた純喫茶だった。

 ふたりの通う都亜留とある高校から歩いて十分ほどの場所にある。

 住宅街の片隅に居を構えた隠れ家的な店だ。高校生が放課後にふらりと立ち寄るような場所ではなかった。


「星さんは、よくこの店に来るんですか?」


 宙樹はコーヒーの満たされたカップを持ちあげながらそう訊ねる。


「たまに友達と来るくらいかなー。ここ、結構高いしね」


 声のボリュームを落としながら美朱が言う。

 

「確かに学生の財布にはキツい価格設定ですよね……」


 なので、宙樹はメニューの中で一番安いホットコーヒーをオーダーした。

 美朱が少し悩んで2000円以上するケーキセットを頼んだときは、思わず「ブ、ブルジョワジ~」と声を出して嫌な顔をされた。


「まぁ、こんなご時世だしたまにはゼータクしないとね!」


 カットしたケーキを口に運びながら美朱が言う。


「ふご、ふごごふごんご?」

「食べながら喋るのやめてください! 行儀が悪いし、何を言ってるか分かりませんよ!」


 宙樹の言葉に後輩は「こくん」と喉を鳴らし口の中のケーキを飲み込む。


「先輩はケーキ食べなくて本当によかったの?」

「そんなお金、ありませんよ」


 宙樹は苦笑いを浮かべながら答える。


「先輩、ビンボーなの?」

オブラート言い方ァ! 直接的すぎる表現は下品に聞こえますよ!?」

「先輩、金欠病なの?」 

「だからオブラート言い方ァ! おれは倹約家なだけです!!」

「ふーん……」


 宙樹の銀行口座には彼の生活を支援してくる篤志家からの入金が毎月ある。金額は充分すぎるほどなのだが無駄遣いする気にはなれなかった。

 そのことを説明するべきか迷ったがやめることにした。

 美朱の表情が興味なさそうだったからだ。


 後輩は紅茶を一口すすると小さく溜息をついた。

 普段は感じさせない物憂げな雰囲気だった。


「……何かあったんですか?」

「何かって?」

「悩み事とか?」

「宙樹先輩はどうして私が悩み事を抱えてるって思ったの?」


 美朱が大きな瞳で宙樹を真っ直ぐに見つめながら聞いてくる。

 相変わらずブラックホールのようになんでも吸い込みそうな瞳だった。


「いきなりこんな場所に誘われたら、普通は何かあると思いますよ」


 昼休みのことだ。

 例によって学校の屋上で昼食を食べていると美朱が急に「今日の放課後時間ある?」と聞いてきた。


 宙樹はまた買い物につき合わされるのだろうかと考えたが、連れてこられたのはここだった。


 どうしてこんなハイソな店で後輩とティータイムをすることになったのか理解に苦しんだが、彼女の愁いを含んだ表情を見ているうちに何となく察しが付いた。

 

「そういうものなの?」

「そういうものなんですよ」

「だったら仕方ないな。宙樹先輩、私の悩み聞いてくれる?」

「何が仕方ないかは知りませんけど、かまいませんよ」

「ありがとう。先輩、優しいね」


 美朱が微笑みかけてくる。

 その表情に宙樹は自分の鼓動が早まるのを感じた。


「おねーちゃんのことなんだけど……」


 美朱はそこまで言うと紅茶で一度唇を湿らせる。


「最近、ちょっと様子が変なんだ」

「具体的には?」


 宙樹の言葉に美朱は一瞬ハッとした表情を見せると、慌てて何かを否定するように手を振りながら、

 

「ち、違うの! おねーちゃんが私の異性交遊に興味があるとかじゃなくてね!!」


 要領を得ない美朱の言葉に宙樹は怪訝な表情を浮かべる。


「はぁ?」

「だから違うの! 私は宙樹先輩が交際してるとか、そう言うんじゃないから!!」


 後輩の唐突な爆弾発言に宙樹は飲んでるコーヒーをリアルで噴くところだった。


「な、な、な、な、なんの話ですかいきなり!?」


 宙樹の声が見事に裏返っている。


「誤解だってば! 私と宙樹先輩はただの友達で恋人とかそういう仲じゃないの!!」

「こ、こ、こ、こ、こ、こ、こ、恋人!?!?」

「いやぁぁぁぁぁ、だからそんなんじゃないのー!!! もうやめてお願いっ!!!」

「そんなに全力で否定されたら普通に傷付きますが!?」

「あのー、お客さま……」


 店内で叫び散らす宙樹と美朱にウェイトレスが声をかけてくる。


「あまり大声でお話をされると他のお客さまの迷惑になりますので……」


 困り果てた表情のウェイトレスの言葉にふたりは顔を真っ赤にして平身低頭することしかできなかった。



 ※



「先輩のせいで酷い目にあった……」

「それはこっちの台詞ですよ」

「もう、店員さんには怒られるし他のお客さんからは変な目で見られるしで踏んだり蹴ったりだよ……。あのお店に行けなくなったら先輩に責任取ってもらうからね!」

「理不尽すぎますよ! おれは何も悪くないでしょ!」


 カフェからの帰り道だ。

 ふたりはまだ言い争っている。


「そもそも、人のいないところで何の話をしてるんですかあなたとお姉さんは……」


 そう言う宙樹の表情はきまりが悪そうだった。

 自分の伺い知れない所でゴシップの対象にされていたのだから仕方がない。


「し、知らないし……!」


 美朱はうつむいたまま黙りこんでしまった。

 気まずい空気がふたりを包む。


「あー、と、とにかく、お姉さんの誤解は解けたわけですよね? だったら何の問題もないのでは?」


 沈黙に耐えかねた宙樹が話の続きを切り出す。


「それはそうなんだけどさ、おねーちゃん、最近ちょっと怖くて……」


 美朱の浮かべる不安げな表情に宙樹は嫌な予感を覚える。


「ひょっとして、暴力を……」

「は? 何でそうなるの!? おねーちゃんが私にそんなことするわけないじゃん! 意味不明すぎるんだけど!?」

「す、すみません、おれ……」


 後輩の激しい剣幕に宙樹はたじろぐ。


「おねーちゃんはいつだって私の味方だよ!」

「はい……」

 

 うなだれる宙樹を見てさすがに悪いと思ったのか美朱は小さく頭をさげてきた。


「私のほうこそごめんなさい。少しキツく言いすぎた。かも……」

「別にいいですよ……」

「宙樹先輩、少しおねーちゃんに似てるよ……」


 上目遣いで美朱が言う。


「え?」


 宙樹が間抜けた声を出す。

 彼にとって寝耳に水の言葉だった。


「そうなんですか……?」


 そうたずねる宙樹の顔を美朱はしばらく無言で見つめる。


「教えてあげない!」


 美朱はイタズラっぽい笑みを見せると「べー」っと舌を出しそのまま駅のあるほうにひとりで駆けていく。


「あ、待ってください! 駅まで送っていきますから!」


 宙樹は慌てて美朱を追いかける。

 最近、ずっとあの後輩の少女にふりまわされっぱなしだが宙樹は不思議と嫌な気分ではなかった。

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