3-3

 食卓を挟んでニヤニヤ笑いを浮かべるあおい美朱みあかは辟易とした表情で言った。


「おねーちゃん、その顔やめて……」

「えー、どうしてー?」

「どうしても」


 美朱がすげなく答える。


「美朱にもやっと春が訪れてわたしは嬉しいよ」

「別に訪れてないから、春っ!」

「そうなの?」

「そうだよ!」

「この前のカレーって彼氏が教えてくれたやつじゃないの?」

「ち、ち、ち、違うよっ!! 料理の得意なに教わったの!! この話、前にもしたよね!?」

「えー、何それ。おねーちゃんつまんなーい」

「つまんなくないし、自分で自分のことをおねーちゃんて呼ぶの禁止!」


 葵が唇を尖らせてブーイングを飛ばすが美朱は全力でスルー。

 姉はおかしな誤解をしている。美朱はそう考える。


 どうやら葵は妹が自分に隠れて男女交際を始めたと思い込んでるみたいだ。

 何故、そのような結論に至ったのか美朱には全く理解できない。

 そもそも、過去に姉から恋人の有無をたずねられたときにそんな人はいないと答えた筈なのに。


「と、とにかくカレシとかそういのは全然ないからっ!! 本当に変な詮索はやめてっ!!」


 葵が無言でマジマジと美朱の顔を見つめてくる。

 不躾な視線に美朱はたじろいだ。

 葵の顔からさっきまでのニヤニヤ笑いが消え、まるで仮面のように平板な表情に変わっていた。


「本当に彼氏はいないの?」

「い、いないよ……」

「美朱はアタシの傍から離れない?」

「は、離れないよ……」

「美朱はアタシを置いてどこにも行かない?」

「そ、そんなの当たり前でしょ……」


 妹の言葉に葵は「そう……」と小さく呟く。

 姉の眼差しが自分を体を擦り抜いてここではない別の場所を見てるような錯覚にとらわれ、美朱は酷く落ち着かない気分になる。


「だったら、いいんだ……」


 葵はそう言うと席を立ち、自分の食器を台所の流しに持っていく。


「じゃあ、アタシはそろそろ仕事に行くから。お弁当、忘れずに持っていって。あと、マスクするの忘れないでね」


 椅子にかけてあった薄手のジャケットを肩にかけると葵は玄関に向かう。


「……うん。いってらっしゃい」


 美朱は姉の背中に言葉をかける。

 玄関が開き、すぐに閉じる音がマンションの一室に響く。

 姉の気配が完全に消えると美朱は大きく息を吐き出した。

 

「おねーちゃん、ときどき妙に圧が強いんだよな……」


 美朱の顔に戸惑いが浮かぶ。


 姉は昔から美朱の味方だった。

 幼い美朱がなくてもいいモノを頻繁に幻視していた頃から、ずっと彼女の味方だった。


 それは今も変わらない。

 中学校で孤立し、不登校になった美朱の勉強を熱心にみてくれたのも姉だ。

 何とか高校受験を乗り切った美朱に二人暮らしを提案したのも、そのために必要な準備をひとりで全て整えたのも姉だった。


 美朱は葵に対して深く感謝していた。

 けれど。

 姉の自分に対する気持ちがよく分からない。

 最近、それを強く感じるようになった。


 あるいは、自分に向けていた感情が変質している……?

 それが、具体的にはどんな性質のものなのか美朱には言語化することができなかったが、漠然とした不安になって自分にまとわり付いているような気がした。


 今、この世界を覆っているあの病魔と同じだ。

 どこまでいっても振り払うことのできない影。

 世界に解き放たれた予兆、あるいはいなご

 箱は、既に開かれているのではないか?

 美朱はそんなことを考える。

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