3-2

 父親の転落する姿を宙樹ひろきは目撃したわけではない。


 宙樹と父親は滑り台で遊んでいた。

 父親を置いて砂場に滑り落ちていった宙樹は背後から聞こえる「わー」と言う間抜けた叫び声と、何か重いものが地面に叩きつけられるような音に首を傾げた。


「おとうさん……?」


 不安にかられた宙樹は父親の様子を確認しに戻る。

 そこで幼い宙樹が見たのは滑り台の階段の下で仰向けに倒れる父親の姿だった。


 頭のあたりに赤い水溜まりができている。

 宙樹は絶叫した。

 その声に気付いた通りすがりの大人が救急車と警察を呼んでくれた。

 事情を聞かれた宙樹はパニックを起こし泣き叫ぶだけだった。


「ブギーマンが! ブギーマンが殺したんだ!! おかあさんだけじゃなく、おとうさんも殺したんだ!!!」


 正気を失ったようにそう捲し立てる宙樹に大人たちは困惑した。

 叫び疲れた宙樹はそのまま気を失うように眠ってしまった。


 目が覚めると病院のベッドの上だった。

 隣の椅子に座るどこかで見た記憶のある中年の女性は、宙樹は憐れむような、それでいてうんざりしたような顔をしていた。


 彼女の説明によると宙樹の父親は滑り台の階段から転落したらしい。

 そのとき頭を強打して昏睡状態になっている。集中治療室に入っているが覚悟はしておいた方がいい。

 中年の女性はそれだけ言うと宙樹を置いてさっさと病室から出ていった。


「だいじょうぶ?」


 女性と入れ替わりで病室に入ってきたのは宙樹より少し歳上に見える少女だった。


「きみはだれ?」


 少女は質問を無視すると宙樹のベッドの上に座りやおら少年の頭を撫で始めた。


「えっ、なに!?」


 突然のことに宙樹は思わず声をあげる。


「さびしいときやかなしいときはこうするといいんだって」

「ぼくはさびしくもかなしくもない」

「さびしくなかったりかなしくなかったら、ないたりしないでしょ!」


 少女の指摘に宙樹は自分が目からポロポロと涙をこぼしていることに気が付いた。

 涙を流す宙樹の頭を少女の手が何度も撫でる。

 その手はとても小さかったが大きな太陽のように暖かかった。


「おとうさんが、しんじゃう……」

「そうなの?」


 少女が小首をかしげる。


「おかあさんもしんじゃったんだ……」

「そう……」


 宙樹の告白に少女の表情が曇る。


「こんな所にいたのか」


 聞き覚えのない声が聞こえた。

 病室の入り口に見知らぬ大人が立っていた。


「パパ!」


 泣き出しそうだった少女の表情が一瞬で笑顔に変わる。

 宙樹にはそれが酷く残酷なことのように感じられた。

 少女がベッドから飛び降り父親の元に駆け寄る。父親は娘を抱きあげる。


「わたしがパパをよんだの」


 少女が自慢気に言う。


「こうえんでこわいことがおきそうだから、パパにおねがいして、いっしょにきてもらったの」


 娘の言葉に父親は申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「このの言うことはあまり気にしないで」


 宙樹はどう答えればいいか分からなかった。


「君とお父さんを発見して救急車と警察を呼んだのは僕だよ」

「その……ありがとうございます」


 宙樹はペコリとおじぎする。


「いや、いいんだ。気にしないでくれ。君はとても混乱していたようだけどもう落ち着いたかい?」

「……はい」


 宙樹は白いシーツの端をギュッと握りしめながら答える。

 昏睡状態だった父親が死亡したのはそれから一時間後のことだった。

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