3.公園には誰もいない

3-1

 閑散とした昼下がりの公園。空嶋からしま宙樹ひろきはベンチに座って昼食のサンドイッチを食べている。


 普段はご飯とおかずの弁当だが今日は土曜日なのでいつもと違うものを作ってみた。


 ラップに包んで持ってきたサンドイッチの具材はハムとチーズとキュウリ、そして玉子。


 今日は日差しが暖かったので冷たいコーヒーを入れたタンブラーも持ってきた。

 宙樹はコーヒーで口の中を湿らせながら黙々とサンドイッチを食べ続ける。


 玉子サンドに手を伸ばしたところで宙樹の動きが止まった。

 スタンダードなペーストタイプではなく玉子焼きが挟まれた玉子サンドだ。

 幼い頃に母親が作ってくれたものを食べてから宙樹にとっての玉子サンドはこれだった。


 宙樹は短く嘆息する。

 母親のことを思い出すと未だに心がざわつく。

 もう、十年以上前に亡くなっているというのに。


 自分に身体的・精神的な暴力をふるっていた母親。

 ときに宙樹を石ころのように蹴りあげ、ときに宙樹を空気のように無視した母親。


 父親はいつも気弱な笑顔で宙樹に慰めの言葉をかけるだけで、母親の暴力から守ってくれることはなかった。


 宙樹は両親からネグレクトを受けていたのだ。


 それでも。

 精神が安定しているときの母親は優しかった。

 宙樹に得意な料理をふるまってくれることもあった。

 そのレパートリーのひとつがこの玉子焼きのサンドイッチだった。


 宙樹は考え事があるといつもこの公園にやってきた。

 公園は現在の住居であるマンションと生家があった場所のほぼ中間地点にある。


 遊具を使ってる子供はひとりもいない。

 数日前に幼いきょうだいが楽しそうに遊んでいたシーソーも無人だった。

 公園を利用する人の数は減り続ける一方だ。

 新型ウイルスの他にも宙樹の住む此乃町このちょうには問題があったからだ。


 それは去年の冬頃から始まった凶悪犯罪——年若い女性ばかりを狙った連続殺人事件のことだ。


 ウイルス対策として他者との接触を減らすことが推奨されているのに加え、得体の知れない犯罪者が野放しになっている。親達は子供の不要不急の外出に難色を示すようになった。


 危険を無視して外で遊ばせるくらいならゲームを与えるか動画を観せるかして家に閉じ込めておくのが親心だろう。宙樹はそう考える。

 

「親心か……」


 宙樹は短く呟く。


「よく分からない言葉だな……」


 自分の考えに苦笑いを浮かべ、頭を横に振った。


 宙樹の母親は殺された。

 強盗殺人だった。

 コンビニで煙草を買ったその帰りに襲われたのだ。犯人は職を失い食うに困った中年の男性だった。父親がそう伝えた。


 ああ、お母さんは殺されてしまったんだ……。

 幼い宙樹の瞳からポロポロと涙がこぼれた。


 ぼくが心の中でアイツの名前を読んだから……。

 宙樹はその事実に吐きそうになるほどの嫌悪を感じた。

 

 ぼくがお母さんを殺したんだ。ぼくが「アイツ」をんでお母さんを殺させた。

 それは、親からの虐待で心身を傷つけられた少年の妄想でしかない筈だった。


 ぼくがブギーマンアイツに殺させたんだ……!!!

 しかし、その妄想はいつしか宙樹にとって紛れもない現実になっていた。


 母親の葬式は身内だけでしめやかに執り行われたがその記憶のほとんどが霧に覆われたようにぼんやりとしている。参列者の顔は全員のっぺらぼうだ。

  

 ただ。

 葬式中、父親がずっと遠くを見ていたのはよく憶えていた。

 まるで幻でも追ってるかのような焦点の定まらない目。

 父親は普段からぼんやりとした人間だったが、あのとき浮かべていた表情はその比ではなかった。

 あの異様に虚な表情は肉体から魂がさまよい出した人間が浮かべるものだったのではないか。

 もしかするとあのとき既に父親は母親と一緒に旅立っていたのかもしれない。

 要らなくなった肉体を宙樹の元に残してふたりでこの世界から脱出した。

 自分は両親に置いていかれたのだ。

 母親の死を願い、あの忌まわしい人殺しの王をこの世界に顕現させた罰として。


「はぁ、馬鹿馬鹿しい……」


 宙樹は自分の子供じみた妄想を否定する。

 高校二年生にもなってこんな突拍子もないことを考えるだなんてどうかしている。


 けれど。

 母親が死んだあとの父親から生気を一切感じられなくなったのは確かだった。もともと存在感の薄い人ではあったが、まるで影のように薄っぺらくなってしまったのだ。


 だから「あんなこと」になったのではないのか。

 宙樹はそう考える。


 あの日、この公園で事故が起きた。

 その事故は宙樹の人生をどうしようもないくらい決定的に変えてしまうものだった。

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