1-5

「あれ、お弁当忘れたの?」


 屋上で購買部の焼きそばパンをかじっていた宙樹ひろきに、美朱みあかがもの珍しそうな表情で聞いてくる。


「……作ってる時間がなかったんですよ」

「寝坊したとか?」

「そんなところですね」

「ふーん……」


 美朱は宙樹から2メートルほど離れた場所にハンカチを敷くと、そこに腰をおろした。


「美味しそうだよね、それ」


 焼きそばパンをじっと見つめながら美朱が言う。


「あげませんよ」

「えー」

「そんな物欲しげな顔をしてもダメなものはダメですよ。自分のお弁当を食べてください」

「はーい、わかりましたよー。空嶋からしま先輩のけちー」


 けちはないでしょ、けちは。

 後輩をジト目で睨みながら内心でツッコミを入れる。

 

「今日も玉子焼きが入ってる! さすが、おねーちゃん、分かってるなー!」


 小ぶりな二段重ねの弁当箱を開けながら美朱。


「今朝はどうして寝坊したの? 昨日の夜遅くまで映画でも観てたの?」

「あー、それはですねぇ……」


 宙樹が寝すごしたのは明け方に見た悪夢のせいだ。

 過去に受けた虐待と母親に対する殺意を夢の中で追体験した彼は、そのまま布団の中で悶々とした時間を送った。


 スマホのアラームが鳴ってもなかなか布団から抜け出す気になれなかった。 

 そもままダラダラとスマホゲーの虚無周回などをしていたのだが、気がつくと遅刻ギリギリの時間になっていた。


 宙樹は慌てて飛び起きると急いで制服の学ランに着替え、水道水と食パンで適当に朝食を済ませダッシュで学校に向かった。

 途中でコンビニに寄って昼食を調達している時間はなかった。


「あっ、ごめんなさい。私また変なこと言った?」

「いや、そんなことありませんよ」


 宙樹の言葉に美朱はほっとしたような表情を浮かべた。

 二人はそのまま黙って食事を続ける。

 時々、五月の黴臭い風が通りすぎていく。


 鼻がやたらとかゆい。

 宙樹は必死にくしゃみを我慢する。


「先輩、花粉症なの?」

「違いますよ」

「でも、めっちゃ面白い顔でくしゃみ我慢してるでしょ」

「先輩に向かってめっちゃ面白い顔とか言うのやめてください」

「はーい!」


 元気よく返事をすると、美朱はケラケラと笑い出した。

 

「……ほしさんは、何だかいつも楽しそうですね」

「先輩は楽しくないの?」

「おれは……普通ですね」

「何それ、つまんないの!」

「……やっぱり、つまらないと思いますか?」

「うん、めっちゃつまらない! 先輩は友達と一緒に大声で笑ったりしないの?」

「しないですね……」

「そうなの?」


 一緒に笑ってくれるほど、仲のいい友人がいないんですよ。

 宙樹は心の中でそう付け足す。


 何しろ自分は存在感ゼロの空気少年だ。

 数少ない友人にすら度々存在を忘れられる。

 誰も自分のことを相手にしなければ、かえりみてもくれない。


「先輩、そんな暗い表情してたら幸せが逃げちゃうよ?」


 幸せ。

 母親から虐待を受けていた自分とは、あまり縁のない言葉だった。


「何か、辛いことでもあったの?」


 沢山、あった。

 そして、それは、今でも宙樹の人生に暗い影を落としていた。


「先輩、どうしたの?」


 気付くと美朱の顔が目の前にあった。

 宙樹の顔を心配そうに覗き込んでいる。


「先輩、泣かないでよ。私が苛めたみたいじゃない……」


 そう言いながら宙樹の眼鏡をそっと外し、目の下にハンカチを押しあてる。


 そうか、おれは泣いていたのか……。

 後輩の言葉で宙樹は自分が涙を流してることに気付いた。


「……もう、来ないかと思ってましたよ」

「何の話?」

「昨日の昼休みの話ですよ。おれは星さんに酷いことを言って屋上ここに置き去りにしたじゃないですか」

「あれは調子に乗っておかしなこと言った私が悪かったんだよ。先輩の気にすることじゃないでしょ?」

「でも……」

「先輩だってただの独り言だって言ってたじゃない。私はそれで納得したんだからこの話はこれで終わりです!」

「……分かりました」

「よろしい!」


 美朱は花が咲くような満面の笑顔で力強く言った。


「先輩はもっと笑ったほうがいいよ」


 美朱は眼鏡を宙樹に返すと、ハンカチをカーディガンのポケットにしまいながらそう言った。


「星さんはいつも笑ってばかりですよね」

「そうだよ! 絶対にそっちの方がお得だからね!」

「お得って。そんなスーパーのセールじゃないんだから」

 

 宙樹は思わず吹き出した。


「あははは! そうそう、それでいいんだよ! もっと楽しくなるようなこと言ってこ!」


 満面の笑顔で美朱。


「あのね、おねーちゃんに言われたんだ。私たちはいっぱい笑おうねって。いっぱい笑って、いっぱい幸せになろうって」

「……いいお姉さんですね」

「うん、私の自慢のおねーちゃん! 先輩は一人っ子なの?」

「そうですよ。というか、おれには家族がいないんですよ」


 宙樹の言葉に美朱な表情が凍る。


「違います! 違うんです!! 星さんは何も悪くありません! これは、おれが話したいから勝手に話してるだけなんです!」


 宙樹は慌ててフォローを入れる。


「……ご家族は亡くなられたの?」


 美朱がおずおずと口を開き質問する。


「はい。おれが小さい頃に母も父も」

「今は親戚と一緒に暮らしてるの?」

「いいえ。気楽な独り暮らしですよ。生活費の支援をしてくれる奇特な人がいて」

「そうなんだ……」


 美朱がうつむく。


「あのー」


 宙樹の言葉に美朱が顔をあげる。


「よかったら、明日からもここで、一緒に昼ごはんを食べませんか?」

「……いいの?」

「もちろん。独りで食べても、何だか味気ないので」


 宙樹は少し恥ずかしそうな笑顔を浮かべながら言った。

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