1-3
「うるさい、黙ってろ」
「え、ごめんなさい。ちょっと調子乗りすぎた……?」
美朱の声が震えている。
怖がらせてしまったようだ。
「お、おれの方こそすみません! えーと、ですねぇ……これは独り言です! 別に怒ってるとかじゃないんで、気にしないでください!!」
慌てて取り繕うとするが、強引な言い訳しか出てこない。
「そうなの? だったら、気にしないでおくね……」
それでも、宙樹の言葉に安心したのか、美朱は表情をやわらげながら言った。
宙樹はひとまずほっと胸を撫でおろす。
「そろそろ戻りますね」
空っぽのドカベンを水色のランチクロスで包む宙樹にじっとりとした風が絡み付く。
「……うん。私もこれ食べたら教室に戻る」
美朱はゆるゆると箸を持ちあげ昼食を再開した。
そのまま、弁当箱の中身を機械的に口に運んでいく。
宙樹はひとりで昼食を継続する後輩の姿を少しだけ見つめると、黙って屋上を後にした。
暗く深い穴の底に潜っていくように、階段を一段一段ゆっくりと降りていく。
そのとき、宙樹は自分の頭の片隅で何かが軋むような音を聞いた。
それは宙樹を嘲笑う声だった。
※
放課後。
家の冷蔵庫が空っぽなのを思い出した宙樹は、最寄りのスーパーマーケットで買い物をしていた。
「まだ棚に空きが目立ちますね……」
複数回にわたる大規模なワクチン接種の効果もあって、国内での流行病の感染はピーク時に比べるとだいぶ落ち着いてきたが、まだまだ予断を許さない状況だった。
繰り返される自粛要請や緊急事態宣言の影響で国民の買いだめ傾向が強まっていた。
そこに、禍による生産と流通へのダメージなどが重なって、商品の補充が追い付かないようだ。
さすがに何もないわけではないのだが、平時に比べると随分寂しい品揃えだった。
代わりに普段はあまり見かけない珍しい商品が並んでいる。
とりあえず売れそうなものは何でも売っていく姿勢なのだろう。
2000円以上する高級ピクルスの瓶を棚に戻しながら、宙樹はそんなことをぼんやりと考える。
「生鮮食品は普通に買えるんですよね……」
グラム138円の豚こまぎれ肉をカゴに入れながら小声でつぶやく。
空嶋家の冷蔵庫は小さなツードアタイプだ。
一応、冷凍室もあるがあまり買いだめには向いていない。
宙樹の買い物に対するスタンスは「必要なものを必要なときに買う」だった。
多少品薄状態になっていても食料品が完全に枯渇しているわけではないし、外出を「禁止」されているわけでもない。まだ予断を許さないとはいえ、宙樹の生活は少しずつ通常運行に戻りつつあった。
「あとはピーマンを買ってと……」
本日の夕飯は「なんちゃってゴーヤチャンプル」だ。
下処理が面倒なゴーヤの代わりにピーマンを使う、宙樹が得意とする手抜きメニューのひとつだ。
宙樹は高校から徒歩十五分ほどの場所にあるワンルームマンションで一人暮らしをしている。
彼の両親は既に故人で後見人の篤志家が生活に必要なお金と物を融通してくれていた。
もっとも、いろいろと面倒な条件付きの援助ではあったが……。
「あ、これうまそう」
デザート売り場で見つけたチョコレートケーキをカゴに入れてレジで精算を済ませる。
マンションに帰ると真っ先に石鹸で手を洗いうがいをする。
結局、流行病に最も効果的な予防策がこれだった。
テレビを点けて、制服から部屋着に着替える。
夕方の報道番組が今日も飽きずに流行病や遠い異国での戦争に関する情報を垂れ流し続けている。
宙樹は狭い台所に立つと棚から包丁を取り出した。
しばらく、その刃先を黙って見つめる。
公園のベンチでカッターの刃先を見つめたように。
一瞬、あの後輩の少女の怯えたような表情が脳裏を掠めていった。
「……何をやってるんだか」
宙樹は自分の行動に呆れながら首を横にふる。
台所が黴臭い。換気扇を回す。
「それでは次のニュースです。先日、K県
テレビからニュースを読みあげる女性アナウンサーの声が流れてくる。
宙樹は包丁で食材を解体しながらそれを聞くともなく聞いている。
事故、疫病、戦争、殺人……。
この世界のありとあらゆる場所に死が偏在している。
なんだか死神に監視されているみたいだ。
最近、宙樹はそのことを強く意識するようになった。
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