第14話 小さな、けれど偉大な一歩 (第2章 完)

『――とりあえず、きょうのところはもう帰ってくれて構わないわ』


 そんな会長からの有り難い言葉で、ようやく開放されることになった俺は安堵あんどの息をいた。


 このままラボに幽閉ゆうへいされ、会長たちの監視下かんしかに置かれるのではないかと危惧きぐしていたが、どうやら最低限の常識は持っていたらしい。


 しかしもちろんこのまま無罪放免むざいほうめんというわけではないようで、


『詳しいことはまた明日学校でね♪ 逃げたら承知しないから♪』


 ぎわにそう言って微笑ほほんだ会長は、俺を日常へと返してくれそうにはなかった。


 ラボを出た俺はまず新鮮な空気を目一杯めいっぱい吸い込んだ。やはり山の空気は格別で、気分がやわらいでいくのを感じる。マイナスイオンって奴だな、知らないけど。


 外はすっかり日がかたむいていた。いつのまにか随分ずいぶんと時間が経っていたらしい。夕日のまぶしさに目をすがめながら俺は下山道げざんみちを歩いていく。


 帰りも春山が俺を運んでくれるとのことだったが、丁重ていちょうにお断りさせてもらった。まだ気持ちの整理がついていない状態でまた空を飛ぶのは精神衛生上良くないからな。決して空を飛ぶのが怖かったわけじゃない。ホントだぜ?


 しかしそれではアタシたちの沽券こけんに関わるという会長に、ヨシツネ先輩が『なら紅葉もみじが学校まで付いていってやるといいにゃー。初めてのデートにゃのにゃ』と折衷案せっちゅうあんを出してくれた。むろん俺に断る理由は(最後の言葉を無視すれば)なかった。


 ゆえにいま俺は春山とふたりで歩いていた。だが特に会話らしい会話はなく、俺は夕焼け空をぼんやりと見つめながら足を動かし続ける。


 ……しかし俺、この空を飛んだんだよなぁ。


 子どもの頃の夢がひとつかなったわけだけど、現実感はない。まさしく夢を見ていた気分だ。冷静になって考えると、上空じょうくうこごえるような気温のはずだし、人が生身なまみで耐えられるようなモノじゃない。もしかすると、守ってくれたのかもしれない。


 俺はとなりで歩いている春山をちらりと見る。前をみて歩く表情からは、なにを考えているのかはまったく読み取れない。この状況を楽しんでいるのか、面倒くさいと思っているのか、はたまた何も考えていないのか俺にはわからなかった。


 考えてみると、俺はきょう初めてコイツに出会ったわけだ。なにも知らないんだよな。性格も、好きな物も、なにも。


 いや、ひとつだけあったか。美味うまそうにあんぱんを食うってことだけは知っている。あとは、そうだ、ゴミを人に押し付けること。あれは注意しとかねえとな。


「ははっ」

「……先輩?」

「いや、悪い。なんでもない」


 不思議そうに首をこてりとかしげる春山に、俺は笑いをかみ殺しながらこたえる。それからせっかくの勢いのままに、会話を続けることにした。


「そういやさァ。さっきのこと、ほんとにゴメンな」

「……さっき?」


 小首を傾げ続ける春山に、俺はバツが悪い思いをいだきながら言った。


「ああ、俺さっきお前にひどいこと言っただろ?」

「……ひどいこと、ですか?」

「ほら、もし超能力者がいたとしたらさ、そいつは悪魔とかなんとかって」

「……あ」


 思いいたったのか、春山は小さく声をらす。だけどすぐに首をふるふるとさせ、


「……大丈夫。ホントにもう気にしてない、です」

「……そうか、ありがとな」


 俺は春山の優しさに感謝し、もう絶対に不用意な言葉は口にしないと決意する。


 だけどそのために、俺はひとつの重大な確認をしなければいけなかった。


「なぁ、春山」


 俺は春山の目を見つめてたずねた。


「――本当に、お前は超能力者ちょうのうりょくしゃなのか?」

「……はい。わたしは超能力者、です」


 春山はまっすぐに肯定こうていする。自分が超能力者であると、ゆらぎのない目をして断言した。


「そっか」


 なら、俺からはもう何も言うまい。この世界は広い。俺の知らないことなんていくらでもあるのだ。


 どんなに荒唐無稽こうとうむけいな話でも、たとえ心から信じられないとしても、そういうものとして受け入れるしかない事実は存在する。


 そして俺にとって、今日の出来事がそうだったと言うだけの話だ。


 ――春山紅葉はるやま もみじは超能力者である。


 西日にしびから届く黄昏色たそがれいろひかりびながら、俺はその事実を確かに受け入れた。


「……先輩」


 と、そんな俺の耳にの鳴くようなかぼそい声が届いた。


「ん、呼んだか?」

「……はい、呼びました」

「どうしたんだ?」


 しかし春山は答えず、くもった表情で俺を見つめている。俺はじっと続きを待った。


「……先輩は」


 すると春山はかすれるような声で、意外なことを訊いてきた。


「……先輩は学校、好きですか?」

「学校? まぁ、好きか嫌いで言えば、わりと好きだな」

「……どうして、ですか?」

「どうしてって、そうだなぁ。ま、友達とくだらない話をしたり、ほどほどに行事ぎょうじを楽しんだりさ、結構おもしろいぜ。誰かと点数をきそうゲームって思えば、テストだって悪くないしな」

「……そう、ですか」


 春山は俺から視線を外し、地面へと落とした。そのまま何かを思案しあんするようにじっと地面を見続ける春山の姿は、なんだか悲しんでいるようにも、寂しがっているようにも俺には見えた。


「春山は――」


 そんな春山に訊くべきなのかどうか迷ったが、結局訊くことにした。


「――春山は嫌いなのか、学校?」

「……いいえ、好きです」


 意外だった。話の流れからはいと答えるかと思ったから。


「……でもやっぱり」と、しかしすぐに春山はうつむき加減で、「……本当はまだわからない、です」

「わからない、か。……なにか嫌なことでもあったのか?」


 だけど春山は首を横に振る。


「ならどうして?」

「……わからない」


 原因がわからないのかと思ったが、どうやら違うようだった。春山は言葉を続ける。


「……どうしたらいいのか、わからないんです」


 そしてぽつりと、


「……学校行くの、初めてだから」

「初めてって、そりゃ一体どういうことだよ?」

「……」


 春山は沈黙する。何か言えない事情があるのか、俺の質問に答えようとはしなかった。


 五月ごがつの柔らかな風が俺たちのあいだでるように吹き抜けていった。少し肌寒さを覚えた俺はスラックスのポケットに手を突っ込みながら、春山の言葉の意味を考える。


 日本にほんに住んでいる限り、誰でも一度は学校へと通った経験はあるばすだった。なぜならこの国の大人たちには子どもに教育を受けさせる義務があるのだから。ゆえに春山もこれまで小学校、中学校とふたつの学校を経験しているはずである。


 しかし春山は学校に行くのが初めてだと言う。なぜだろう?


 そこまで考えて、――不登校、そんな言葉が頭に浮かんだ。だけどいくら考えたところでそれは単なる俺の想像でしかない。結局は春山自身の口から聞くしかないのだ。


 俺はもう一度その意味を訊ねようとして、しかし春山の姿がなくなっていることに気がついた。俺は慌てて周囲に視線を走らせる。すると春山は少し後ろの方で足を止めていた。


「どうした?」


 駆け寄って声をかけると、春山はじっと俺を見てきた。あいかわらずキレイな顔、でも何かを躊躇ためらうように口元くちもとを引き締めている。


 しばらく待っていると、やがて春山は口を開いて、


「……あの、先輩……お願いがあります」

「お願い?」

「……はい、お願いです」


 ギュッとスカートのすそを握りながら、春山は小鹿こじかのように震えている。


 どんなお願いが来るのかと身構える俺に、春山は一度目を閉じて深呼吸をし、それから言った。


「……先輩。――わたしと、友達になってください」


 はたから見れば、きっと愛の告白でもしていると思うくらい顔を真っ赤に染めて。


 しかしその言葉に、俺は拍子ひょうし抜けする。


 だけど同時に、それはきっと彼女にとっては特別なことなんだと思った。


 なぜかはわからないが、彼女は学校というモノの存在をはかりかねている。


 大抵の場合、高校生になるまでには終わらせていることを、何らかの理由によって春山はまだ終わらせていないのだ。


 だから学校に過度な希望を抱いていて、実際の環境に裏切られたような気持ちでいるのかもしれない。


 どうしてだろう、と俺はこれまでの情報から考える。


 天城から聞いた春山についての噂。


 学校に通うのが初めてという春山の言葉。


 そしてプロスペローという結社の存在。


 もしも俺の想像通りならば、その第一歩として、友達というモノを作ってみたかったのかもしれない。そうすれば、期待通りの学校生活を送れると信じて。


 偶然にも正体を知られてしまった、だけど唯一隠し事なく接することができる俺の存在は、春山からすればきっと僥倖ぎょうこう賜物たまものであった。


 だから春山は精一杯の勇気を振り絞って俺に告げたのだ。


 ――わたしと、友達になってください、と。


 俺は春山のことを見る。捨てられた猫みたいに俺のことをうかがっている春山は、俺が口を開くまでのわずかな、けれど永遠にも感じるであろう時間を過ごしている。


 断られるかもしれない不安に逃げ出したくなるような気持ちを抑えつけ、気丈きじょうにも俺の前に立ち続けているのだ。


 その姿は、得体えたいの知れない女でも、世界を手にしようとする超能力者の姿でもない。


 ただの、どこにでもいるような女の子の姿だった。


 むろん俺の返事は決まっていた。


「――ああ、もちろんだ。というか、むしろこっちから頼むぜ、春山。俺と友達になってくれ」

「……ホント?」

「なに言ってんだ、当たり前だろう? 俺たちは今から友達だ。今更ダメだって言っても聞かねえぜ?」

「……せん、ぱい」


 おびえた子どものようにおすおずと俺の言葉を噛み砕く春山。それから理解が追いついたのか、春山はぱっと瞳を輝かせて、


「――ありがとう」


 そう言って微笑んだ春山の表情を、俺はきっと生涯忘れることはないだろう。


 水平線すいへいせんしずむ太陽がまるでひとみのようにあかく輝いている。頭上ずじょうでは昼と夜の境目さかいめがくっきりと分かれ、あかね色に染まった空にはあざやかなくもが並び、群青ぐんじょうに移り変わった空には一番星がまたたいていた。夢のように綺麗きれいな空だった。


 俺はそんな空を見ながら。


 もしも。


 もしも本当にきょうの出来事が俺の見てる壮大そうだいな夢だったとしても。


 目がめて、あしたになったらいつもと変わらない日常が続いていくのだとしても。


 最後に見た春山の笑顔だけは、夢であって欲しくないと、そう思った。

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