第12話 ヨシツネとの邂逅

 たまれない空気が流れる中、またしても入り口の扉が開いた。


「にゃ〜。話は終わったのかにゃー」


 喋る猫がそこにいた。とことこと短い足を優雅ゆうがにうごかして俺たちに近づいてくる。ああ、どんどん俺の常識がおかされていく。


「ひどいのにゃマヒル。戻ったら呼んでくれるって言ってたのにゃ~」

「ごめんゴメン。アンタのことすっかり忘れてたわ」

「にゃにゃ! それはひどすぎるのにゃ、あんまりにゃのにゃ!」


 おかしな会話を繰り広げる会長と猫をよそに、春山はかがんで猫に手を差し向ける。


「……おいで、ヨシツネ」

「にゃ〜。おかえりなのにゃー紅葉ぃ」


 小動物が小動物系女子にかかえられている。ここに来て初めての安らぎを感じる光景だ。やはり非日常とはかくあるべきである。


 宇宙人に命を狙われるとか、手配書がばらかれるといったようなことを俺はだんじて非日常とは認めない。あんなものはめにでも捨てておくべきだ。万が一にもつるだと勘違いされないように粘土ねんどでガッチガチに固めてな。


「だけどヨシツネ。アンタ、アタシがここに戻ってきたときにいなかったじゃない。どこ行ってたのよ?」

「にゃー、ちょっと散歩に行ってたのにゃ」

「散歩って、もう……それで呼んでほしいって言われても困るわよ」

「にゃはは、そりゃそうにゃ。悪かったのにゃー」

「まったく……」


 どうもヨシツネというのが猫の名前らしい。身軽みがるそうな名だ。


 きっと散歩というのは隠語いんごで、会長たちをおびやかす狼藉者ろうぜきものでも成敗せいばいしていたのだろう。欄干らんかんの上から扇子せんすを投げつけたり、つばめのような早業はやわざで相手に噛み付いたりな。ははっ。おい、誰か笑ってくれよ。


 にしてもヨシツネ、か。俺はなんとなく木下に目を向けてみた。


「ああん? んだよ、じろじろ見てんじャねえよ」

「いや、お前の主人だなと思ってよ」


 ……待て、俺はいま何を口走った? 口は災いの元だぞ。


 案の定、木下はこめかみをピクピクさせている。いつ噴火してもおかしくない活火山かっかざんを前にしている気分だ。俺は衝撃に身を備える。


 しかし、いくら経っても爆発することはなかった。


「お、おい……おこらないのか?」

「……チッ」


 恐る恐る声をかけると、木下は壁に背を預けるようにして目をつむり黙ってしまった。そんな様子を不思議に思って見ていた俺に、会長はニヤニヤと笑いながら、


「ま、事実ヨシツネは弁慶の師匠だからね。否定のしようがないんでしょ」

「マジかよ……」


 急に春山にかれている猫が恐ろしい怪物バケモノに見えてきた。いや、そもそも猫が喋ること自体がおかしいんだが、それでもあの木下を従えているとは恐れ入る。一体何猫なにものなんだ?


「ふにゃ?」


 っと、目が合う。どうも、と俺は会釈えしゃくする。猫に会釈するのは初めての経験だった。


「なんにゃなんにゃ、知らない顔がいるのにゃ〜。誰なのにゃー」

「あ、えっと、俺は——」

「——彼は浅嶺賢治くん。今日からアタシたちの結社の一員となる人よ」


 自己紹介をしようとした俺に会長がかぶせてきた。


 てか、なんだって? いま会長はなにを言った? 俺が会長たちの結社の一員になる?


「ちょっと待てよ会長、そんなの初耳はつみみだぞ」

「あれ、さっき言わなかったっけ?」


 初耳なんだが。たぶん。……いやでもホント勘弁してくれよ。ここまで色々ありすぎてもう俺の脳が追いついていないんだ。ちょっと休ませてくれ。


 しかしどうやら春山という名の特急列車に乗ってしまった俺に休息きゅうそくの時間は許されていないらしい。


「それはそれはなのにゃ〜」


 そう言ってぴょんと春山の腕から飛び降りた猫が俺のもとまでやってくる。


 ……結構かわいいな、コイツ。ロシアンブルーか。つぶらな瞳がなんとも愛らしい。


 白状はくじょうすると俺、小さいころ猫が欲しかったんだよな。結局母さんが猫アレルギーで買ってもらえなかったんだけど。ま、それもいま考えると口実こうじつというか言い訳だったのかもしれない。高いもんな、猫って。


「にゃ〜。どうしたのにゃ、そんな顔をして。おしっこにゃ? トイレは奥にあるからいってくるといいにゃ~」

「……違う」


 なんでコイツらは俺をそんなにトイレに行かせたいんだよ。あれか? アンタらのトイレは異世界にでも繋がってるのか? だとしたらもうホントに案内してくれよ。きっとここよりはマシな世界だろうからさ。


「ならいいのにゃー。安心したのにゃ〜」


 だがもちろん俺にはテレパシーなんてモンは使えないので、猫は勝手に話を進めて自分の名を告げてきた。


吾輩わがはいは猫のヨシツネというのにゃー。以後よろしくなのにゃケンジー」


 ふむ。吾輩系猫だったか。コイツも属性がてんこ盛りだな。


「あ、ああ……よろしくな、ねこの」


 人語じんごを操る猫という存在に戸惑とまどいつつも、抱きかかえようと手を伸ばした。


 しかしそんな俺の手を取ることなく、ヨシツネは会長たちの方に振り返って、


「まひるー、こいつはアホなのかにゃ? 〝猫の〟が名字のわけないのにゃ。普通わかるのにゃ?」

「ダメよ、ヨシツネ。今のは彼の渾身こんしんのボケだったのよ? ちゃんとツッコんであげなくちゃ」

「にゃにゃにゃ! それは悪いことしたのにゃ、許してくれにゃのにゃー」

「……いや別にいいよ」

「ありがとーにゃのにゃ。吾輩は飼い猫じゃにゃいから名字はまだないのにゃ。ただのヨシツネなのにゃ」

「……そうか、悪い。改めてよろしくな、ただの」

「……」

「……」

「……」


 何か言ってくれよ。


「にゃははっ紅葉ぃ、コイツ馬鹿にゃ。すべったネタをもう一回やったにゃー、真性しんせいのアホなのにゃー」

「……先輩。それは流石さすがにどうかと思います」

「はんッ、所詮しょせんコイツも常人じょうじんだ。そんなもんなんだろうぜ」

「許してあげなさい、ヨシツネ。彼はちょっとユーモアの才能がないだけなんだよ。あたたかい目でこれからの成長に期待してあげるんだ」

「にゃにゃにゃ! それもそうにゃ! 悪かったのにゃケンジー、吾輩も応援していくのにゃー」

「……」


 せめてもの抵抗にとちょっとボケてみただけなのに酷い言われようだな。全方位ぜんほういからの集中射撃しゅうちゅうしゃげきだ。ちょっと泣きそうだよ、俺?


「……よろしくな、ヨシツネ」


 釈然しゃくぜんとしない気持ちを押し隠しながら手を差し出す。今度こそ掴んでくれるかと思ったが、しかしヨシツネは俺の手を掴むどころか引っ掻いてきやがった!


「――いてぇ! て、てめえ! なにしやがるッ!」

「にゃー、それはこっちのセリフにゃー。ケンジは礼儀れいぎがなってにゃいのにゃー。吾輩の方が先輩にゃのだから、吾輩のことはヨシツネ先輩と呼ぶべきなのにゃ」

「な……」


 おいおいこの猫、まさかの体育会系かよ……。なにが悲しくて猫を先輩って呼ばにゃならんのだ。


「馬鹿言うにゃ、なんで俺が猫に先輩をつけにゃきゃいけねえんだ。ヨシツネでいいだろ、別に」

「よくにゃいのにゃ〜。いいから吾輩のことはヨシツネ先輩と呼ぶのにゃ」

「いやにゃ」

「……先輩、猫語が移ってる。かわいい」


 おっといけね。ヨシツネの独特な言葉遣いにつられていたようだ。ごほんっ、あーあーテステス。よし、これで戻ったはずにゃ!


「――おい」


 っと、いつのまにか俺の背後にいた木下が肩に手を置いて小声で囁いてくる。


「悪いことは言わねェ……師匠に従っとけ」

「な、なんだよ。ってか師匠ってお前」

「忠告はしたぜ? オレはべつにテメエがどうなろうと知ったこっちゃねえが、紅葉が悲しむかもしれねえからな、チッ」

「お、おい……」


 木下は俺のもとから去っていく。背中から哀愁あいしゅうただよわせながら。


「……」


 俺はその背中を信じることにした。


「……よろしく、ヨシツネ先輩」

「うむうむ、よろしくにゃのにゃー」


 ヨシツネ先輩の声が冥府めいふいざなうケルベロスのうなり声に聞こえた。


 俺は恐ろしい存在と知り合ってしまったのかもしれない。

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