第7話 神藤真昼との邂逅 前

 地下の長いトンネルを抜けるとラボであった。通路の壁が白くなった。機械音に春山は足を止めた。


 そんなふうに有名な小説の一節を利用したくなるほどに、俺の頭はショート寸前だった。俺の中にあった常識という名の壁がどんどんくずれ去っていく。


 ハッチをもぐった先にあった地下空間(それはすごく広かった)を春山に付き従いながらしばらく道なりに進んだ先にたどり着いたのがこの場所だった。


 徹頭徹尾てっとうてつびラボラトリーと言って差しつかえがない。アニメとかでよく見るような、頭のネジがぶっ飛んだ科学者がうすら笑いを浮かべながら使っているところを簡単に想像できる場所だった。


 まさか学校の裏山にこんな地下世界が眠っているなんて夢にも(むろん、この時の俺はまだこれが夢だという可能性を諦めてはいなかったのだが)思わなかった。


 左右を見渡してみると、ステンレス製のたなが並んでおり、よくわからん機械やら薬品やらがびっしりと置かれていた。薬品のラベルはここからじゃ見えないが、逆に良かったのかもしれない。……知ってしまったらダメな系のやつだろうからさ、たぶん。


 視覚だけでなく、嗅覚きゅうかくも同様にこの場所がきなくさい施設であると主張しており、鼻をひくつかせると理科室に入ったときのようなかおりがした。当たり前、か。ラボとは理科室の上位互換みたいなものだからな。……いや知らないけど、イメージの話として。


 だがしかし、それらはこの空間において俺が向けるべき最重要な関心物ではなかった。


 ——それはラボのど真ん中に鎮座ちんざしていた。


 ひときわ怪しげで大きなモニターの前に置かれた椅子に、誰かがこちらに背を向けて座っている。顔は見えないが、背もたれの横からはみ出ている長いかみからさっするに、どうやら女のようだった。


 ……いや、そう断定するのは早計そうけいだな。別に女だけが髪を長く伸ばすわけじゃない。長い髪の男だっていくらでもいる。親父も昔ロン毛にしてたって話だしな。全くモテなくてやめたそうだが。


 ともかくそんな怪しげな人物に向かって春山は声をかけた。


「……ただいま真昼まひる。先輩を連れてきた」

「うん、ご苦労さま。よくやってくれたわね紅葉もみじ


 返ってきたのは予想通り女の声だった。りんとした、自分に対して絶対の自信がにじみ出た声。何だかどこかで聞いたような声の気がしたが、そんなわけがないと頭を切り替える。


 おそらくコイツが俺をここに呼び出した張本人なのだ。


 何のためかは知らないが、こんな得体えたいのしれない地下空間を根城ねじろにしてるような奴である。さぞや奇人変人、あるいは妖怪や悪魔のたぐいに違いあるまい。いずれにせよ、これまでのようにほうけた頭でいてはあっという間にわれてしまうことは確かだ。


 ここまでの春山の様子からないとは思うが、俺に危害を加えようとしている可能性だってある。楽観的な考えは捨てるべきだ。


 俺は気を引き締め直し、相手の出方でかたそなえた。


 まず聞こえたのは乾いた音。それが拍手はくしゅの音だと気づいた時にはソイツは椅子を回転させ、俺たちの前に姿をあらわしていた。


「——くっくっく、待っていたよ浅嶺賢治あさみねけんじくん」


 ラボを反響する音の中、ソイツはゆっくりと椅子から立ち上がり、俺に向かって笑いかけてきた。


「ようこそ、我が秘密結社へ。歓迎するよ」


 一歩また一歩と近づいてくるにつれ、俺はソイツの顔をしっかりとおがめるようになる。


「え……」


 どんな悪人ヅラが出てくるのかと警戒していたが、しかしその顔を見て俺は呆気あっけにとられることになった。高めていた警戒も、高まっていた恐れも霧散むさんし、ただ呆然ぼうぜんとソイツの顔を見続けた。


 俺の目に映し出されたのは、白衣はくいをなびかせ、口元に笑みを浮かべる女。いや、その外見は女というよりも少女と言った方が正しいか。


 だが俺が驚いたのは相手が少女のような見た目だったからではない。


 ——俺はこの少女を知っていた。


 というか、賀茂橋かものはし生であれば誰だって知っている。たとえ春山紅葉を知らなくても、きっと彼女のことは知っていると断言できるほどに、彼女は俺たち賀茂橋生にとっては絶対の存在だった。


「紅葉から連絡があった時はどうなることかと思ったけど、うん、存外ぞんがい楽にことが進んでよかったよ」


 黄昏たそがれのようにかがやく金色こんじきの髪をもつその少女は、学校で見かける姿となんら変わらない様子で微笑ほほえんでいる。


 その小さな身体で制服の上に白衣をまとった姿は、学校では俺たち下級生からもコスプレみたいだと揶揄からかわれているが、この場所においては違和感なく溶け込んでいた。むしろとてもよく似合っている。


「な、なんで——」


 だが、似合っているからといってこの場にいることを許容できるかというと、それはまた違う話だ。不敵に笑いながら、ゆっくりと迫ってくる少女に、俺は声を張り上げた。


「——なんでうちの学校のがこんなところにいるんだぁ!?」


 少女の名前は神藤真昼しんどう まひる。賀茂橋高校に通う三年生であり、俺たち賀茂橋生にとって、絶対の支配者かつマスコット的存在。


 ——我が賀茂橋高校第四〇代目生徒会長その人だった。


「くふふ、いいわねぇそのリアクション。完璧だよ。後ではなまるをあげるわ」


 俺の驚愕した様子を見て、会長は実に楽しそうに笑った。その仕草に、俺は目の前にいるのが本当に会長なのだと確信する。


 しかしいったいなぜこんな場所に会長がいるのか、全くもってその理由がわからない。俺の頭はもう混乱を通り越して幻想げんそうでも再生し始めたのだろうか。もしそうだとしたら、だれか早くこのふざけた幻想をぶち壊してくれ。


 だが俺の狼狽ろうばいした様子にも構わずに会長は足を進めると、遂には俺たちのもとまでたどり着く。そうして呆然と立ち尽くす俺に対し一瞬だけ柔らかな微笑みを見せたあと、会長はまず春山に視線を向け、ねぎらいの言葉をかけた。


「ありがとね、紅葉。ここまで彼を連れてきてくれて。疲れたでしょ?」


 しかし当の春山は明らかにしょんぼりとした顔を浮かべ、


「……ごめんなさい、真昼。わたしのミスで先輩に指輪を拾われちゃったから」

「もー、それはもういいって言ったでしょ? そんなに気にしないでいいの。誰にだってミスのひとつやふたつ犯すことくらいあるんだから。大事なのは、これから気をつけることよ」

「……うん」


 子どもにしか見えない外見とは裏腹うらはらに、威厳いげんのある、けれど優しさのこもった言葉を発し、会長は春山の頭を撫でていた。


 その光景はともすれば、おさない子ども(会長)とその姉(春山)が飯事ままごとをしているようにしか見えなかったが、不思議と俺の目には会長が大きく映った。


 それから会長たちは何度か言葉を交わし合った後、春山を部屋の奥へと退散たいさんさせた会長は俺に向き直る。吸い込まれそうなくらい綺麗な琥珀色の瞳が怪しく光っていた。


「さて、と。——あらためてようこそ、浅嶺くん。アタシたちの拠点へ。歓迎するわ」

「は、はぁ……よろしく、お願いします……」


 差し出された手を握り、よくわからないままに俺は会長と握手あくしゅをする。いまだ夢だという可能性に一縷いちるの望みをいだいていた俺だったが、残念ながらやはりここは現実みたいで、会長の手は実体を持っていた。見た目どおり小さく柔らかな、あたたかい手だった。涙が出そうだった。


 握手を終えると、会長はその長い髪を優雅ゆうがな仕草で払う。ラボ内にただよう薬品の匂いに混じって、シトラスの淡い香りが俺の鼻腔びこうをくすぐった。その匂いと学校で遠目に見かける会長との違いに、俺は自分の心がざわついていくのを感じた。


 その理由に心当たりはなかったが、あるいは猛禽類もうきんるいにらまれたウサギとはこういう気分なのかもしれない。会長の立ち居振る舞いには人を緊張させる何かがあった。


「——ま、知ってるとは思うけれど」


 と、しかし俺の内心など知るよしもない会長は不遜ふそんな態度をくずさずに告げる。


一応いちおう名乗っておくわ。アタシは神藤真昼。天才よ」

「は、はあ……二年の浅嶺賢治っす。よろしくっす」


 なんとか言葉を返した俺だったが、予期しない会長の登場にみだされた思考はいまだ回復していない。猫じゃらしを向けられた猫も同然だった。


 ゆえに俺は得意げに微笑み続ける会長を前にしても、


『……いるんだな、……自分のことを天才って自己紹介する奴……』


 そんなバカみたいなことをぼんやりと考えていたのだった。


 

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