第1話 残る悲しみ

「うわあああああっ!」

 男の叫び声がする。隊舎に戻った一花と春が敷地内に足を踏み入れて最初に聞いたものだった。急いで中に入ると令の恋人である千早薫チハヤ カオルが令の亡骸にしがみついて泣いていた。

 令の遺体は血が拭われて姿は綺麗にはなっていたが、吸血鬼の噛み傷だけが痛々しく残っていた。

「令!令っ!令……!」

 何度も彼女の名前を呼ぶ。しかし、もう彼女は戻ってはこない。一花がその手で殺したからである。

 いつもと同じ光景、何度も見た光景、これからも見る光景。

 大切な人を亡くした誰かを、そうして涙を流す誰かを、あと何回、"それ"が"当たり前"になって……怖い、と一花は思った。そのことが当たり前になっていることに、自分にそれが染み付いていて怖かった。

 そんな思考をしているとは、つぶさに出さず一花は薫の前に行きしゃがむ。

「そうちょ……う?」

 薫だけではない。一花のいつもとは違った行動を誰もが不思議に思った。

 そんなことではいつも謝らないのに、謝るのかと思った人もいた。またある人は、泣いてなんかいないで前を見ろと言うのだろうかと思う人もいた。

 兎にも角にも、一花のいつもとは真逆の行動に皆が驚いた。

「これ」

 ポケットに手を入れ、ハンカチを差し出す。そして、もう片方の手でそっと包みを開いた。

「なんで……」

 包みの中身を見た薫は驚いた顔で一花と彼女の手を交互に見た。

「令の指輪。貴方があげたモノでしょ?」

「それは……そうですけど……。でも、なんで……」

「聞いていたから、令に。この婚約指輪のこと」

 ざわついた。誰もそんなことを知らなかった。そんな話は一度も聞いたことが無い。優でさえ、驚いて薫を見た。誰もが薫を見た。

 一花だけが知っていた、令と薫の秘密を。だからこそ、自分が撃った。秘密を知る人間として、責任感から来た行動だった。

「そう……だったんですね。貴女には……伝えてたんですね……」

 じっと薫の目を見て頷く。

「――僕にだって、教えてくれてもよかったのに。総長に言ってたこと。アイツ言わずに…」

 再び流れそうになる涙を堪え、震える手で薫は指輪を手に取った。

「ありがとう……ございます」

 両手でギュッと令の指輪を握り、目を瞑った。

「令……」

 薫はもう涙を流すことは無かった。今まで薫の後ろに立っていた優が、薫の隣に来て肩を抱いた。

「……」

 それを見ていた一花はもう大丈夫だと思ったのか立ち上がると振り返りもせず、自分の部屋に向かっていった。

「っ……」

 その後姿を見て口を開きかけた春だったが、彼女はそうしなかった。

「いいのか?」

 春の様子を隣で見ていた涼が声をかけた。

「えっ?あっ、うん……」

 誰も見てないと思っていた春は一瞬驚いて涼を見た。

「今はほっといてほしいだろうし……それに……」

「?」

「一番つらいの、総長だと思うから……」

 小さくなっていく一花の姿を見て、春は辛そうに見つめていた。その手が服の袖を強く握りしめていたことを涼だけが知っていた。




   ♢  ♢  ♢


 1人、自室である部長室の前まで戻った一花は、もたれかかるようにして扉を開けた。そして、そのままフラフラと中に入り、壁にもたれかかるようにして、地面に座り込んだ。

 雨でぬれた体が床を濡らしていく。一花は俯いていたが、その目は何も見ていない。自分が息をしているかもわからない。それくらい虚ろだった。




 一花は17という若さでこの組織を率いていた。普通なら高校に通い、友人達と楽しく過ごしている頃だ。

 ――それなのに、自分は。

 こうしてここで、この組織全体を率いている。一番大変なこの場所で戦っている。それ以外、道が無かったことは自分でもわかっていたし、頭では理解していた。誰かが"総長"という役割を担わなくてはいけなくて、その地位ポジションに自分がなるしかないのもわかっていた。

 それでも、17という若さは彼女のいる場所では若すぎた。毎晩毎晩、戦って、人も吸血鬼も多く亡くなる。そして、亡くなった人を見たその家族は、恋人は、友人は!毎日毎日、誰かが泣くのを見るのは17という若さには酷なことだった。

 それに、今回圧し掛かったのはそれだけではない。吸血鬼の牙から守れなかったこと、そして掟のために撃たなくてはならなかったことは彼女の心にまた一つ影を作った。

 令が亡くなってしまったのは、一花のせいではないという人もいるだろう。令の注意力散漫なところが原因で、それは彼女の自業自得だという人も中にはいるだろう。それは間違いではない、確かにそれもまた、一つの原因であることに変わりない。

 しかし、助けられたかもしれない人間を助けられなかったということもまた事実である。一花が一瞬、動けなかったのもまた事実である。あの時動いていればと考えてももう遅い。彼女は亡くなってしまったのだから。結婚という幸せを目の前にして。その事実を彼女自身を責める材料となる。

 そして、その後のことも。一花をまた苦しめる。起きてしまったことは仕方がない。対処をするしかない。それでも一花は誰かに任せる気にはなれなかった。誰かに押し付けたくはなかった。見知らぬ人ならまだしも、良く見知った仲間だ。仲間に仲間を殺させるようなことはしたくなかった。こんな苦しくて辛くて、そんな気持ちは他の誰にも知ってもらいたくなかったのだ。ならば、自ら。それも一花は嫌だった。なんとなく、天国には行けない気がしているからというだけの理由でだが、それでも一花は嫌だった。

 だったらと、やはり一花は避けられない汚れ仕事は自分がやろうと思った。たとえ、誰かに恨まれようとも、憎まれようともそんな所業は自分一人でいいとそう思った。――事実、優も薫も一花のやった行動に納得はしているものの、恨んではいたのである。


 ポタリポタリと、垂れる水滴を見つめる。ふと一瞬赤く見えた。

「っ……」

 無残な光景が頭に焼き付いて離れない。泣き叫ぶ声、悲鳴、銃声。それが耳から離れない。しかし、それも仕方のないことだと一瞬で納得ができてしまうと額縁の中で起こっているように思えた。誰かの大事な人たち奪ってきた。いつしか、それも額縁の中で起こっていることとしか思えなくなっていた。そんなことをしても一花の目から涙が流れることはもうない。今更、普通に過ごせるわけが無い。

「……人じゃないみたい」

 ポツリと呟いた言葉がこれだった。言葉に出してみると自分の状況がよく理解できた。人が死んでも涙が出ないなんてと自分を蔑んでも、何もない。涙が出ることは無い。自嘲的に笑うしかなかった。



 時間が経ったのか、経ってないかはわからない。突然誰かがドアをノックした。

いつもみたいにテキパキとではなく、ノロノロと立ち上がり、扉を引いた

「総長!!」

 扉を開けた瞬間、目の前に春の顔があった。

「……春。何の――」

「ブレザー、お借りしたままだったので!って、総長!ダメじゃないですか!」

 突然大きな声を出される。

「は?」

 頭が回転しきっていないのと、突然のダメ出しに珍しく間の抜けた声が出た。

「は?じゃないですよ。濡れたままだと風邪引きますよ!」

「風邪は引かない」

「そんなことは知ってます!それでもです!」

 そう言うと、春は一花の手を引っ張り部屋の中へ。そして、風呂場へと強引に連れていく。

「お風呂入ってください」

「いや、後で」

「今!すぐに!」

 珍しく一花に有無を言わせぬいい方で春は言う。怒ってくれている、他のだれでもなく、私のために――それがわからない一花ではない。

「わかった、わかったから」

 こうなった春は引かない。素直に従うことにしたのである。

「監視してますから、ここで」

「いや、いいのに」

「ダメです。総長、自分のことはすぐ後回しにするんだから」

「はいはい」

 それは自分でもわかっていることだったけれど、春に言われると認めるしかない。

「ほんとにわかってます~?」

 春の顔が近づく。

(相変わらずかわいいな。一つ年上のくせに)

 呑気なことを考える余裕がようやくできてきた。

「わかってるよ。ありがと」

 それだけ言うと後にしようとしたお風呂に入ることにした。



「そういえばですけど」

 風呂場の外から声がする。どうやら監視すると言ったのは本気だったらしい。

「式の手配、しましたよ」

「ありがとう」

 浴槽のお湯を顔にパチャンとかけた。そして、そのまま顔を覆ったまま大きく溜息をつく。

「んーーーーー」

 立ち止まってはいられない。パンっと両頬を叩く。

「何時から」

「えっと、今が7時ぐらいなのであと3時間後の10時からです」

「わかった。それじゃあ、みんなに終わったら休むように伝えといて」

「了解でーす」

 これで一人になれるかなと思ったとき、風呂場の扉が勢いよく開く。

「総長の制服、洗っておきましたから!」

「う、うん」

予想外のことと、予想外の発現に吃驚して反応が薄くなる。

「ゆっくり温まってくださいね!」

「うん」

「私が戻ってすぐにあがっちゃダメですからね?」

「うん」

「ほんとですか??」

 しかめ面を向けてくる。春は昔と何も変わらない、一花にとってはそこに安心感があった。浴槽の枠に腕を載せて春を見上げる。

「うん」

 いつもより少しだけ笑顔になれる。辛いことがあっても春がいると元気になれる。

「じゃあ、行きますね。失礼します」

 そう言うと、会釈をし扉をしめ出ていった。

「あーいうところ、変わらんないな」

 子どもっぽいというか、それでいてどこか大人なところがある。春はそんな人間だった。そして、春は一花にとって暖かさをくれるかけがえのない"幼馴染"であった。

 もう少ししたら出よう、のぼせちゃう。そう思った一花は温まるために肩まで浸かった。



風呂からあがり、髪を乾かす。いつもより念入りに櫛を通す。

そして真っ白なYシャツに手を通し、スカートを履く。ネクタイを着け、いつも着る色ではない黒いブレザーを着る。春が洗って乾かしておいてくれたのだろう、部屋の机の上には腕章が置いてあった。その腕章をつけ、ピンを挿す。

終わったところで、コンコンという音がする。

「入って」

「失礼します」

ノックしたのは涼だった。彼も一花と同じように黒いブレザーを着ている。彼は扉を押し部屋に入ると一花に向かって一礼する。

「式の準備、整いました」

「わかったわ。参列する人はどれくらい?」

「家族の方だけですので、200人くらいかと」

「そう……。式まではあと……」

「2時間程です」

「あと30分したら、参列者を会場に。私も向かう」

「了解しました」

「「……」」

いつものやり取りだった。そしていつものように無言の時間が流れた。

「動きましょう」

いつものように、一花が言う。

「そう……ですね。はい」

涼は自分を納得させるように何度か頷くと失礼しますと言って出ていった。

一花は、机の後ろの棚の上にある見事な装飾が施された飾太刀かざりたちを取ると、刀を差した。

扉の前まで行き、鏡で確認する。何度見ても、見事な装飾だ。式のためだけに作られた飾太刀だった。

でも、自分には似合わない。いつもの使い慣れた刀の方がやはり似合っている。

「皮肉なものだな……」

戦うための武器が似合うなんて。はぁと息をつく。

(最近、溜息多いな)

すぅと息を吸う。

「よしっ」

そう言うと前を向く。部屋を出た一花は春や涼達の元へと向かった。

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