第2話 終わらぬ別れ
火の海が消える。一花が魔法を終息させたのだ。地面や建物に傷一つ付いていない。怒りで魔法を使ったように思えたが、そうではなかったらしい。頭は冷静だった。
「―令。」
抱きかかえた令を見下ろした一花の顔は険しいものだった。吸血鬼の血の匂いだけではない、それに混じって他の匂いもする。いつも嗅ぐ匂いと違う、気が付かないわけが無かった。
「そんなっ!」
春が口元を手で押さえる。涼や他の面々も俯いていた。
「総長…すいません。最後まで…迷惑、かけてばっか…」
そう言う令の目には涙が浮かんでいる。自分の置かれている状況がわからない娘ではない。助からないからか、迷惑をかけると思ったからか、悔しいからか、全てだろう。それを感じ取っていた一花は、首を横に振った。
「令、いいよ」
表情は変わらないが、いつものぶっきらぼうなものとは違い、優しさが含まれている口調。そして、泣かなくてもいいというように令の涙を指で拭った。
「令っ!!」
「優…お姉ちゃん」
令の姉である
「何、してるの!!バカっ!」
「ごめ…」
「ごめんじゃないでしょ…!そんな、なんで…」
崩れ落ちた優の頬には涙が伝っている。令を見た優は
「うっ、うあ…なんで……そんなのっ!そんなのない嫌っ!嫌よ、なんで…令…私より先に…」
叫ぶように言い放つ。そんな優の頬に令の手がそっと触れた。
「お姉ちゃん」
涙で潤んだ瞳で令を見る。優を安心させるように令は微笑んでいた。
「泣かないで。お姉ちゃん。いいんだ」
令は自分を納得させるかのようにコクンと頷いた。
「いいんだよ。いいの。私…幸せだったから。風の噂でここのこと聞いて、憧れてたここにお姉ちゃんと一緒に入って。総長や春副長、木葉副長、忍さん達、それに
そういう令の手は小刻みに震えている。自分に残された道は一つしかない。後悔はないとはいえ、それに恐怖を感じることは当たり前だった。
「令…」
ギュッと令の手を優が握る。
「でも」
「ん?」
「アイツなんて言ったら
令の覚悟を知った優は、いつもと変わらない、姉妹で話をする時の口調で言う。
「それは!いいのここにいないんだから!」
ぷくっと頬を膨らませて令は言う。いつもと同じ拗ねるフリ。いつもと変わらない会話だった。
「あっ…」
思い出したように、優に握られていない空いた手で、令は耳に手をやると、優に向かって手を差し出した。
「お姉ちゃん」
「これ…」
令の手の上には真っ青なサファイアのピアス。亡くなった優と令の父の、ルビーとサファイアで一対だったピアスだ。このピアスを彼女達の母親は、父がいつも見守ってくれるようにと、彼女達がこの組織に入る時、優にはルビー、令にはサファイアのものを渡していた。その時から、二人は肌身離さず毎日着けていたのだ。
「持っていて、私の代わりに」
「うん」
大事に令の手から優は受け取ると、ギュっと握りしめた。それを見た令は一花を見上げる。
「総長」
二人のやり取りをじっと見つめていた一花に声をかけた。
「うん」
「やっぱり言わせてください。その、最後までご迷惑をおかけし申し訳ありません。それと…」
令は言葉に詰まり、声が震える。
「それと…」
涙が令の目から零れ落ちた。
「今まで、ありがとうございました」
暗い夜なのにそこだけ光ったような笑顔で、その一言をようやく告げた。一花は黙って頷くと、地面に置いていた銃を手にした。
「待って、ください」
スカートを握りしめている優が一花を引き留めた。
「私が…」
「ダメよ」
即座に一花は優の言葉を遮り止めた。
「ダメよ、肉親殺しはさせられない」
「はい、ありがとう…ございます……」
俯いて、優はそれだけ言った。これ以上、彼女が一花に言えることは何もなかった。
「では、掟に従い、浅葱 令。貴女を処します」
「はい」
令は目を瞑り、一花は令に銃口を向ける。
「あなたに神の祝福があらんことを」
言葉の終わりと共に、引き金を引く。銃声の後、煙の臭いと共に人の血の匂いが充満する。令の手が、優の手からスルリと落ちた。
「うわあああああああ!!!あああ!!!う、あ…」
令の亡骸の横で、優は嗚咽混じりに泣いた。声を上げて、声が枯れても泣いた。その様子を春や涼、他の隊員達は辛そうな顔で見ていたが、唯一、一花だけは無表情でその様子を見つめていた。そして、手を伸ばし、令の手から何かを取ると、優しくハンカチで包んでポケットにしまう。そのことを優を見ていたため誰一人気づかなかった。
それが終わると令の首から、彼女が身に着けていたペンダントを取り、令の手に巻き付け、令の手を彼女の胸の上で併せた。そして、令に向かって頭を下げると、立ち上がり、振り返って歩こうとして立ち止まった。
「春」
「はい」
春は涙を流していた。
「優をお願い」
「了解、しました。総長は?」
「他のエリアへ。涼」
顔だけ涼の方に向ける。涼は涙を堪えているような顔をしていた。
「はい」
「後からでいい。他数名連れて来て」
「了解」
何事もなかったかのように、テキパキと指示を出していく。それだけすると一花は歩き出す。その姿が闇に溶け込み消えたころには、涼や他の隊員達も動き出した。
あとに残っていたのは、妹の死を悲しむ姉と、それを守る上司だけだった。
一花達はその後も討伐を続けた。
負傷者も、死者も、そしてまた、令と同じ運命を辿った者も多くいた。
そして、いつもと変わらず日が昇る。日の出と共に吸血鬼は姿を消し、また一日が始まった。
♢ ♢ ♢
日の出を一花はビルの上から見ていた。その日の被害の数を通信で聞いていた。
毎晩どれだけ戦っても無情にも明日は来る。そうして、また夜になり戦う。そうしてこの戦いは続く。そんなことを毎日、日が昇るたびに一花は考えていた。
「総長」
「春」
考えを止めるかのように春の声がする。
「全員帰路に」
「わかった。
通信機越しに名前を呼ぶ。
『はい』
名前を呼ばれた
国家の機密である吸血鬼を一般市民に知らせることがあってはならない。そのためにこうして結界を張り、人払いや見たモノを忘れる術等の様々な魔法を巡らせていた。
「帰っていいよ。お疲れ様」
『ありがとうございます』
プツンと通信が切れる。術や結界が無くなったことを確認すると、通信機を耳から外す。ようやく、最後の仕事が終わったのである。
溜まっていたものを出すように長く息を吐く。そして、静かに息を吸った。
「帰りましょ、総長」
それが終わるのを待っていたのだろう。春が声をかけた。
「うん」
こうして一花も帰路に着いた。一花も春も喋らないまま無言の時間が続いた。一花はひたすら前を歩き、春は俯いて一花に続いた。
「あ」
突然沈黙が破れ、一花の頬に何かが当たった。
「雨だ」
「狐の嫁入りだね」
「そうですね」
狐の嫁入りは吉兆の証。珍しいものなので一花も春も立ち止まる。
狐の嫁入りは吉兆だというのに。今日も助けられなかった命があったと、そういう思いが顔を出す。
雨はポツリ、ポツリと降っていたのが水量が増えていく。再び歩き出した一花達の身を濡らしていく。
「総長、濡れて…」
「いい、大丈夫。春、ありがとう。それよりも春が」
そう言うと、振り返って、後ろを歩くブレザーを春に被せた。
「えっ、だめですよ!」
「いいの。お願い」
春の言葉を遮って、半ば強引に春にブレザーを貸す。いつもの口調ではなく、一花と春だけの時の、いつもより少しだけ感情のこもった口調で、春に有無を言わせないようにして一花はYシャツ姿になった。
「汚れだけ気を付けてね」
着ていたYシャツもブレザーも血で染まっていた。無論春もそうなのだが、一花は比ではないほど染まり、黒くなっていた。
そうして、3分も経たぬうちに一花は全身を濡らしていた。
一花は雨が好きだった。全てを洗い流してくれる気がするからだ。血も、穢れも、自分がしたこと、自分の罪も全て。例え、泣いていたとしても涙を流してくれる、そんな雨が一花は好きだった。
サーという雨音に一花がついたため息が吸われる。
今日は一班全滅することは無かった。だけど、死傷者が多すぎた。良くて負傷者だけ、最悪何班かの全滅。
何年も武器を手にしていない日なんてない。周りも疲弊している。大事な人を亡くした人が多すぎた。大事な人が亡くなるところを何度見た、何度見せてしまった。あとどれだけ人が死ぬのだろう、どれだけ人が傷つくのだろう。あとどれだけ…
しかも最近は毎晩現れる吸血鬼の数が増えている。国は機密にしているが一般人への被害も出ている。編成を考え直さねば。もっと鍛えなければ。
――いつか、必ず。誰もが武器を手にしない日を。
――人が吸血鬼によって亡くなることが無い日を。
一花は一歩を進めるたび、そう心に刻み付けていた、いつものように。
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