朝陽大輝のお気持ち長文



 言っても良かったが言わずに一人で出掛け、周りを濃い木々に囲まれたちょっと不相応なんじゃねえかと感じるほど静かな墓地にやってきた。やってはきたが中に加奈子はいない。大半は捨てた、主に俺が。あと長髪の不能野郎が。

 清瀬と結局同居することになり、それなりに上手くはやっており、区切りというか、締めたい気分に一応なった。道中買ってきた花を添えるが要らなかったなと添えてから思う。柘榴のように開いた頭部の惨さはほとんど忘れている、様々な事態に見舞われたが情の薄さがそう変わるわけではないらしい。当時は付き合っていた女に対してこうも心が動かないとは我ながら驚くが、まあ、実態を知った今では仕方がなくもある。

 墓場の前には数分立っていた。夏が近付いているためじわじわ暑くなってくる。そこでじっとしてろよ清瀬加奈子。死人に言っても無駄だが脳内で話し掛けてから踵を返した。昼下がりの空模様は明るい。


 帰宅すると玄関先で早速清瀬に飛び掛られた。抱き留めたが重力はかかるし普通に邪魔だ、引き剥がしつつ横目で見ればにっこりと笑われた。

「おかえりなさい、朝陽さん。お昼ご飯作りましたよ、はよ食べてください」

「ああ、……何処行ってたか聞かねえのか?」

「聞きたいけど聞きません」

 なんだそれは、と思うには思うが伝えず家に上がる。テーブルにはきのこ類を使った和風のパスタとサラダが置かれていた。清瀬も食べずに待っていたらしく、俺が食卓に着けば正面に座った。何か雰囲気が違うなと一瞬考えるが、髪をまとめていないからだと合点がいく。肩の後ろに流された長髪は屈めばざらりと前にこぼれた。

「縛れよ」

「ん、ああ、砂糖の袋開けたんやけど、とめ具があらへんかったから……」

「髪ゴムで縛ったのか?」

「そうです、あかんか?」

「衛生的に大丈夫なのかよ……」

「洗って消毒液かけてから使たから平気です、多分」

 清瀬は邪魔そうに髪を流してからパスタを食べ始める。たまに恐ろしく杜撰なことをする男だが、その大胆さで俺のところに通い続けたのだとももう知ってはいる。

 後で髪ゴムを買いにいこうと言ってからパスタを食べた。出汁が効いていて美味かった。俺が食べている間に清瀬は食べ終わり、サラダも空にし、切って置いてあったらしい林檎を出してきてしゃくしゃく齧っていた。

 随分元気になったと思う。俺のことを大嫌いだと、加奈子じゃなくて俺が死ねば良かったと、嫌がらせをし続けるしか出来ることがないと言っていた時の清瀬隆は、今の姿を見ても自分だとは思えないだろう。

「……、何見とるんですか、顔に食べ残しでもついてますか?」

「いや、ついてはない」

「ほななんですか?」

 回想に入っていただけだ。それも結構、自己都合の強い方向性の。口に出さず無言で見つめていると清瀬はうろたえ始める。林檎を食べるのを止め、残りは俺の近くに置き、隣の椅子に腰を下ろした。それから寄りかかってくる。縛れない髪の先を手持ち無沙汰そうに弄びつつ早く食べてくださいとそわついた声で要求されて、はじめは何を考えているのかまったくわからなかったのに今は手に取るようにわかるから、時間というのは降り積もるものだとつくづく感じる。

 要求通りにさっさと食べ終わり、嬉しそうにする清瀬の腰を引き寄せてソファーまで連れて行く。昼間から始めるつもりはなかったのでそれなりにじゃれ合うだけの時間を過ごしてから、髪ゴムを買いに出た。ついでに買い物もして、本屋に寄ってお互いに目当てを物色し、夕暮れ頃には帰宅した。

 いつも通りの休日だ。清瀬は買ったゴムをその場で出して髪を縛り、料理の本を持ってきてどれが食べたいか尋ね、児童心理学の本を真剣な顔で見つめていた。

 清瀬が何を考えているのか、俺をどう思っているのか、どう過ごしていきたいのか、すべてとは言わないが大体は読み取れた。

 でも今日はひとつだけわからなかった。

 加奈子の墓へ行った俺に、何処へ行っていたのか聞かなかった理由が思い当たらず、ちょっとした疑問として残った。


 友人である海沼大河うみぬまたいがと久々に会ったのは清瀬と同居を始めてからだった。加奈子が自殺して以降、清瀬に毎日のように訪問を受けていたこともあり、友人とはあまり連絡をとっていなかった。そのため大学時代の友人から飲み会をしようと連絡があり、諸々落ち着くには落ち着いたので行くかという気分になった。

 清瀬は寂しそうだった。俺がいない夜を過ごすからではなく、友人という立場の人間が良二のみだからだ。シホは友人ではあっても飲みに行くような年齢ではないし、清瀬はそもそも、加奈子がいた間に加奈子以外と過ごす時間はほとんどなかったせいで、学校に通う年齢の時につるんでいたような友人がいないどころか、小学生の頃は傷のせいでいじめにまで遭っていた。その空白に、いや、汚濁に等しいような時間を、多分清瀬は寂しがっている。俺が出掛けるまでの間、傍を離れなかった。寄りかかって甘えたようにしながら、朝陽さん、友達を大事にしてくださいねと、取り戻せない時間の方向を見つめて話し掛けてきた。

 だから飲み会で、余計な首を突っ込んだ。海沼は大学時代よく遊んだ友人であり、妙にお人よしだとも知っていたから、何かに巻き込まれかけているように見えて、つい助言した。

 そのあとに俺は自分が少し変わったのだと自覚した。大体は清瀬の存在によるものだった。

 俺は加奈子に聞いてみたかったのだろう。あの女の墓前に立って、俺は前の俺とは違うけど、お前から見てどうだと。答えるわけもない墓石に向かって無言で問い掛けたのは結局のところ逃亡であり自問自答だ。わりと笑えた、自分自身に一番興味がなかった気がするのに、今はまた清瀬の腕をへし折らないように自分をそれなりに大事に扱っていくしかねえなと考えている。


 諸々の問題を片付けたらしい海沼が礼をしたいと言ったので、どうするか悩んだが、家に呼んだ。清瀬にも友人を連れてくると断りを入れれば思いのほか満面の笑みで受け、

「朝陽さんの友達に会うの初めてや! 夕飯食べて行かはるんですか? 俺も話させてもろてええ?」

 とかなり乗り気で準備を始めた。

 やってきた海沼は玄関を開けるなり面食らっていた。同居人がいると説明していたが、彼女か婚約者か嫁かとにかく、女だと思い込んでいたらしかった。

「海沼さん初めまして、清瀬です」

「あ、初めまして。すっごいこう、髪長いですね、似合ってます」

「敬語やなくてええですよ」

「ああいや、そういうわけにも」

「どっちでもいいから入れよ海沼。メシ食っていくだろ?」

「え? いいんだったら、じゃあ、食べて行くけど……」

 まだ若干面食らったままの海沼を中に招き入れ、清瀬を交えて近況報告を聞いた。明らかにまずそうな人間に気に入られてまんまと嵌められてしまったがどうにか収束したという話で、清瀬は聞き終わるなり海沼に寄り添った労いを投げた。海沼は一瞬戸惑ったようだったが、清瀬の職業やら話せる範囲の生い立ちを聞かせれば、今度は海沼がしゅんとした。

 食事自体は和やかに進んだ。清瀬が異様に気合を入れて作っていた料理はいつも通り美味かったし、清瀬に慣れたらしい海沼は大学時代の俺との思い出や現在の仕事について話し、酒を勧めればそこそこ飲んだ。清瀬は海沼を気に入ったようで終始嬉しそうだったし、楽しそうだった。

 それにほっとしていたのだとは、海沼と二人になった時に指摘された。

「朝陽、清瀬さんって、朝陽の恋人なんだよな?」

 駅前まで送るために家から出た直後だった。清瀬は家に置いてきたが、正解だった。

「一応、位置づけはその辺りになる」

「朝陽が煮え切らないの珍しいな、俺だってこう、いろいろあったんだからそんなんで引いたりとかないって」

「……そういう問題でもねえっつうか」

 駅前方向に進みつつ、自然と足取りが遅くなる。海沼も黙って速度を落とした。街燈がぽつぽつと道の流れに沿って灯っている。傍を自転車が通り過ぎ、住宅街の中に消えていった。足音が響く。漏れた溜息は無意識だったが、皮切りになった。

「極簡単に言えば、清瀬は俺が唯一どうにか出来た他人だったんだよ。親のせいで友達が引っ越す羽目になったことがあるんだが、その時俺は小学生で何も出来なかったし、親への反抗期も瞬きの間に消えてなくなって消化試合みてえに大学まで進んだ上に加奈子、前の彼女は俺の目の前で飛び降りて死にやがった。加奈子に関してはどうにか出来るようなもんでもないししてやりたいとも思わないがそれはいい。教師になってから生徒の相談やらなんやらも乗りはするが、英語教師の枠を外れるようなことはしないし出来ないだろ、授業は当然まともにやるがそれだけだ。それにお前を含めて、他人っていうのは、遠い。遠ざけてた。でもあいつ、清瀬にはそんなこと関係なかったんだよ。俺しかいなかったのは事実で俺がどうにかしねえと死ぬだろうなって相手だった。それで、どうにか出来たから今は一緒にいる。死ぬまで一緒じゃなくても別にいい。言うなれば大体失敗してきたし不確定な将来像を若干整えるくらいしか出来はしねえだろって思ってた俺が唯一どうにか出来た相手だから、あいつが過不足なくある程度は満足して終わりまで過ごせるんなら、それだけでいい。だから恋人とも事実婚状態とも言い難いし清瀬が俺との生活を喜んでる間は一緒に住んでる、これでわかるか?」

 海沼は目を丸くして聞いていたし、いつの間にか立ち止まっていた。目の端には駅舎がある。向き直るとまず、なげえよと苦笑交じりに言った。

「あのクールで女にモテて何でもそつなくこなしてたような朝陽がそんなこというなんてなあ、普通にびっくりして話全然入ってこなかった」

「おい」

「嘘だって、つまり清瀬さんのことめちゃくちゃ大事って話だろ? それならそれで、なんだろう、俺はいいことだと思う」

「……、そうか」

「そうだよ。今日はありがとう、俺も一応落ち着いたしさ、今日みたいにたまにはメシとか、清瀬さん連れてきても勿論いいから、また遊ぼう」

「ああ、ありがとう。気をつけて帰れよ」

 海沼は笑い、駅に向かいながら一度振り返って手を振った。ずいぶん元気になったようで、良かったなと少し安堵する。

 消えていく背中を見送りつつ、なんだかな、とつい苦笑した。俺が清瀬をどうにか出来たように、清瀬も俺をどうにか出来たのだろう。憔悴していた友人の明るい顔に対して素直に喜べただけで、自分自身が結構驚いている。


 家に戻ると早速清瀬に飛び掛られた。海沼のことは好意的に思ったが人前だと俺が一切触れないのでそわそわしていたらしい。

「おかえりなさい、朝陽さん。立ち話でもしてたんですか?」

「まあ、してた」

「遅かったからそうやと思た。海沼さんええ人ですね、またいつでも連れてきてください」

「……、何を話してたか聞かないのか?」

「そら気になるけど、聞きません」

 清瀬はむくれつつ俺の腕を引く。引かれるまま部屋に入るとまた飛び掛られて、猫かよと思いつつ抱き留め共にソファーへと転がった。ごろごろと顔を擦り付けてくるのでやはり似たようなものだ。

 新品の髪ゴムを奪い、ばさりと垂れてきた髪を指先で弾くように撫でる。清瀬は不思議そうにしながら俺の肩に頭を乗せ、遠慮がちに鼻先を擦り付けてきた。

「気になるけど聞かない理由はなんだ?」

 問い掛けてみると、清瀬はきょとんとした。次いで笑って、そらそうですよ、と柔らかい調子で言った。

「はじめのほうは何もわからんし、朝陽さんが残業で遅いだけで不安やったけど、今はそうでもあらへん。どこに出掛けてても帰ってきてくれるし、海沼さんと何を話してても、不安やったりしませんよ」

 なるほどと思わず漏らせば、清瀬は困ったように眉を下げる。

「せやけど朝陽さんに殴られへんのはちょっと寂しい気もしますね」

「……いや、殴られたいならいつでも殴るぞ」

「え、嫌です」

「どっちなんだよ」

 髪をぐっと掴めば痛い! と威勢のいい拒否が飛んだ。そのまま更に引っ張り上向かせ、唇を重ねてから開放する。ついでに体も起こして退けさせた。清瀬は背中に凭れ掛かり、無言で抱き付いて来る。何故かしおらしいので仕方なく抱き寄せた。そのあとは特に話さず、いつも通り横に座ってお互いスマホを見たり本を読んだりと時間を過ごした。


 真夜中、眠る清瀬を暗闇の中でしばらく眺めた。

 こいつは俺が唯一どうにか出来た相手だった。何も出来ないばかりだった俺が掴めた、崩壊を食い止めたひとつの世界だった。

 そう考えること自体まあまあ重いなと自分にため息を吐きたくなるが、むにゃむにゃしながら名前を呼ばれればどうでも良くなって来て乱れた髪や布団を整えてやってから目を閉じた。

 貴方のことが大嫌いなんですよ。そう言われた日は懐かしくて遠いが、言われていた時の俺を少しは労ってもいい気がする。今の自分を見ても自分だとは思えないだろうが、確かにあったものとして今につながるものとして、どうにか出来るからどうにかしろよと、まどろみながら他人事のように昔に投げた。清瀬の寝息は穏やかだ。だから結構、それでいい。

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