シホちゃんのお手紙・2

 私はソファーの上でねむる癖があり、朝陽はあまりいい顔をしない。物音で加奈子を起こすわけにいかず、自室らしい自室があったわけでもなかったので、リビングの隅に置いたソファー周りを居住スペースのようにしていた。それがずっと染み付いている。

 加奈子の顔を思い出しながら、車窓の向こうをぼうっと見つめた。シホの楽しそうな笑い声が耳に届く。私は助手席に座っていたが、振り向いて覗いてみると、なにやらゲームで遊んでいるシホと健太郎の姿が見えた。一番後ろの席には結衣、シホの母親が座っている。良二は仕事の兼ね合いで来られなかった。

 結衣がふとこちらに気付き、苦笑気味に口を開く。

「ごめんなさい、清瀬先生、朝陽さん。運転をお任せしてしまって」

「いえ、構いませんよ」

 返事をしたのは運転席にいる朝陽だ。良二の車である家族用のボックスカーは運転がしにくいらしく、ハンドルが重い、と私にだけ聞こえるように呟いたが不平はそれだけだった。

「私も主人から話を聞いただけだったので、朝陽さんってどんな方なのかなと思ってたんです。英語の先生なんですよね?」

「そうですね、英語専攻です。結衣さんは以前美容師をされてたって聞きましたよ、だからシホさんも手先が器用なんでしょうね」

「ふふ、確かに私がシホにいろいろ教えました」

 朝陽は笑い声を挟んでから、高速に入るから窓を開けないようにと児童二人に告げる。元気な返事が聞こえてきた。結衣も笑いつつ、はじめのサービスエリアに止まると言った朝陽に了承した。

 じっと朝陽の横顔を見る。お前誰やと言いたいくらいだった。しかし、教鞭をとる立場なのだし、私以外にキレたことはないと聞いたばかりだし、後輩や生徒に好かれているようだったし、普段はこうなのだとは理解している。

 私の知る朝陽は暴言と暴力が通常のサディスト教師なのだが、子供や女性にそんな面は見せないのだろう。

「ジロジロ見るな、言いたいことがあるなら言え」

 前を向いたまま冷静な声で怒られた。

「……いえ、別になんもあらへん」

「そうか」

 なんとなく面白くないのだが、何故面白くないのか上手く言葉にならなかった。

 また車窓に視線を転じ、流れる景色を見つめながら、遊園地か、と随分遠い過去を思い返した。父と母、加奈子と私の四人で、故郷近辺の遊園地に行った思い出だ。遠すぎて褪せているが、三人共故人と思えば、別の感傷が湧いた。

 それから、朝陽はどうなのだろうかと気になった。しかし聞く前にシホから話し掛けられ、聞きそびれたまま車は進んだ。



 日曜の遊園地はそれなりに混んでいた。シホははぐれないようにと健太郎が手を繋いであげており、微笑ましい様子に結衣さんは頬を緩ませた。入場口まで来ると朝陽が手配していたらしいデジタル入場券をスタッフに提示して、長蛇の列に並ぶことなく入園できた。

 何事もそつがない。手際のよさに驚いていると、朝陽はお礼を言う結衣に向けて手を差し出した。

「カメラがあるなら、撮影係もしますよ。小学生二人で乗せるには心配な乗り物もありますし」

「え、でも、そこまでしていただくのは……」

「俺だけじゃなくて、こいつと交代でやりますんで」

 そう言いながら私の肩を掌で叩く。

「俺、カメラ触ったことあらへん……」

「お前ならすぐ覚えるだろ、最近のデジカメは押すだけで勝手に調整してくれるしな。簡単だ」

 結衣は恐縮した様子で小振りのデジタルカメラを鞄から出した。受け取ったのは朝陽で、ふと気付いたように何かを耳打ちすると、結衣さんは笑顔で頷いた。

 なにかもやもやした気分になりつつ、話をしているシホと健太郎を見下ろす。二人は園内地図を広げて乗りたいアトラクションについての相談をしていた。シホの身長では足りない乗り物もあるようだったが、健太郎はほとんどをシホに合わせるようだった。

「健太郎くん、乗りたいものがあるなら言っていいのよ」

 結衣の言葉に健太郎は苦笑いを返す。

「おれ、絶叫系とかは苦手なんです」

「あらそうなの?」

「へえ、俺と一緒だな」

 朝陽が割り込んできて驚いた。健太郎も驚いたらしく、朝陽の全身をまじまじと見つめている。それ以上朝陽は何も言わなかったので話題は消えて、はじめに乗るらしいコーヒーカップの方向へ歩き始めた。

 園内には楽しげな音楽が流れている。あちこちに家族連れやカップルがいて、誰もが浮き足立って見える。地図によれば中央広場にきぐるみなどがいることもあるようだ。

 コーヒーカップには私と朝陽以外の三人が向かった。その間に朝陽は私の傍に来て、デジカメの操作方法について説明を始めた。操作はおもいのほか簡単だったため、練習を兼ねて三人の姿を何枚か撮らせてもらった。

「清瀬」

 朝陽は腕組みをしつつ、園内の最奥にそびえる巨大観覧車を見上げていた。

「なんですか」

「人間はな、思い出を切り取るんだよ」

「え?」

「そのカメラで」

 視線がこちらを向く。どう返せばいいのか、困っていると先に苦笑を返された。

「加奈子は撮られるのを嫌がったっていつだったか言ってただろ」

「ああ……はい、スマホ向けると笑顔で罵倒されます」

「……その理由は知らないしどうでもいいことだが、お前は本当にもうちょっと、俺の言うことを聞こうって頭になれよ」

 意図がつかめないまま一先ず頷く。その間に三人が戻ってきて、私のところまで走ってきたシホに次は一緒に乗ろうとせがまれた。

 シホが指差すのはメリーゴーランドという代物だったが、指の方向を見る前に頷いていたので、シホと健太郎と三人でかぼちゃの馬車に乗ることになった。朝陽と結衣が並んで笑っていたのが、ぐるぐる回っている間に何度か見えた。

「朝陽さんは、清瀬先生の友達なんですか?」

 メルヘンな曲と共に回りながら放たれた健太郎の質問には、シホが代わりに返した。

「けんたろうお兄さん、あさひさんはきよせ先生のかれしお兄さんやで」

「彼氏お兄さん?」

 うん、と頷きながらシホはにっこりと笑う。説明を求めるような目を健太郎に向けられて、少し困る。

「……どうやろ、一緒に暮らしとるけど、ほんまはなんなんやろな」

 恋人だと思ってはいるが、そういう話をしたわけでもなく、朝陽が私をどう映しているのかは結局不透明、のように思う。

 小学生二人にそんな話をするのはどうかと話題を切った。同時にメリーゴーランドも止まり、健太郎は考えるような素振りをしていたが、何もいわないままシホの手をとり、馬車から降ろしてあげていた。


 シホの要求に沿ってマイルドなアトラクションを選び続けた。途中でレストランに入り、にこにこと笑っているシホとその隣にいる健太郎の写真を朝陽が何枚か撮った。

 健太郎は朝陽に興味があるようで、何事かを話しかけては素直に驚いたり、目を輝かせたりしている。レストランから出た後に聞いてみると、どうも英会話スクールに通っているらしかった。それで、英語教師に親近感や憧れの気持ちが湧いたという。

「英語は便利だよ、学区が違うから俺の生徒になることはないだろうけど、わからない時は聞いてくれていい。健太郎のおばさん……野口先生は俺の同僚だしな、話すタイミングはこれからもあるだろう」

 朝陽は丁寧に話し、頷く健太郎の頭をぐしゃりと撫でる。そつのない対応に驚いていると、下からくいくいと袖を引かれた。シホが笑顔で私を見上げていた。

「きよせ先生は、ジェットコースター乗れるん?」

 数秒考えた。遊園地自体、二十年ぶりくらいだ。乗ってみなければわからない。

 考えた通りに伝えると、

「ほないこ!」

 とすばやく手をとられた。どうしよう。悩んでいる間に朝陽が寄ってきて、カメラを結衣さんに渡しながら自分も行くと言う。

「えっ? 絶叫苦手やないんですか?」

「苦手だな」

 朝陽は表情も変えずに淡々と話し、シホ側に移動すると流れるように手を差し出した。シホは嬉しそうにしながらそれを握り、私と朝陽の間でぶらぶらと両方の手を揺らした。

 ジェットコースターはシホの身長がぎりぎり足りていた。後ろのほうに三人並んで座ったが、大丈夫なのかと朝陽をつい心配する。

「苦手にはいろいろ理由があるだろ」

 私の視線に気付いて朝陽が溜息混じりに話す。

「怖いとか吐きそうになるとかじゃねえよ、どっちかと言えば逆だ」

「逆……?」

「出会い始めの頃、俺がお前に何してたか思い出せ」

 きょとんとするシホを思わず見下ろす。これ以上続けられる話ではないと返事をせずにいれば、朝陽はふっと息をついて笑った。発車しますとアナウンスが響き渡る。

 ジェットコースターは小学生でも乗れる程度の速さや高さだった。シホは楽しんだらしく上機嫌で、朝陽は特に何も感想がないようだったが、私は思いのほか面白かった。遊園地が誇る、怖いと有名な絶叫マシンに乗ってみたい気持ちになった。

 そのあともいくつかアトラクションを回り、時間は早く過ぎ去った。途中で買ったポップコーンを見て朝陽は苦笑していたが、すすめれば食べた。

 シホははしゃぎ回って疲れたらしく、結衣さんに抱かれてうとうとしている。もう帰ろうか、と提案しかけたところで、朝陽にぐっと腕を引かれた。彼は読めない表情のまま結衣さんへと視線を投げた。

「最後にこいつと二人で行ってもいいですか? すぐ戻ります」

 困惑する私と違い結衣さんは朗らかに笑みながら頷いた。

「ここで待ってます。シホも寝ちゃってるし、たくさんお付き合いいただいて申し訳ないし……健太郎くんもいいよね?」

「はい、お土産見て、待ってます」

 二人の了解を得てから朝陽は歩き出した。どこに行くのかと思えば、無言でお化け屋敷を指されたので逆らって腕を引き返してしまった。

「なんでやねん、そこはこう、観覧車で景色を見たりするんやないんですか!?」

「は? 清瀬の癖に何言ってんだ。しらねえのか、ここのお化け屋敷は怖いって有名なんだぞ」

「余計嫌や!」

 黙れ、と言いながら朝陽は私の手を強く握り直す。そこで初めて、人目のあるところで手を繋がれていると気付いた。ついうろたえると呆れ混じりに息を吐かれた。

「時間計算で終わる観覧車より、こっちの歩幅で終了時間が左右される系統のほうがいいだろ。せっかく来たんだから少しくらい恋人らしいことをしてから帰る」

「……恋人で、良かったんですか?」

「敢てくくるなら、恋人とか旦那とかなんじゃねえのか」

 頷くと朝陽は肩を竦めてから歩き出した。お化け屋敷の中はどこかひんやりしていて薄暗く、正直何が出てくるのかわからず怖かったのだが、朝陽は特に反応しないまま進んで行った。

 握られたままの手は嬉しかった。物音や影から飛び出してくるお化け役に驚きつつ、他愛のない会話をしながらゆっくり歩かせてもらった。


 帰り道は疲れたらしく健太郎もねむっていた。結衣さんは起きているようだったが、子供二人を気遣ってか口を開かなかった。

 行きは朝陽に任せきりだったため、私がハンドルを握っていた。ふと助手席を見ればねむそうな横顔が目に入った。寝てもいいと声をかけたが、朝陽は起きたまま前方の景色をじっと見ていた。

 健太郎を送り届け、結衣とシホを車ごと自宅に送り届けた。そこからは朝陽と並んで帰路につき、ようやく二人して煙草を咥えた。

「ガキがいると吸えねえのがな」

「仕方ないですけどね」

 歩き煙草をしながら帰った。家ではそれなりに睦んでからねむったが、ある問題が起こったのは翌日だった。

 しょんぼりしながら保健室にやってきたシホに、健太郎に渡すための手紙をなくしてしまったと言われた。シホは半泣きで、私はうまく宥められずに困ってしまった。

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