シホちゃんのお手紙・1

 保健室にやってきたシホは浮かない顔をしていた。聞いてみれば、六年生になった健太郎お兄さんが、来年には中学校にいってしまうことが寂しいのだという。時期は冬だ。まだ冬休み前だが、明ければ卒業式の練習がはじまるだろう。昨年度も当然卒業式はあったし、練習は繰り返し行われたので、それを覚えているシホは今から心配しているのだ。

 しゅんとした様子のまま、私の髪をかわいらしいみつあみにし始めた。どう励まして、いや慰めて、宥めて? とにかくシホを元気付けるためのなにかを考えながら髪を好きにさせたが、いい案は浮かばなかった。

 シホはまたくるな先生、と去年よりも少し流暢に話して、とぼとぼと教室に戻っていった。


 友人がいたためしがない。

 同級生が集まって行われると噂の同窓会に呼ばれたこともなければ、遠く離れた地に越してきたため、町中でばったり会う偶然もない。

 だからというわけではないが、落ち込む人にどう声をかければいいのかが本気でわからなくて困った。悩みながら帰宅して、夕飯を作りながら更に考えて、帰宅した朝陽を出迎えながら実は、と相談を持ちかけた。朝陽は無地のネクタイを緩めつつ食卓につき、私を面倒そうに見つめていた。

「そういうもんだろ、諦めさせたほうが早いんじゃねえか」

 開口一番、人間的に不能な発言をされた。

「朝陽さん酷ないですか? シホは寂しがっとるんですよ」

「だから、そういうもんだろ。仲良くしてくれたお兄さんお姉さんが卒業、なんてよくあることだ。大概は風化する。なんでも目新しいガキにとっての時間ってのは体感として長えんだから、寂しがっても一過性だと思うぞ」

 あまりにも不能なので少し腹が立ち、朝陽の夕飯である照り焼きチキンを取り上げる。朝陽は眉を寄せたが、溜息を吐きながら緩めたネクタイの剣先を肩へと放った。

「言いたいことはわかる。だが考えろ、どうしてやることもできねえだろ。健太郎に留年しろってわけにもいかねえし、シホに飛び級しろってわけにもいかねえ。……まあ、考えっつうか、多少のアドバイスくらいならあるが」

「ほんまに?」

「ああ。だから飯を返せ」

 渋々チキンを置き直す。朝陽はやれやれと言いたげに箸を持ち、

「思い出作りに協力でもしてやればいいだろ」

 と言いながらチキンを口に放り込んだ。

「思い出作り」

 鸚鵡返しをしてから自分も食事を始める。朝陽は米、チキン、味噌汁、和風サラダと食べ続け、合間に思い出作りとやらについての詳細を話した。

 要約すると、良二や健太郎にも了解をとり、休日に遊園地でも行けばどうだという提案だった。なるほど、と頷けば呆れたような目を向けられた。

「お前はこう、人間って感じがしねえよ」

「人間やけど」

「額面通りにとるな。コミュニケーションとか、交遊の手順とか、落ち込むガキの宥め方とか、知識がないっつうか……いや、別に構わないんだが」

 朝陽は話題を切ってから食事に戻った。共に生活を始めてからこの人を困らせた瞬間は多々あるようで、作業机前のソファーでねむったり、宗教勧誘をうまく断れなかったり、忘れていたような加奈子の遺品に近寄れなかったりと多岐に渡る。一番呆れられたのは朝陽の帰宅があまりにも遅く、事故にでもあって死んだのではないかと思って、うっかり部屋で暴れたことだった。事故はあったらしいが朝陽が巻き込まれたわけではなく、渋滞によりバスが動かず帰宅が遅くなっただけだった。

 朝陽は着信履歴を見てぎょっとしたらしい。何件かけたかは覚えていないが、それなりに多かったのだろう。荒れた部屋を見て更にぎょっとしたらしいし、ソファーの上でうずくまる私を見て大体を悟り、昔のようにブチギレた。

 食事を終えて煙草に火をつける朝陽に、貴方がキレたのを見たのはあれが今のところ最後だと声をかける。朝陽はふっと紫煙を吐き出し、灰を灰皿に叩き落しながら口を開いた。

「そりゃキレるだろ。残業って連絡は入れてた、バスの遅延かどうかくらい運行サイト見ればわかる、ついでに俺に何かあったときの連絡先はお前にしてある。なんでもかんでも許しはしねえよ、殴るときはブン殴る」

「俺やって、ちょっと取り乱したけどそれは加奈子が死んだときが、その、フラッシュバックしたというか……」

「流石にな、そこについて怒りはしないが、勝手に勘違いして暴れて自害企てられても責任がもてねえって話だ。……いや、そもそも俺はキレやすい方ではないはずなんだが……」

「え、嘘やろ」

「ほぼお前にしかキレたことねえな」

 嘘やろ、と再びつっこめば机の下で足を蹴られた。朝陽は私が不満を言う前に二人分の食器を持って立ち上がり、咥え煙草のまま皿洗いを始めてしまう。

 そろそろと傍に寄ると横目で睨まれた。手が離せないようなので代わりに煙草をとってやり、

「食事前の話に戻るんですが」

 と声をかければ眉間に皺が寄った。

「お前の言いたいことを、多分当てられる」

「ほんまですか? 言うてみてください」

「俺も朝陽さんと遊園地に行きたいです、じゃねえのか」

 朝陽は皿を洗い終わり、手を拭きながらぶっきらぼうに言う。一言一句正解だったので黙った。意地悪げに鼻で笑われて癪だった。

 いつの間にか鎮火していた煙草を捨てて、自分のぶんを一本引き出す。換気扇を回しつつ吸い始めれば、リビングに戻りかけていた朝陽がふと思いついたようにこちらを見た。

「でも、いいかもしれねえな。清瀬先生も来るってなれば、シホは更に喜ぶだろ」

「……朝陽さんも同行するって意味ですか?」

「シホが嫌がらねえなら、まあ、いいんじゃねえか」

 思わず喜ぶが隠そうと思って煙を吸い込んだ。朝陽はわかっているような顔をしながら、一応聞くが、と言葉を付け足した。

「お前、俺と遊園地に行って何がしたいんだ?」

「え、……なんやろ、ポップコーンとか食べます」

「映画館でいいじゃねえかよ、相変わらず絶妙にズレてんな……」

 じゃあ朝陽さんは何がしたいんですかと問い返せば、お前の写真でも撮ると返してきた。それこそ家や外食のときでいいだろうと言い返すが、呆れたような顔を向けられた。


 良二と健太郎に了解をとり、シホに今度みんなで出掛けようと提案すれば、予想以上に喜んでくれた。にこにこと笑いながら健太郎に手紙を書くと言ったので、ほほえましい気持ちになった。

 出掛けられるのが嬉しく、露骨に浮き足立っていたせいで朝陽には散々いじられたが、当日になれば朝陽自身も普段よりちょっと機嫌が良かった。

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