行き着けスーパーの謎
ポイントカードにポイントが一万溜まったのだと嬉しそうに報告してくるので気質が主婦過ぎるなと思ったが、俺はその辺りが無頓着なためちょうどいいのだろう。清瀬は長いレシートをじろじろと眺めて、加奈子が散財方向だったから節約の癖がついていると、他愛ない思い出話のように口にする。あいつが身につけるアクセサリーや洋服は毎回違うものだった。つまりこいつ自分の稼いだ金もかなり搾られていたのかと予想はしていた事実に確信を持って、かと言って地が固まった俺達の間で今更どうこうという話でもなく、清瀬、お前も少しはまともな服買えよ、と案外どうでもいい話題で会話の方向を変えた。
「何を着ればええのかよくわからん。朝陽さんが選んでくれたやつでええですよ」
「めんどくせえ自分で選べ」
「秋物の上着はなんでもええから欲しいんですが……」
もにょもにょと言いよどむのでなんだよと若干イラつきながら問い返す。清瀬は持ったままのレシートを折り畳み、
「似合うやつ選んでください」
と言ってから、
「今持っとるやつは加奈子が選んだから、……そういうことです」
と断りにくいように誘導してきた。ので、抗議を兼ねて足を蹴ったが、笑みを浮かべて来たので苛立った。次の日曜に共に買い物に行く約束を取り付けられた。
清瀬が毎度通うスーパーは衣服売り場が二階にある。何度か、特にこいつの腕があれだったときは付き添って訪れたが、殆どは一任している。清瀬がけっこう食べるので把握しきれないという理由での一任だ。
人の数はそれなりだった。一階がほとんど食品コーナーで、帰りはこっちに寄ろうと清瀬はにこにこしながら言ってくる。まとめた髪はまた少し伸びた、そろそろ切れよとも思うが見慣れてはいるし、短髪になった清瀬隆を想像するとお前誰だとも思いそうだ。などとつまらないことを考えながら二階に向かう階段を上り、慣れた足取りの長髪を追う。
秋物新入荷のポップが至るところからぶら下がっていた。男物の服が売っている一角で足をとめ、期待したように見つめてくる清瀬にちょっと待てと制止をかけてから適当に店内を物色した。結果的に三着ほど手に持って、一着ずつあてがって確認していると、やけに嬉しそうにされたので怪訝に思う。
「なんだよ」
「いえ、どれが似合いますか?」
「わからん、俺の好みで選ぶならこれ」
裾の長い黒のコートを押し付ける。清瀬は考えもせずにこれにしますと言って、さっさとレジに歩いていく。
ずいぶん平和的な買い物だ。会計を済ませる清瀬の後ろ姿を眺めつつ、流れている店内放送を何とはなしに聞いた。ポイントカード入会のお知らせが不意に途切れて特徴的な効果音が鳴り、ふっと時計を見れば午後十三時ちょうどだった。
「レストラン街でなにか食べますか?」
清瀬が袋を抱えながら隣に立っていた。同意してレストランがいくつか並ぶ一角に移動し、どこにするか数分悩んだが空いていたので和食中心のレストランを候補に挙げる。
同意を得て中に入った。煮魚の定食を注文し、白米大盛りの天ぷら定食に豚汁までつける清瀬のどのあたりに栄養がいくんだろうかと顔やら上半身やらを見ながら裸を思い出してみるがよくわからない。俺の思考を読んだのか読んでいないのか、正面に座っている清瀬はにこりと笑って見つめ返してきた。
「普通のデートができてうれしいです」
特に読んではいなかったらしい。ついでにデート扱いなのかとずり落ちかける。
「このくらいの外出、言われりゃあいつでも付き合うんだが」
「ほんまですか? 朝陽さん、休みの日もパソコンでいろいろ仕事してるから、邪魔したらあかんかと思てた」
「仕事してるときもあるが、仕事してないときもある」
喋っている間に料理が届いた。会話を減らして箸を持ち、魚の骨を抜いていると、清瀬はいつものように早食いを始めた。
この早食い癖も加奈子になにか言われたゆえの短縮の結果かもしれないな、ともういない女の残した痕跡をつい辿りかける。今は清瀬よりも俺のほうがとらわれているようだ、馬鹿らしい。
共に暮らしていると色々な部分が引っ掛かる。この早食いもで、未だにソファー周りを作業台にしているところもそうで、無駄な散財をしないところもそうで、なんなら髪を伸ばしっぱなしにしているところもそうだ。癖付くくらいの洗脳は気味が悪い。今は俺が共にいるのだから余計だ。
考え事をしている間に食べ終わっていた。会計を済ませ、店を出ながら買い物をして帰るかと提案する。清瀬は考えるような素振りをしながら一階に続く階段に向かった。隣を歩き、ちょうど正面に来た食品売り場のレジカウンターを見る。昼過ぎだからか混み合っていた。レジは十台あったが真ん中半分しか空いておらず、そのすべてが長蛇の列だ。しばらく捌けそうにない。店内にアップテンポのBGMが流れて、その隙間を喧騒が過ぎっていく。
この混み方をするレジに並ぶのはちょっと面倒だな、と思い浮かべた直後に清瀬は買い物をして帰ると言った。
なにか引っ掛かるタイミングだった。籠を持って野菜売り場に向かう清瀬の横顔を見る。それから店内を見渡すが、客の数は比較的多い。安売りの特価野菜のコーナーには主婦がひしめき合っている。
買うものは決めていたらしく、清瀬はさくさくと店内を進んだ。途中で籠を持つ役目を代わり、食品のコーナーをある程度回ったところでレジに向かうかと問い掛ける。
「いや……もうちょっとだけ待ってください」
「待つ?」
清瀬は頷き、レジ付近の飲料コーナーで足をとめた。ポイントカードの案内が大きく聞こえ、ふっと上を見るとちょうどスピーカーの下だった。案内に続いて特化商品の説明がなされ、それを切るように軽快な音楽が流れ始めて、先ほどの時報が遅れて続く。そのタイミングで清瀬は俺の腕を引いた。なんだよ、という前にレジまで連れて行かれ、いつの間にかすべてのレジカウンターが開いていたことにちょっと驚いていると、清瀬は一番右端のレジを迷いなく選んだ。三人ほど前に並んでいたが会計は直ぐに終わった。
袋詰めをしてから並んでスーパーを出た。清瀬の澄ました横顔を見つつ、いくつかの不可解なことについて聞くか聞かないか一瞬迷い、家に着くまでは距離もあるから会話の種になるかと口を開いた。
「清瀬、お前レジが全部開くってわかってたような動き方してたろ、なんでだ?」
問い掛けると、清瀬は意外そうに目を見開いてから、なぜか悪戯っぽく笑った。
「そうか、朝陽さんはあんま来んから知らんのか」
「何を?」
「それは……」
清瀬はふと口を噤んでから、
「当ててみてください」
と面倒なことを言い出した。
「……ちょっと待てよ」
にこにこしている清瀬を尻目に少し考えてみる。スマホを取り出して時間を確認すると午後十五時過ぎだった。レストランに入る前が午後十三時の時報で、レジに向かう前に聞いた時報は恐らく午後十五時のものだろう。十四時のぶんは聞いていないから、レストランに向かい食事をして出るまでは一時間少しかかっている。
食事時を過ぎたレジは当然混み合うだろう。そのあたりの兼ね合いで、レジが開くと予想をつけたのか?
そう聞いてみようとするが、絶対ではないなと思って一旦保留する。それから清瀬の行動を思い返した。すべて稼動していたレジカウンターは客がある程度散っていた。一人から五人ほどだったが、清瀬は一人しか並んでいないレジではなく、一番右端を選び、さくさくと会計を終わらせた。店員の動きはずいぶん手馴れているように見えた。
「……、これはたぶん確実だと思うんだが、お前はレジを打っている店員でレジを選んでるよな?」
清瀬はぶら下げている袋を掲げながら、満面の笑みで頷いた。
「あのレジにおった店員さん、袋詰めもしやすいように会計済み籠に移してくれるし、打つのがほんまに早いんです」
なるほど、と同意しつつ袋の中を少し覗く。籠に入れてくれた通りにそのまま移し変えているだけだと説明が飛んで来たが、どうもこれだけが理由ではないらしい。
一番右端のレジは開いていなかった。清瀬の行動はつまり、その店員がレジを開けに来ると予測しての行動だ。
「…………これ、俺が考えて本当にわかるか? お前がその店員の出勤時間を完璧に予測してるってわけじゃねえなら、博打の面のほうが大きいだろ」
抗議を挟めば清瀬は首を傾けて、ああ、と声を漏らしながら身を屈めて俺の顔を下から覗き込んでくる。謎のあざとい仕草だったので止めろと一声牽制するが、嬉しそうに笑われた。
「なんやろ、朝陽さんの一歩先を歩いとる感じがして、今めちゃくちゃおもろいです」
絶対に正答を出してやろうとこの瞬間に決めた。舌打ちをしつつ更にスーパーでの出来事を思い返す。
秋物の服を買ったのが午後十三時頃。……いやもう時間帯は考えた。レストランにいたときの会話も特筆すべきような点はない。はじめに少し引っ掛かったのは食品を買うかどうか問い掛けたときだ。レジは混み合っていて、俺は面倒だと感じたが清瀬はややあって買い物をすると答えた。
ということは、清瀬はレジが空くだろうと予測を立てたことになる。予測がなにを根拠にしているものなのか、目当ての店員は一番端にいたのだから、真ん中五台だけが開いていた時にはまだいなかったと考えるほうがいいだろう。
その店員が出てくる、またはレジがすべて開くと、清瀬が知るには……。
「あ」
思わず声が漏れた。おや、という顔を寄越した清瀬を無視し、もう一度店内での行動、いや店内であったことを思い出す。
あの店は必ず時報を鳴らす。それ以外はカードの案内、特価商品の案内、今日は聞かなかったが迷子の報せや車移動の願いなども流れるだろう。そういった放送のほかは楽しげな音楽が流されていた。大体どこのスーパーでも同じだろうが、ひとつだけ思い出した。俺の職場でも実際に流したことはないにせよ、似たことをする場合がある。
「お前、店員の勤務時間を把握はしていないが、店員の増員タイミングは把握してるな?」
清瀬は驚いた顔をしてから、嬉しそうに笑って頷いた。
「してます。ようわかりましたね?」
やっぱりか、と思いつつ先を聞きたそうな清瀬を横目で見る。
「レジに行くかって聞いたとき、ちょっと待てって言ったろ。そのときにお前が立ってたのはスピーカーの真下だったから、俺も自然と放送やらBGMを聞いた。で、カードやら特価商品の案内が流れてたわけだが……」
「途中で音楽が流れたでしょう。あれ、かなりポップ調子にしたコロブチカなんですよ」
コロブチカ。少し考えていると、テトリスです、と説明を加えられて納得した。
「朝陽さんやったらもう気付いたんやろうけど、あのコロブチカ、レジが混んできたから応援よろしく、っていう店員用の放送なんです」
「ああ、やっぱりか……」
清瀬の言うコロブチカは、商品の案内を遮って流れ始めた。かといって、たとえば迷子放送の前触れになる効果音ではなく、時報の音声とも違った。しかし案内を遮って優先すべきものではあった、ということになる。
職場でもそういった対応をとることがある。生徒を混乱させないように偽って職員のみに通じるものを流す、これはある程度、どこの職場でもとられるだろう。特に従事する人間以外も往来するような職場では。
「で、これは考えてもわからんやろうからいいますが、俺が懇意にしてる店員さん、主任さんなんですよ。普段は奥で事務作業をしてはるみたいなんやけど、コロブチカが鳴ると率先して出てくるから、来るかもしれんなと思って張ってたんや」
「納得した、ついでに当てて清々した」
「俺は半年くらい通って気付いたのに、朝陽さんずるいです」
「お前が吹っ掛けてくるからだろ、吹っ掛けられなきゃ気付いてねえよ」
「それでもずるいわ、朝陽さんをからかって遊べると思たのに……」
他愛もなく会話を続けながら歩いているうちに家に着いた。食品の袋は取り上げて調理台に置き、俺が入れておくからコートを着てみろと声をかける。清瀬は照れたようにしながらコートを羽織り始めた。その間に冷蔵庫へと食料を移し、朝陽さん、と声をかけられたところで一旦手をとめる。
「似合いますか」
「加奈子が買ったっていう上着よりは似合うんじゃねえか、見たことねえけど」
「ほんまに?」
「ほんまに」
わざと関西弁で返すと清瀬は笑い声を上げた。俺が金を出したわけでもないのに大事にしますと言ってきて、金を出してないと言おうかと思ったがまあいいかとやめた。
加奈子という人間の残滓はこれからもなにかしらどこかしらで顔を出すのだろうが、こうやってひとつずつ潰していけばいいだけの話だし、残り続けていてもそれが結局今の清瀬の元なのだから仕方がない話でもあるし、今清瀬はコートの前を閉めたり開けたりしながら嬉しそうにしているし、俺はひとまず食料を冷蔵庫に詰めていく。買い物くらいならいくらでも付き合うと言いながら。
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