事件‐①

俺ははじかれたように目を覚ました。

寝汗でぐっしょり濡れた衣服が肌に絡みつく。


「くそっ、まったく……」


後味の悪さが言葉となって口かられる。

ここのところ、見る夢はいつも同じだ。


決まって、あの日の出来事の断片……


灼熱の炎、全身を襲う激痛、絶望に歪む兵士の顔……


久しく見なかった悪夢が再燃していた。


俺はベッドに上半身を起こすと、左手に目をやった。


『おはようございます。ご用ですか』


唐突に、男とも女とも判別のつかない声が頭の中で反響した。


『お目覚めになる五分前から、心拍数の上昇及び急激な呼吸の変化を探知しました』


その声は抑揚の無い口調で続ける。

左手首の時計盤が、青く点滅していた。


『想定される疾患としては、二十四種類あります。それぞれの対処法を説明しましょうか』


「いや、いい」


俺は、そっけなく言い放った。


「悪い夢を見ただけだ」


それに対する返事は無かった。


俺の指示を待っているようだったが、無視してそのまま水を飲みに立ち上がる。

冷蔵庫からミネラルウォーターを出すと、一気に喉に流し込んだ。

俺は本来なのだが、いまだに左手で物を食べる気になれない。


あれから一年も経つというのに……


俺は、もう一度左手を眺めた。

相変わらず時計盤は点滅している。

この明滅は、コイツが正常に機能しているあかしだ。


どういうことかって?


そう……俺の左手はになっている。

それも、ただの義手ではない。

最先端の量子コンピューター──AI(人工知能)を内蔵した超ハイテクな特製義手なのだ。


膨大な量の計算を瞬時にこなすためには、膨大な量の回路が必要となる。

これを解消したのが量子コンピューターだ。

原子やイオンといった微粒子を小さな回路の中でループさせ、たった一個の回路でスーパーコンピューター並みの解析力を得る。

これをAIの頭脳として内蔵したのがこの左手だった。


正確には、左肩関節から指先までが人工物で構成されている。

骨格はチタン並みの強度と耐久力を備えた合成シリコン、皮膚は耐熱性に優れた特殊樹脂で造られている。

動力源は小型の原子力電池で、日中は太陽電池との併用も可能だ。

勿論、燃料補給などは一切要らない。


一応【感覚】もある。

人工皮膚内に張り巡らされた極小配線が、温度変化と触覚を電気インパルスとして直接脳に送り込んでくる。

ただ、「痛み」や「かゆみ」などの感覚は判別出来ない。

そのため力加減が分からず、持つ・握るという基本動作の習得には相当苦労した。

人並みの動きを会得するまで、きついリハビリを何度も繰り返したものだ。


だがそれもこれも、あくまで体感の話に過ぎない。


何より凄いのは、こいつが【】という事だ。


勿論、人間のように感情がある訳ではない。

認識した音声情報をデータ解析し、その状況に最も適した回答を選択しているだけだ。

宿主のストレスを考慮し、口調はあくまで従順・丁寧である。

但し宿主の心身に不安全な状況が見られる場合は、否定的意見を述べたりもする。

機械ゆえ、論理的説明をしないと中々納得せず、口論になる事もたびたびだ。

これを客観的にみた場合、【】に見えなくもない。


だが所詮、機械は機械だ……


身体に癒着しているため、俺の心身状態については俺以上に把握している。

先ほどのやりとりも、宿主の身体的変化を迅速かつ的確に報告するという任務を果たしたまでだ。

AIに非は無いが、俺にとっては二十四時間身体検査を受けているようで落ち着かない。


一体、いつになったら慣れるのやら……


身体のあちこちには、未だ裂傷や火傷の跡が生々しく残っている。

恐らく、一生消える事は無いだろう。

だが、それはあくまで自らの意思で招いた結果だ。

嫌な思いを繰り返す事もあるが、あきらめることは出来る。

ところが、こいつの場合は話が違う。


目が覚めると、いつの間にか自分の肉体に異物が接合されていた。

それも本人の許可無くだ。

しかも、それがときた。

いくら最先端のハイテク機器だと言われても、ハイソウデスカと喜ぶ気にはなれない。

実際、病室で事実を知った時の俺の反応は、相当酷いものだった。

ある人の忍耐強い説得がなければ、今頃憎しみのけ口を求めて犯罪に走っていたかもしれない。

今でこそどうにか受け入れてはいるが、それでも時折見る悪夢と自分の肉体が機械化したかのような違和感は消え去ってはいない。


元々、生来の頑健さと身体能力の高さには、揺るぎない自信と誇りを持っていた。

自分の身体は、絶対壊れないと本気で信じていた。

それが、根底から崩れ去ったのだ……

俺が本当に受け入れられないのは、義手ではなく、そんな自分の未熟さかもしれない。


『管理本部よりメールです』


また唐突に、頭の中で声が響く。

俺の外耳には極小のマイクロチップが埋め込まれており、AIからの音声はこれを経由して直接耳に伝わってくる。

外部に漏れることは無いが、指示するには声に出して伝えなければならない。

間近で目撃した者には、俺が独り言を呟く変な奴に見えることだろう。


「読み上げてくれ」


俺は窓に向かうと、ブラインドのスイッチを押した。

眩しい陽光が、目に飛び込んでくる。

時計を見ると、八時を回っていた。


『本部より緊急指令。至急以下の状況確認を行い報告すること。世田谷区にて男性一名の遺棄遺体あり。発見者はジョギング中の男性。発見時刻は本日午前六時頃。遺体には複数の傷痕あり。警察は他殺事件として捜査開始。犯行現場の詳細状況の把握と犯行の経緯、容疑者の特定が今回の任務。警察が現在まで入手している情報を転送する。一次報告を待つ。以上』


指令文を聴き終えると、俺は眉をしかめた。


「また殺人か……」


吐き捨てるように呟くと、俺はベッドから立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る