第6話 魔法
沖新警察署。
5年前に新設されたまだ新しい警察署だ。日本における警察署の中でも大型の建物であり、周辺エリアの統括も担っているのだとか。簡易的な拘留施設や宿舎もあり、何か事件が起きたとしても、すぐ対応できるようになっているそうだ。
入口の自動ドアをくぐる。中は市役所と病院と裁判所を足して割ったような作りになっており、受付や窓口は女性警官や新米の男性警官が行っていた。朝も早いのに一般人の姿が多い。
受付に並び、順番待ちをする。人の流れは思ったよりスムーズで、あっと言う間にあたしの番が来た。「次の方どうぞー」と促され、あたしは受付に向かった。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
ハキハキとした口調と笑顔で、若い女性警官が質問する。
「あー、近江っていう警察官と約束がありまして、取り次いでもらえませんか?」
「かしこまりました。近江巡査長ですね。よろしければ、どのような内容でお約束されているかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
少しだけ、なんて言おうか迷ったが、昨夕の電話を思い出して言葉を繋げる。間違ってもメルルの事は口に出してはいけない。そんな気がした。
「大黒木さんとの面談…で合ってるのか?ちょっとした話がありまして。」
「承りました。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「伊佐坂紗那恵だ。」
「今ご確認致しますので、少々お待ちください。」
短的でハッキリとした素晴しい対応だ。この子は受付嬢として才能が有るのだろう。その彼女は、内線でどこかに取り次いでいる。何回か応対をして受話器を戻す。
「確認が取れました。このままロビーでお待ちくださいとのことです。」
「分かりました。ありがとうございます。」
軽く会釈をして、受付から離れた。ロビーの待合席は空いていなかったので、邪魔にならない通路の壁際にもたれ掛かった。
一人で考え込む時間が出来てしまい、床の模様を観察しながら思慮に耽った。会うことはできる、警部の許可がいる、この二つのキーワードが何を意味しているのか。忠煕の話し方からメルルが無事であることは確かだと思う。それと同時に、ただならぬ事態になっていることも、会話の雰囲気から感じられた。
くそっ、全然分からない。この一週間で何が起きたんだ。それに、この拭えない不安感は一体何なんだ。
金曜日に感じたモヤモヤは、何時しか不安や心配というはっきりとした形となって、心につっかえていた。そうやってグルグルと思考を巡らせていると、不意に声がかかった。
「伊佐坂さんですね。」
「…あなたは確か、塘添さん?」
「はい」
一週間前、忠煕と一緒にメルルを確保しに来たバディだ。相変わらずクールな雰囲気を醸し出していた。こうやってまじまじ見ると、高身長で顔も整っており、アイドル顔負けである。だが、その頬に大きな絆創膏が貼られており、痛々しかった。
「お顔大丈夫ですか?」
「…お気になさらず。」
あ、これは聞いてはいけなかったやつだったか。
「あと、敬語も結構です。」
「…そうか。」
何となく気まずい空気を感じ、押し黙るしかなかった。
「応接室へ案内します。こちらへ。」
案内されるがまま後ろをついていき、通路最奥の部屋に通された。中は窓が一つもなく、中央には、学校で使うような会議室用のイスとテーブルが設置されていた。
イスを引かれ、そこに座るよう指示をされたので素直に従う。着席して待っていると、何故か塘添さんはあたしの隣の席に着席した。特に話題も無いため、空調の稼働する音がやたらと耳につく。さて、どうしたものか。
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…あの。」
「はい。」
「忠煕はいつ頃来れそうなんだ?」
「警部と話を纏めたら来るそうです。」
「そうか。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
「…あの。」
「はい。」
「さっきは悪かった。」
「…?」
ダメだ、返事もないし表情も変わらないから空気が読めない。どうしても間が持たない為、無理やり話題を引っ張り出した。情報が全くないので見た目から攻めよう。
「…。」
「…。」
「…あの。」
「はい。」
「塘添さんっていい男に見えるけど、やっぱ女性からはモテるのか?」
「え…?」
なんかすごく残念そうな顔をされた。また選択肢を間違えたかもしれない。この人難しいな。微妙な空気間に少し焦っていたあたしに対して、帰ってきた言葉は予想外の返答だった。
「やはりそう見えますか…。」
「ん?」
「僕は女です。」
「…んー?」
その言葉を聞き、もう一度塘添さんの姿を確認した。どう見ても男にしか見えない。
「女だったら制服が違うような…。」
「巡査官の基本制服は男性警官と同じです。」
そうなのか。知らなかった。
「僕は男女平等参画社会を恨みます。」
表情が表に出ていないが、気迫だけは感じた。
もう少し場をつなぐため会話を続けようとしたが、ドアが開かれたことにより中断された。
忠煕ともう一人、ガタイのいい男が入ってきた。その人が大黒木警部だ。
二人はあたしの正面に座って、話を始めた。
「君が伊佐坂さんだね。内容は近江巡査長からうかがっているよ。」
大黒木さんは一か月前にあたしに会ったのを覚えていないようだ。大柄な体に対して優しい笑顔でこちらを見ていた。
「君はあの子の関係者、ということで違いないかい?」
「はい。」
「あの子との関係性は?」
「関係性は…。」
関係性。そう言われたとき、あたしは迷ってしまった。確かにあたしはメルルに求められた存在ではあったが、第三者的に見れば、現場に居合わせ少し話をし、助けると約束をしただけの関係だ。だがその説明だけだと、まるで赤の他人であった。
「…。」
悩んでいる姿を優しそうな顔でジッとみられていた。しかし、その顔は鉄仮面でも張り付けたような笑顔に見えた。
恐ろしい。
この一瞬で百八十度違い笑顔に見えたのがとても恐ろしい。
「…あの___。」
「意地悪して悪かったね。関係は忠煕から聞いてる。安心しなさい。大切な子なのだろう。」
発破をかけられていたのか。警部クラスになると人間の底が見えない。一息ついて忠煕の方を見る。忠煕の顔には「すまんな紗那恵」って書いてあるように見える、申し訳なさそうな表情をしていた。
「はい。そうです。」
「そうか。では、君を重要な関係者だと仮定して、本題に入る前に少し余談をさせてくれないかな?」
「はい。あたしは構いません。」
いったい何を話すのだろうか。
「君は“魔法”を信じるか?」
「…え?“魔法”ですか?」
「そうだ。君は結構なヲタク趣味だと近江巡査長から聞いた。魔法に対する知識は持ち合わせているだろう?どうだい?」
「え、えぇ。確かにゲームやアニメを
斜め上な質問に少し動揺したが、何とか真面目に返答できたと思う。しかし、大黒木警部の口から“魔法”という言葉が出てくるとは思ってもいなかった。
「その魔法なのだが、聞いたことないかい?最近ニュースやSNSで、魔法を使うものが現れたと。」
「それなら見たことが有ります。おじさんが手品っぽいことをしていたアレですか。」
「一番有名なのはね。けれど、実は複数人、同じような事が出来る人間が居たとしたらどうする?」
「どうするって…、居るんですか?」
「このような話をした。ということは、わかるよね?」
「居るんですね。」
「あぁ。」
俄かには信じがたいが、メルルが猫娘と言う存在であることから、魔法も無くはないのだろう。しかし、なぜこのような
「まだ
「待ってください、まさかメルルを逮捕したなんて言わないですよね。」
「早まるな紗那恵。最後まで話を聞け。」
焦って結論を出そうとしたあたしに対して、すかさず忠煕が制止した。
「続きいいかね?」
「…はい。」
椅子を座り直す。
机の下で拳を握り、感情を抑えた。
「犯罪者もいるという話だが、犯罪を行ってないものには特に何もしていない。もちろんあの子に対してもね。ただ、あの子は素性が知れない。だから一時的とはいえ、特別な場所で生活してもらっている。」
「特別な…、大丈夫なんですか?」
「生きるには困らない。だが、本人はあまり気に行ってないようで困っているんだよ。」
「…。」
不安が的中した。そう思った。きっとメルルは辛い思いをしている。もう無理だった。抑えきれない。まるで堤防が決壊したように負の感情が流れ込んでくる。
「魔法が使えるからメルルを軟禁しているんですね。」
「…そういうことになりますな。」
警部は立ち上がり、あたしと少し距離を取った。辛抱たまらずあたしは警部の方へ近寄った。
「すぐに会わせて下さい。」
「待ちなさい。こちらにも手順がある。」
「いいから合わせて下さい。」
「紗那恵、一旦落ち着け。お前らしくもないぞ。」
「あたしらしいって、なに?メルルがつらい思いをしてるんだぞ。」
「ここで焦ってもややこしくなるだけだぞ、落ち着け。」
「あたしは落ち着いてるよ!何、この回りくどい会話!あたしが会ってあげないとメルルが可哀そうになる!」
不安が爆発していた。どうしてか、あたしはメルルに心酔していたのだ。一週間前に、たったの1~2時間会話をしただけの相手なのに、何故かメルルの事しか考えられなかった。
それは警察に差し出してしまった罪悪感からなのか、あの時メルルの話をもっと信じてあげられなかった良心の呵責からなのか、分からなかった。
「すぐに会わせて!」
「紗那恵!」
警部に詰め寄ろうとしたが、忠煕がその間に割り込む。
「どいて!」
あたしは怒りに任せて、忠煕を横に薙いだ。想像以上に吹っ飛んだのだが、あたしは気付いていなかった。そのまま警部のネクタイを掴み引き寄せようとした。だがそれは出来なかった。
部屋の中で急な突風が吹き、空気の塊があたしを押し倒したように感じた。
何が起きたのかも解らず、暫く目を白黒させていたが、その発生源であろう方に目を向けると、無言で塘添さんがこちらに手を向けていた。その手の甲と平が不思議な幾何学模様に光っていた。
まるでアニメで見たような光景だった。
「伊佐坂さん、落ち着いてください。」
冷静さを取り戻したあたしは、ゆっくりと部屋の中を見渡した。
滅茶苦茶だった。
この一瞬で何が起こったのか理解が追い付かない。
机は折れ、椅子の金属はひん曲がり、床が陥没していた。
「痛っつー…!警部、これで満足ですか…!」
満足ってどういうことだ?この惨状と何か関係あるのか?
「あぁ、山が動くぞ。」
大黒木警部はあの優しそうな笑顔から、少し興奮したような笑みに変わっていた。そしてゆっくりとこちらを見降ろし、あたしに向かって静かに言い放った。
「紗那恵さん、君、魔法が使えるね。」
その時、気づいてしまった。
あたしの手に幾何学模様が描かれ、煌々と光を放っていることに。
あたしは愕然とした。
この惨状を作り出したのは、___あたしだ。
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