第5話 心の不安
帰宅後、あたしはリビングで一息ついていた。明日会いに行くにしても、メルルが今どこで何をしているかは分からなかった。どこかの施設に預けられているとしたら、きっとアポを取らないといけない。
あたしは携帯電話を取り出し、忠煕へ電話を掛けることにした。
コール、1、2、3・・・、10回目の呼び出しで電話に出た。うん、以前よりは優秀だ。
『はいこちら沖新警察所です・・・、って紗那恵か。』
「あぁ、あたしだ。」
『どうした?またなんかあったか?』
「いや、大したことは無いんだが。前に保護してくれた猫娘がいただろ?」
『あー、あの子な。』
「その子なんだが…、また会うことはできるか?」
『…出来ないことは無いが、会ってどうする?』
「どうすることもないけど、様子見というか、その…、ちょっと気になってな。」
『はぁ、気持ちは分からんでもないが、あまりお勧めは出来んぞ。』
「どうして?」
『警察的に言うと、身元も素性も分からない人物との接触は、後に事件性のあるものに巻き込まれる可能性を含んでる。関わずらいすぎて、裏の組織に引きずり込まれたり、取り返しのつかない怪我を負うこともある。』
「あの子がそんなものに見えるのか?」
『可能性の話だよ、万が一、紗那恵がそんな事件に巻き込まれたら、一個人としても目が当てられない。少なくとも俺は嫌だ。』
忠煕の言うことももっともだ。警察官と言う立場も相まって、尚更気を付けているのだろう。
「そうか…。確かにそうかもしれない。」
『だから悪いことは言わない。素性が割れるまで関わるのは___。』
「___それでも、あたしは会いたい。」
なぜだろうか、姫鞠や夏実先輩の後押しがあったからなのだろうか。あたしはハッキリとした口調ではじめて「会いたい」と口にした。
『…お前、俺が言った話聞いてなかったのか?』
忠煕が知人に対して“お前指し”する時は怒る時だけだ。この癖は学生の時と変わらない。きっと心配してくれているからこそ怒るのだろう。だが、そんな事は想定済みだ。想定の範囲内。
ここからはどうやってメルルの居場所を聞き出すかだけを考える。
「別に聞いてなかった訳じゃない。あたしは会いたいって言ってるだけで、無理やり会おうとしてる訳でもないよ。」
『なら、なんで電話してきた。』
「さっきも言っただろ?ちょっと気になって、って。それに忠煕も、気持は分からなくもないって言ったし。どう?」
『お前さぁ、はなっから俺を巻き込むつもりだった、って事か?』
「分かってるじゃん。」
あたしは少し意地悪に言い返してやった。
「まぁどちらにせよ、あたしは忠煕を信頼してメルルを預けたんだ。そのくらいの協力はしてくれてもいいんじゃない?それとも、あたしを残念な気持ちにさせるの?あの時みたいに。」
『あの時って紗那恵…』
「___ごめん、やっぱ今のなし。」
『というか、一週間前の1~2時間程度しか話してないあの子に、そこまで肩入れする理由は無いだろ。』
「うん。理由は無い。」
確かに理由は無いかもしれない。助ける義理もない。赤の他人だし知ったこっちゃない。この感情はただの子供じみた我儘だ。けれど今回ばかりは我儘を貫かせてもらう。覚悟しろ。
「理由は無いけど、…約束がある。一週間前、忠煕も見てただろ。」
『指切りしてたあれか。』
「あぁ。」
『あれって、あの子が困ったときに助けてやるってやつだろ?』
「うん。」
『じゃぁ、なんであの子が困ってると思うんだ。目で見たわけじゃないだろ。』
「えぇ、確かに見たわけじゃない。正直もう少し様子を見てからでも良いとも思ってた。」
『ならおとなしく待ってろって…。』
「思ってた。そう言っただろ?」
『…はぁー。紗那恵、お前の悪い癖が出てるぞ。本心はなんだ?正直に言え。』
あたしは度々物事を考えすぎて回りくどく話すことが有るらしい。だから今回は素直に謝ろう。
「ごめん。」
『ん。』
「この際だからはっきり言う。」
少し間を置いて頭の中を整理する。あたしの本心、忠煕に伝えたいことを簡単にまとめる。もしかしたらまた、回りくどく言ってしまうかもしれないが、その時はその時だ。
大きく深呼吸。
「あたしはメルルの事が心配なんだ。あたしが渡した電話番号に連絡は来ないし、かと言ってこっちから様子を伺おうにも手段もない。だから忠煕に、今こうやって電話を掛けて会いに行くための道筋を作ろうとしている。忠煕に任せれば安心だと思ったからな。一週間前に引き渡した時も任せろって言ってくれたし。けど、今のこの電話で余計に不安になった。なんで合わせてくれないんだ?どうして?メルルはこの世界で頼れる人がいないんだ。身寄りがない。勝手もわからない世界。そんな世界で唯一、あたしに縋ってきた。泣きながら、不安で一杯になりながら、あたしに縋ってきた。はじめは鬱陶しいと思ったよ。けれど、最近になって、今度はあたしが不安になってきた。これでよかったのか、メルルは大丈夫なのか。元気にしているのか。また泣いていないか。気づいたらそんなことが頭の中をよぎるようになってしまってた。だから、あの子に会いたい。あの子の為じゃない。あたしが、安心するために。」
沈黙。
頭の中では話を纏めていたつもりだったが、やはり纏まらなかった。けれど言いたいことは言ったつもりだ。
心配で、不安で、気になって仕方がない。メルルの無事を知りたい。何処かの孤児院で元気に遊んでいる姿を確認したい。この先、安心して暮らせる未来を見せてほしい。たったそれだけだ。
『…それだけか?』
「あぁ。それだけだ。どうしようもない理由だろ?」
『いや、あの子に会いたい熱意は十分伝わったよ。』
「我儘言ってごめん。けど、あたしは諦めないよ。」
『そうですか。りょーかい。はぁ、まったく、一度頑固になると折れないとこも変わらないな、紗那恵は。』
「…ありがとな、忠煕。」
少し安心した。なんとかメルルには会えそうだ。
『だだし、こういった面倒事はもう勘弁してくれよ。』
「了解した。あと100回ぐらいで勘弁してやる。」
『保険がデカ過ぎだろ、まったく。』
「そんくらい、あたしは忠煕のことを信頼してるんだよ。」
『重てーな、その信頼は。』
「嫌だったか?」
『いや、そういうの嫌いじゃない。』
「ふふ、やっぱ忠煕が一番だな。」
そう、忠煕が一番だ。今も昔も変わらず。ずっと一番だ。ずっと一番だから、あたしはずっと心が、痛い。
『で、今回もまた俺が折れたわけだが。紗那恵、明日の朝に署まで来れるか?』
「ん?なんで?別にメルルの場所さえ分かれば、あたしだけでも会いに行けるけど。」
『ちょっとした事情があってな。“会うことだけ”ならできる。』
「…意味深な言い方だな。」
『それに関しては実際に見てもらった方が早い。それに面会には警部の許可がいる。』
「は?なんで?」
『実際に見てもらった方が早い、警部には話しておくから。』
「おい、メルルに何かあったのか!?」
『あの子には何もない。そこは安心してくれ。ただ、覚悟だけはしておいてくれ。』
「なんだよ、余計に不安になるだろ!」
『仕事に戻るからそろそろ切るぞ。』
仕事というワードを聞いて、あたしは大人げなく声を大にしていることにハッとした。
「…すまん。仕事中だったな。悪かった。」
『別にいいよ、これも仕事みたいなもんだし。明日はよろしく。』
「あぁ、明日また。」
通話の終了ボタンをタップし、暗くなった画面をしばらく眺めていた。
忠煕は、あたしがメルルに会うことを拒んでいた。さっきの会話ぶりでも何かあるのは明白だ。だから忠煕なりに色々言って、あたしが諦めるようにしていたのかもしれない。それは一つの優しさだと、あたしは理解している。けれど、最終的にはあたしが望むように事を理解してくれた。それも違う意味での優しさだ。
今はこれが正解かどうかも分からない。久々に我儘を押し通した結果、メルルに会うことはできる。だが何故だろうか、ちっとも喜びの感情が湧いてこない。むしろ不安感が増幅されたようなそんな気までする。
「覚悟しておけ、か…。」
その言葉が頭から離れず、ソファーに脱力した状態で横に倒れた。
5月の夕凪が窓から吹き込み、夕日が部屋を照らす。
あたしはもう、明日の事しか考えられなかった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
体が揺れている。
睡眠の
誰かがあたしを起こそうとしているらしい。
「ねー、おかーさん!起きて!おかーさん!」
「んー、お母さん仕事で疲れてるから・・・。」
「おかーさん!一緒にプリティーウィッチみーたん観るっていったじゃん!」
そうだ、そういえば娘と一緒に日朝タイムすると決めていたんだっけ。
娘が馬乗りになって、あたしの上でピョンピョン跳ねている。いい加減起きないともっとひどいことになりそうだ。仕方ない、起きてやろう。
のそのそと布団から出ると、そのまま娘に手を引っ張られてリビングの食卓台に向かう。既にリビングのテレビが点灯しており、魔術戦隊マジカライダーのエンディング曲が流れていた。
「おはよう、紗那恵。」
「ん。おはよー。」
「朝食は出来てるから後の片づけはよろしく。んじゃ、仕事行って来るわ。」
「行ってらー。」
「・・・。もう少し頑張る夫への励ましの言葉は無いのかよ。」
「はぁ、わざわざ言わなきゃいけない?」
「あるのと無いのでは、仕事への頑張る姿勢が3割も変わるんだよ。」
「そうか。」
そう言って、あたしはわざと何でもないふりをして夫に近づく。
そしてそのまま、唇を重ねてやった。しかも、少し長めにな。
あたしの気が済んだところで、ゆっくりと顔を離す。
「…どう?わざわざ言わなきゃいけない?」
「いや、今日は10割増しで頑張れそうだ。」
「そう。行ってらっしゃい。」
「行ってきます。」
夫はそのまま出勤していった。
あたしは夫が用意してくれた朝食を食べる為に、食卓に着いた。オムレツに野菜サラダ(トマト抜き)、食パンと、オーソドックスな洋食ものだ。
一方娘は、弟と一緒にリビングのソファーに座って、大きな声でプリティーウィッチみーたんの主題歌を歌っていた。あたしは、そんな何気ない日常の風景を眺めながら朝食をいただく。
「にゃんにゃんにゃにゃん!にゃんにゃにゃーん!にゃにゃにゃにゃーんにゃ、にゃーんにゃー!不思議な魔法でみんなをハッピー、ハピネス、マジカル、虹の橋かけよー!」
「相変わらず、子供は元気だなぁ。」
食パンをつまみながら、娘たちと女児向けアニメの鑑賞を始める。
あまりこういったアニメには興味を持たないが、流石に毎週のごとく娘と見ていれば、嫌でも内容が頭に入ってくる。
物語は、猫好きの女の子が中学校で軽音部をやっていて、ノイジーという悪の組織が魔法を使って色んな音を盗んでしまうというのが大筋だ。それを取り戻すために、音の妖精界の住人(見た目はほとんど猫)と魔法少女の契約をし、猫耳コスプレみたいな恰好をして対バンを行いやっつけるというものだった。軽音部のメンバー全員が魔法少女となり、力を合わせて戦うちょっとした友情もの作品でもある。
サラダを口にしながら、本日の対バンシーンを眺める。おぉ、早速魔法少女が劣勢だ。負けそうである。
「おかーさん!みーたん達が負けちゃうよー!」
娘は半泣きだ。おいおい、我が娘よ、小4にもなって女児向けアニメにここまで感情移入してしまうとは情けない。だが可愛いは正義。許してやろう。
「大丈夫だ、よく見てろ。もうすぐ強い味方が来るはずだ。」
「ほんとに?」
「あぁ。」
あたしはお約束展開を期待しつつ、そいつの登場を待った。そしてその時は来た。
『あなたたち情けないわよ!音楽に掛ける思いはその程度かしら!?』
『せ、先生!!』
「っふ!」
思わず吹き出してしまった。軽音部顧問のロリ先生が猫耳ゴシックな姿で登場した。いやいや、普通はクラスの友達とか他校の同級生とかだろ。お約束の斜め上を行った斬新な展開に少し唖然とした。
先生はそのままキーボードポジションに付き、そのままソロ演奏を始めた。強大な力で敵の音楽魔法を押し返していき、あっという間に逆転していった。
『さぁ!ラストは皆でセッションよ!』
『ハイ!先生!』
先生の力によって力を増した軽音部は、そのまま圧勝。街に再び平和が訪れた。ご都合展開ではあるが、まぁ女児向けアニメだしこんなものだろう。
アニメ本編が終わり、エンディングが流れる。子供でも踊れるようにしたダンス映像が流れており、娘はソファーの上で踊っていた。対して弟はそれをぼーっと眺めていた。
食事も済ませ、食器を片付ける。
ひとしきり踊った娘は満足そうにこちらに駆け寄ってきて、可愛らしい笑顔で話しかけてきた。
「おかーさんの言った通りだったね!」
「そうだな。思ってたのとちょっと違ったけど。」
「ねぇねぇ、おかーさん。おかーさんも魔法で戦ったりしないの?」
「できるわけないだろ?あれはアニメで、現実では魔法は使えないんだよ。」
「ふーん。そっか。」
娘が悲しそうな顔をした。その顔を見た時、他の誰かの顔が重なって見えた。誰だ?けど、あたしはその顔を知っている。けれど思い出せない。もう一度、娘の顔を見た。娘は不思議そうにこちらを見返してくる。すると娘は、不意に満面の笑みを浮かべてこう言った。
「おかーさん!海行こ!海観たい!」
「…そうだな。散歩でもするか!」
娘の提案で、海岸を散策することにした。
自宅から海は近い。暫く西へと歩いていくと、海岸沿いに到着した。
あたしと娘と弟は、三人手を取り合って海岸沿いを歩く。
娘は堤防に上り楽しそうに潮風を受けていた。弟も続いて付いていく。
「あんまり身を乗り出すなよ、テトラの隙間に落ちたら助けられないぞ。」
「うん!」
娘はさらに駆け出して行った。暫く堤防の上を走って、少し離れたところでこっちを見る。
「おかーさん!ココの真下、海しかないよ!」
その立ち姿に、再び他の誰かの影が重なった。
「なんなんだ、一体…。」
あたしはたぶんその人物を知っている。けれど思い出せない。歯がゆい気持ちが心をくすぶっている。そんなことも知る由もなく、娘は再び海を覗いている。
その時だった。
急な突風が吹き、娘がバランスを崩す。スローモーションの世界に入ったかのように、ゆっくりと娘の体が堤防から落ちていく。突然の事だったのか、弟もあたしもそれを眺めることしかできなかった。そのまま落ちていき、大きな水しぶきを上げる。
すぐさま駆け寄った。堤防を上り、急いで海を覗く。溺れている。水面をバシャバシャ叩く音がやたら鮮明に響く。
あたしはすぐに飛び込めなかった。そこに居る人物が、娘ではなかったから。
猫耳をはやした幼女が必死にもがいていた。
あたしは知っていた、彼女を。今、一番あたしの心を埋め尽くしている人物であり、あたしの不安の種でもある。
彼女が沈みかけている。そして最後の力を振り絞ったのか、こちらを見ながら叫んでいた。
「おかー・・・さん・・・。たすけ・・・。」
彼女はそのまま沈んでいき、その姿は暗い海底へ吸い込まれて行った。
「…メルル。メルルー!」
気づけば海へ飛び込んでいた。彼女を求め、深く、暗い海の底へ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
海の音が聞こえる。
涼しい潮の香りがする風が窓から吹き込んでいた。時計を確認する、朝の5時半過ぎ。どうやらソファーで寝込んでしまっていたらしい。それにしても寝すぎた。あたしはゆっくりと上体を起こす。
「…なんであたしはあんな夢を見たんだろう。」
呟いてはみたが、応えてくれる人などいない。ありもしない家庭と、現実には存在しない夫や娘にその弟。何となく誰かに似ている気もしたが、顔や名前が思い出せない。はっきりしているのは、メルルがあたしに助けを求めて海に沈んでいったあの光景だけだった。
あたしはシャワーを浴びるために風呂場に向かった。衣服を脱ぎ捨て、すぐにシャワーを浴びた。少し熱めに設定したお湯が心地いい。いつもならば、すぐに頭と体を洗うが、今はそんな気分になれなかった。鏡に映る自分の姿を見て、目頭から頬を伝うお湯が、まるで泣いているかのような錯覚すら覚えた。
結局、湯浴みだけに留め、長い髪を乾かし。暫くまたぼぅっとしていた。
気づけば、開署時間に迫っていた。
部屋着から外行き用の服に着替え、最低限の荷物を持って部屋を後にした。
プレゼントに買ったチョーカーも、忘れずに鞄の中に入っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます