第4話 先輩
土曜日の昼前。
昨夜の食事と酒のせいか、いつもより遅く起床した。時刻は11時を過ぎている。いつもこの時間ならば、貯め録りしたアニメを観るかオンラインゲームをしているころだ。しかし、今日は別の用事があった。
いつものようにコーヒーを一杯飲み、外行き用の服に着替える。あまり服への拘りは持っていないが、基本的にはデニム生地のロングパンツを愛用している。特に理由は無いが、動きやすいのでそうしている。上着もシンプルなシャツに一枚羽織るカジュアルなコーデが多い。大学の頃からあまり服の変化は無いが、当時のクラスメイトからはオシャレヲタクなんて言われていた。着替えも終わったところで、最低限の荷物を準備し、目的地に向かった。
とは言っても、あまり距離は離れていないので、散歩がてら海岸沿いを自転車で向かうことにした。この辺りも開発が進み、田んぼから建売住宅やマンション、サイクリングコースまで作られ、まさに住みよい街へと変わっていった。橋を渡り、暫くすると山が見えてきたので、適当なところで左折し山の麓を目指す。すると一気に景色が変わり、古い民家や建物が多くなってきた。この辺りはまだ開発が進んでおらず、昔見た光景も幾つか残っていた。
山の麓が近づき、目的の場所が見えてきた、少し大き目な平屋建ての古民家で、軽トラックが倉庫に止められていた。門をくぐり自転車を止める。
ピンポーン。
インターホンを鳴らし、当人が出てくるのを待つ。
『はーい。』
奥から声がし、扉が開く。
「あ!せんせー!」
「こんにちは、ひこねちゃん。」
「こんにちはー。」
「お母さん居る?」
「うん!せんせーはいってー。」
「ありがと、お邪魔しまーす。」
土間で靴を脱ぎ、そのまま木で作られた廊下を進む。ひこねちゃんに案内されたのは、台所の食卓だった。煮物のいい匂いが充満しており、食器やら数品のおかずが並べられていた。ちょうど食事にするところなのか、その人は最後の一品を運んでいた。そしてその人が、今回の用事で会う人物である。
「夏実先輩、お邪魔してます。」
「あらー、さーちゃんいらっしゃい。ちょうどご飯が出来たから、食べて行ってねー。」
「昨日の今日で、急にすいません。」
「いいのよー。こちらこそ、実家にわざわざ来てもらってありがとねー。ヒーちゃん、じぃじぃとばぁばぁ呼んできてー。」
「うん!」
夏実先輩はそう伝えると、ひこねちゃんはダッシュで台所から出て行った。
「先輩、相談なんですが…。」
「それねー。お父さんもいるし、ご飯食べながらにしましょー。」
「なんかすいません。」
「お仕事なんでしょー?しょうがないよー。むしろ頑張ってえらい!」
「そうですか?」
「うん!むしろ昔みたいに色々頼ってほしいんだけどなー。3人で遊びたいしー。」
「そう…ですか。」
「ん?どうしたのさーちゃん?」
「いえ、なんでも。」
昔みたいに…か。確かに当時、高校生の頃から大学卒業まで3人で過ごすことは多かった。だがそれも10年前の話。別に避けているわけでは無かったが、卒業後の赴任先が遠かったため、10年間顔を合わせることもなかった。いや、あの事があったから会いたくなかったのかもしれない。
これはあたしの気の持ちよう。我儘な感情だ。誰も悪くない。もう納得したはずだ。いい大人なんだ。その程度でへそを曲げてはいけない。
「いい匂いがすっとね~、って紗那恵ちゃんじゃなかと!ひさしぶりやな。」
「あぁ、お久しぶりです。あと、お邪魔してます。」
「ひさしぶり紗那恵ちゃん。」
「おばちゃんもお久しぶりです。」
「さぁさぁー、皆揃ったし、ご飯にしましょー。」
「ごはんー。」
一家がそろったところで食卓を囲む。あたしもひこねちゃんに引っ張られて用意された席へ着く。海藻サラダに魚の煮つけ、アラの味噌汁と海鮮づくしだ。大皿に刺身なんかもある。あたしも自炊はするが、ここまで凝った料理はしない。
「いただきます。」
『いただきます。』
先輩のお父さんの号令で食事が始まる。
魚の煮付けは身が柔らかく、口に入れた瞬間、うま味と上品な油の味が舌の上に溶け出し、ご飯との相性がばっちりだった。海藻サラダも、野菜のシャキシャキ感と海藻のコリコリとした感触が絶妙にマッチし、磯の香りが鼻から抜けさらに食欲を誘った。味噌汁も良い出汁が出ている。お刺身も鮮度が抜群で、醤油に付けたとたん、油がさっと広がって、口に入れると、これまたうま味が抜群だった。こんな料理は、料亭にでも行かないと食べられないであろう。
しばらくは久しぶりに会ったということもあって、あたしの話題が中心で進んだ。地元を離れてどうだったとか、赴任先の名物の話だとか、逆に10年間で変わった事、感じたことの話しをしたりだとか、他愛もない会話が続いた。
食事も終盤に差し掛かり、先にひこねちゃんと夏実先輩のお母さんが居間へと行き、折を見て話題を切り替える。
「お茶どーぞ。」
「ありがとうございます。」
「それでー、今回はどうしたのかなー?」
お茶を一口含んで飲み込む。
「こちら都合の勝手な相談なんですが、あたしの勤務する学校の校外学習で、毎年漁船を利用した海上体験をしているんです。それが今年は海流の異常によって船を出せないみたいなんです。」
「ふん。組合には連絡したと?」
「他の担当教員が連絡をしてくれたみたいです。けれど船は軒並みNGが出ました。ただ、港は大丈夫そうなので、おじさんが居るの漁港で何か別の体験が出来ないかと思い相談に来ました。」
「なるほど。ばってん、うちゃ
「あぁ、そこはあまり気にしなくて大丈夫です。漁をさせたいわけでは無いので。」
「ふーん。じゃぁーあ、さーちゃんは子供たちにどんな事させたいのー?」
「…そうですね。出来れば魚とか磯の香を感じて、地元の人達がどんな仕事をしているかを体験させてあげたいんです。少しでも地元に愛着を持ってもらえるような、記憶に残る体験をしてほしいですね。」
「まぁ!先生みたーい。」
「いや、現役で教員ですから先輩。」
夏実先輩は偶に天然でボケてくる。そのボケに本人も気付いていないので、こっちとしてはやりにくくなることもあった。高校の時から変わらないが、如何せん天才肌なので相談事や勉強ではよくお世話になっていた。そのせいか、つっ込みづらかった。まぁ所謂、お姉さん気質な所もあったかもしれない。
すこし考えるような仕草をして、先輩が口を開いた。
「だったら、いっぱいあるんじゃなーい?」
「夏実、なにか良い案があると?」
「そうねぇ、お魚の出荷体験とかどーお?」
「出荷体験ですか?」
「えぇ。捕まえたお魚を、どうやって仕分けしてー、どうやってお店に並ぶかを体験してもらうの。」
「おぉ、そりゃよか案やなあ!どぎゃんね紗那恵ちゃん!」
「確かに、悪くは無いですね。」
「そぎゃんしたら、早速知り合いん漁師に連絡してみるばい。」
「いいんですか、おじさん。」
「良かよ良かよ、こぎゃんのは早かほうが良かけん。」
「あ、でも組合に通さないと学校側としては困るといいますか、手順があるといいますか…。」
「うちがするんな、コネば繋ぐるだけばい。心配せんで大丈夫ば~い。」
食器も片付けずに、気前よくおじさんは台所を出て行ってしまった。暫く聞き耳を立てていると、遠くから『千葉さーん、娘ん知り合いが…』と電話をする豪快な声がここまで聞こえてきた。
先輩が食器を片付けている間に、あたしは茶を啜って待つことにした。片付けの手伝いを申し出たが、やんわりと断られてしまった。お客様は、まったり寛いでいなさいとのことだ。お言葉に甘えよう。
洗い物が終わるころに、丁度よくおじさんも戻ってきた。
「あ、おとーさん。どうでしたー?」
「OKばい。あとは組合に連絡ば取ってもろうて、段取りしてくれん。」
「すいません、何から何まで。」
「気にせんでよかとね。」
ひとまず一つ目の大きな用事は終わった。
この後の予定は買い物なのだが、服などの大きい荷物になるものではなく、アクセサリ等の小物類を見ていきたいとのことだった。夏実先輩の今日の目的がコレなので、ひこねちゃんを実家に預けに来たらしい。
おじさんと雑談をして、夏実先輩が準備を終わらせるまで時間をつぶす。最近できた大型ショッピングモールがとにかく凄いと語っていた。そこへ行けば、欲しいものが何でも手に入るのだとか。
着替えを済ませた夏実先輩が来て、今日は自転車でツーリングしながら向いたいとのことだった。
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夏に向かって季節が進む中、心地よい涼風を切って川沿いを進む。サイクリング用の道と公道が分けられており、時々子連れの夫婦や散歩中の年配の方、ロードバイクで練習する高校生などともすれ違った。昔は田園が広がっているような場所だったが、随分と様変わりしてしまった。
丁度今向かっている場所は、広い中洲のような土地になっており、その土地の四分の一を千葉県の大手チェーン企業が買収したらしい。5月にオープンしたばかりで、あたしもまだ行ったことが無かった。
夏実先輩とツーリングを楽しみながら、進んでいくと、大きな橋が見えた。そこを超えたところで、ようやく大きな建物が見えてきた。あまりにも大きすぎて、何処に自転車を止めていいのか分からなかったが、敷地内をゆっくり進んでいったところの裏手に、自転車専用駐輪場があった。どこも満車状態で、停めるのに苦労したが、何とか駐輪に成功。そのまま二人で目的の場所に向かった。
「まだ2週間しか経ってないから人がいっぱいだねー。」
「そうですね。」
人混みがすごい。休日の昼間。お昼過ぎ。
人が集まる条件は十分に満たしていた。
嗚呼…、少し後悔した。正直人混みは苦手だ。一人か少人数でしか行動できないヲタクには少しハードルが高い。しかし、当の誘った本人は意に介さず、あたしの手を引っ張ってぐいぐいと進んでいた。
「うーん、これも可愛いけどなー。コッチもいいなー。」
「先輩ならこっちの方が似合いそうですよ。」
「そおー?…あ!これも可愛いー!」
まるで20代の様なはしゃぎ方だが、実際は年が一つ上の人妻だ。もしも年上好きな男性が居ればハートを射抜かれてしまうだろう。正直、贔屓目に見ても美形で可愛い見た目と体型だ。
「~♪」
「楽しそうですね。」
「だってー。久しぶりのさーちゃんとのデートだもん。楽しくないわけないよー。」
「デートねぇ…。」
「そうそう、さーちゃんは何かお買い物しないのー?」
「あたしは、たまたま時間が合って、これと言って何か買おうとは思ってなかったんで。」
「そんなのもったいないよー。折角だし、何かお買い物しよー。ね?」
「…。何か目欲しい物があれば考えます。」
「自分へのご褒美じゃなくてもいいんだよー。誰かへのプレゼントでもね。」
「誰かへのプレゼントですか?」
「うん!気になるあの子にーとか、大切な友達にーとか。」
「そうですね…。」
少しだけ考えてみた。
最近友達になった姫鞠は身なりが高級すぎて、こんなところで買った品を渡すのは、正直見劣りしてしまいそうでやめた。そもそも行きつけのジュエリーショップがあるだろうし。
忠煕は…うん、警察官だし要らないだろう。むしろ実嫁から貰ってくれって感じだ。ちらっとその嫁を観たが、不思議そうかつ楽しそうにこちらを眺めていた。
あとは___メルル。明日会いに行く予定だ。まだアポは取れていないが、きっと会えるはず。そうだ、手土産に一つ買ってやろう。
・・・というか、あたしってやっぱり友だち少ないんだな。別に気にしてないけど。
「先輩。」
「いい人いたんだねー。じぁお買いものの続きをしよー!」
「はぁ、いい大人がはしゃぎ過ぎないでください。」
「はいはーい。」
そこからはスムーズな立ち回りだった。色々なショップを回り、途中フードコートなんかで甘いものも補給しながら、良さげなものを物色していった。
夏実先輩はイヤリングや髪留めなんかを購入していた。あたしはメルルの為に何を選んであげたら良いのだろうか?考えながら進んでいると、今時珍しい、パワーストーンの販売店があった。
様々な水晶を加工したアクセサリが置いてあり、あたしは自然と歩を進めていた。そんなに客足は良くなさそうな感じだったが、あたしはここに目当てのものが有りそうな気がしていた。
そして、見つけた。気づけばあたしは、それを手に取って眺めていた。
「チョーカー?」
「あぁ。ちょうどいいかなと思いまして。」
「うん。きっとその子も喜ぶよー。」
その時、あたしは違和感を覚えた。先輩はメルルを知らないはずだった。
「その子って。どうして子供相手って分かるんです?」
「だってー、まるで娘のプレゼントを選ぶ“お母さん”みたいな目をしてたんだもん。そー思っても仕方ないよー。」
___ピシッ
そんな音が聞こえた気がした。
この人はわざとやっているのか、それとも天然や直感で喋っているのか、あたしには判断がつかなかった。
耐えろ。我慢しろ。憤るな。この人相手には尚のことだ。大人になったんだあたしは。なんとか取り繕え、あたし。ゆっくり、ゆっくりでいい。この人は関係ない。関係ないんだ。
大きく深呼吸して、理性を整える。
「はは…、そうですかね?あたしには家庭が無いんでちょっと分からないですねー。」
今のは少しわざとらしかったかもしれない。まぁ、笑顔は及第点か。
「そっかー。うん、そうだねー。」
「先輩はコレどう思います?」
「そーだねー、翡翠の碧がとてもキレイで良いと思うよー。」
「そうですよね。あたしはコレにします。ちょっとレジ行ってきますんで、待っててください。」
「いってらっしゃーい。」
会計を済ませるため、あたしはチョーカーを持ってレジへ向かった。
「翡翠を選んじゃうところが、さーちゃんっぽいよね。しかもチョーカーかぁ。ふふ、愛されてるねー、その子。」
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