第3話 友達
週末の金曜日、いつものように忠煕の娘、ひこねちゃんの子守りをしながら来週の授業準備を進める。しかし、いつもながらやることが多いため、ひこねちゃんには絵などを書いて暇を潰してもらっっている。
来月の頭には校外学習の準備を整えてちゃんと引率をこなさないといけない。何しろ教職の世界は、半分PTA関係者(保護者会)が牛耳っている。たとえ公務員といえど、不祥事があって、市や県の自治会に迷惑をかけるわけにはいかない。PTAを敵に回すと怖いのだ。
「せんせー。」
「どうしたのひこねちゃん?」
「よんでー。」
「ん。」
以前の続きかと思い、紙を手に取る。
まほうつかいはいじめられました。みんなとちがうから。まほうつかいはいじめられました。みんなのことがわからないから。まほうつかいはいじめられました。そしていつもないていました。
純真無垢なひこねちゃんからこんな言葉が紡がれるなんて。少し驚いた。
まほうつかいはたすけをもとめていました。いじめられてもがまんしました。まほうつかいはさなえせんせいとやくそくをしていたから、かならずたすけてくれるとしんじていたからです。
すこしドキッとした。先日似たようなことが有ったためか、それともひこねちゃんがその事を書いたからか。純粋に疑問に思った。
「なぁ、ひこねちゃん。これってお父さんから聞いたの?」
「ううん。ひこねがかんがえたの!」
「そうか…。」
さなえせんせいはまほうつかいをたすけて、そして家族になりました。
「・・・。」
なぜだろうか?心の中がもやもやしてきた。そしてメルルのことが心配になってきた。
そういえば、忠煕に引き渡してからどうなったか、あたしは知らなかった。別に気に掛ける必要も無いといえばないが…。警察へ引き渡したから安全だろうと考えていたから、親身に考えていなかった。果たして自分はどうするのが正解なのだろうか。
「・・・?せんせー?」
思慮に耽っていた自分にひこねちゃんが声をかける。
「あぁ、すまない。」
一言謝って、読み終えた紙を返す。ひこねちゃんは満足したのか、今度は折り紙を折り始めた。あたしは自分の仕事に戻ろうとパソコンに向き直したが、それはすぐに手を止めることとなった。
「伊佐坂先生、少しよろしいですか?」
「…何か用?」
「何か嫌そうな表情をしていますね。」
「そりゃぁ、まぁ、仕事の途中だし。で、要件は?」
「来月の校外学習の相談をしようと思いまして。」
「なるほど。」
「せんせー、いっしょにおりがみしよー」
「いいよー。何折るのー?」
「かに!」
丸山先生はひこねちゃんのお守りを買って出たようだ。そのまま器用に相談の話を始めた。
「…で先生、学習先の漁業区の港についてですが、最近沖の流れがおかしいので、例年の漁船体験については見送らせてほしいとの事です。」
「なるほど。で、代わりに何を体験させるかってことね。何か言い案でも?」
「案が無いから相談なのですよ。」
「そりゃそうか。」
「漁業組合に連絡した手前、別の場所に変更するのも大変です。時間も無いですしね。」
「沖には出られないが、港は使えると…。ということは、漁業に関連した何かを港で行う。」
「そうですね。」
「はぁ、打瀬網が出来ないってこんなにめんどくさいんだな。」
「この地域独特の伝統漁ですからね。」
地域柄、漁業が盛んで有名なのは、地元で育ってきた自分が良く知っている。この時期になってくると毎日のように大きな船が何隻も帆を貼って海上を進行する。あたしはそんな地元の変わらない風景が好きだった。よく忠煕と釣りをしながら眺めたものだ。
「ちなみに、なんで海流の変化があったの聞いてもいいか?」
「それに関してはよくわかっていないのですが、大きな地殻変動か海外の異常気象が原因ではないかと言われています。」
「そうか…。後者のほうが現実味有りそうだな。地震も起きてないし。」
「そうですね。どちらにせよ、海上体験ができない分、子供たちが学べる地域産業を探す必要がありそうです。」
「せんせー、かにー。」
「あらー、上手にできたねー。」
「・・・。」
丸山先生って子供に対しての変わり身がすげーな。自分にはできそうにないため、正直少し尊敬する。同じ年令だが、小学教員歴の長い丸山先生の方が幾分か子供たちの扱いに慣れていた。
「どうしましたか?」
「いや、尊敬するよ。」
「急に何を言っているのですか伊佐坂先生は。」
「あたしは小学を担当するのは初めてだからさ、まだまだ未熟だと思って。」
「そんなことありません、頑張っていると思いますよ。むしろ頑張りすぎです。」
「そうか?」
「はい。」
あたしは考えが読めないものが苦手だ。だからペットは飼わないし、人付き合いも最低限に済ましている。国から小学校への赴任指示が出た時は断ろうかと思ったくらいだ。だが、地元に帰れることと、夏実先輩からの後押しもあって、教員を続けることにした。…現実はうまくいかないが。
そこまで考えて、ふとしたことを思い出した。
「そういえば…。丸山先生。」
「はい。」
「当てが一人いる、一週間もらってもいいか?」
「本当ですか?それは助かります。やはり伊佐坂先生に相談してよかったです。」
「それはどうも。」
「ありがとうございます。伊佐坂先生も何か困ったことが有ればいつでも相談してください。微力ながら力になりますよ。」
相談か…。何かあるかと思っていたが、モヤモヤしたものが先ほどからあるのを思い出した。
「あー、丸山先生。」
「はい?」
「なんていうか、その、…相談が。」
「・・・なるほど、カード使うのが早くないですか?」
「いつでもっていっただろ!」
「まさか、舌の根の乾かぬ内に来るとは思っていませんでしたよ。」
「あぁ、…まぁ普通そうか。」
確かに、普通このカードは時間が経ってから使うものだ。珍しく丸山先生が困っていた。
「それで、相談とは?」
「あー、ココではなんだし、仕事もあるから、終わったらで…どう?」
「分かりました。では、終わるまで待ちましょう。ひこねちゃん、もうすぐ4時ですよー。片付けして帰ろうねー。」
「わかったー。」
丸山先生の用事も済んで、ひこねちゃんの帰宅を促す。外は夕方に差し掛かっていたが、高学年たちがまだ遊んでいた。しばらくすれば、帰りのアナウンスが流れ、みんないなくなるだろう。
「せんせーにあげる!かに!」
「そうかい。」
カニの折り紙を受け取って、そっと眺める。若干くしゃくしゃだが、この年齢にしてはよく出来ている。
「ありがと、ひこねちゃん。」
「うん!せんせーバイバイ!」
手を振りながら挨拶をする。出入り口で振り返ってもう一度手を振る。その後ろを丸山先生がついて行ってくれた。
さて、残ったあたしはあまり進められなかった仕事をいっきに片付けよう。6月までの仕事が終れば暫くは担当が無くなるので、今やれることをやっておかねば。
残りの仕事量を確認し、何とか定時までに終わらせる算段を付ける。こっちから誘っておいて待たせる訳にもいかないので。
それからは集中して仕事を進めたせいか、気づけば5時を過ぎていた。少しだけ待たせてしまうな。多少の申し訳なさを感じていたが、職員室に居た丸山先生に一言伝えると「大丈夫ですよ」と返してくれたため、甘えて仕事を進めることにした。なんやかんやで5時半になってしまったが、笑顔で待ってくれていた。
職員室のデスクにカニの折り紙を飾り、二人は教頭に挨拶をして学校を後にした。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
丸山先生のスポーツカーに乗り、市の中心に在る繁華街へと向かった。先生曰く、いつも週末の仕事帰りに行くお店があるらしい。
「いつか伊佐坂先生と行ってみたかったのですよ。」
「なんで?」
「理由なんて要りますか?」
「まぁ、無くてもいいけどさ…。少し気になるというか…。」
横目で彼女を見ると、少しウキウキしていた。何がそんなに楽しいのかがよく分からなかったが、学校ではどこか落ち着いた雰囲気と微笑みを絶やさない姿とのギャップに違和感を覚えていた。
「私、これまでの育ちのせいか、いつも猫を被ったような接し方が身についてしまって、職員の方々から一歩引かれていたのです。」
「ふむ。」
「けれど伊佐坂先生は赴任当初から私に対してはフレンドリーに接してくれていました。」
「…別に普段通りなんだけどな。」
あたしは別に気にしたことなかった。年上の先生方には一応敬語は使うが、それもギリギリ及第点レベルの代物だ。年下には気を遣うし。窓の外の流れる景色を観ながらそう思った。
「私がこの業種を選んだのは、子供たちは上下関係をあまり意識せず話をしてくれるからです。私にとって子供たちは家族みたいなものですから。」
「急にどうした?身の上話みたいな事言いだして。」
「私の事を知っていただこうと思いまして。」
「なんでまた。」
「それは、その…。」
なんだかしおらしい。こんな姿の丸山先生は初めて見た。学校ではスーパーキャリアウーマンだが、もしかしたら普段はただの貴婦人なのかもしれない。ただの貴婦人って結構パワーワードだな。
あたしが話さないせいなのか、短い沈黙が続いた。
気分を変えるため、別の話題を振ってみた。
「…丸山先生は結婚してるんだよな。」
「はい。中学2年生の息子が一人います。」
…中学生?あたしと同い年だよな?…え?ちゅうがく2ねんせい?
「えっ?って顔してしまいますよね?皆同じ反応しますよ。」
「いや、若過ぎるだろ産むの。」
「大学1年生で母親になりました。驚きましたよね?」
「…よく教員免許取れたな。子育てとかどうしたんだ。」
「夫が主夫希望だったので、特別困ったことはありませんでしたよ?」
「…。」
「羨ましいですか?」
「…別に。」
ぶっきらぼうに言い返す。夫もいて、息子もいて、都合よく自分は働いていける。幸せだろうなコノヤロー。この歳で未婚独身のあたしに対して当てつけのように感じたが、ちらりと横顔を見ると、少し悲しそうな表情をしていた。
しばらくすると、車が減速し、左折する。目に入ってきたのは、目に見えて高級そうなホテルであった。
あたしがぽかんとしていると、入口正面に車を止め、ボーイにカギを渡していた。付いてくるように言われ、流れるようにエレベータへと案内され、あっという間に見晴らしの良い高級レストランへのフロアへ到着した。場違いな雰囲気にあたしが身を固くしていると、さらに奥へと案内され、さらに見晴らしの良い密室へと案内された。
「伊佐坂先生、こちらへお座りください。」
緊張しながらも、窓際の大き目な丸テーブルの前に座った。その対面に丸山先生が座る。
「…あの、先生?これはいったい?」
「お食事しながらご相談をお受けしようと思いまして。」
「あたしもそのつもりだったんだが…なんというか…。」
もっとラフな居酒屋とかバーテンをイメージしていた。軽く盃を交わしながら相談に乗ってもらおうと考えていたため、なんだかやりづらい。
すぐに料理が出てきたが、どれも高級そうな品ばかりだ。若干おろおろとしていると、「そちらのフォークです。あとマナーは気にしなくとも良いですよ。」と、ワインを飲みながらフォローを入れてくれた。学校の話題を少ししつつ、食事をすすめ、少し落ち着いたところで相談の内容を切り出した。
「…それで、例の相談なんだが。」
「はい。」
「最近とある女の子に出会って、その子を警察に保護してもらったんだ。その子は身寄りもないような感じの子で、出会った当初はえらくあたしのことを気に入ってくれてたみたいなんだ。けど、あたしはその子に我慢して警察に頼れって、警察に引き渡した。」
「その後、何か問題があったのですか?」
「いや、ない。」
「そうですか。」
「…それで、ここからはあたしの一方的な感情になってしまうんだが、…。」
正直、なんと説明しようか迷う。つい数時間前に考え付いたことで、思い付きのような、あいまいな感情である。
「ゆっくりでいいですよー。」
「…、すまんな。」
うまく言葉にできない。
「なんていうか、…不安?こう、心の中がもやもやしていて、その子が気になって…。」
うまく言葉にできない。
「寂しいとは違うんだけど…、近いというか。」
うまく言葉にできない。
「…別に何か特別なことをしてあげたいって訳でもないんだ。なんだろうな…?」
ゆっくりワインを嗜んでいた丸山先生が口を開く。
「うーん、そうですねー。確かに解決策は無さそうですねー。」
・・・?丸山先生の口調が少し変な気がする。
「けれど先生はその子の事が心配なんですねー。」
「心配か…。」
「そうですねー。ふふ…。」
「…大丈夫ですか丸山先生。」
「大丈夫ですー。」
「・・・。」
ほんのりと頬を赤らげながらこっちを見ている。これは出来上がったな。あたしも付き合っていたが、ここまで分かり易く酔うことはない。
すこし見つめ合っていたが、丸山先生の方から口を開いた。
「…先生、その子に会ってあげないのですか?」
「会うってそんな簡単に…。」
「会うだけならタダですよー。」
「そうか…。けど会ってどうする?」
「別にどうもないです。子供は好きな人と一緒に居るだけで幸せになれるのですよー。」
「そうなのか?」
「ええ。その子、伊佐坂先生の事好きみたいですからー。」
きっとメルルはあたしに会いたいのだろう。けど、あの時電話番号を渡しているので、話がしたければ、電話を掛けてくるだろう。そう思っていたが違うのか?
これはあたしの、ただの独りよがりのワガママなのかもしれない。いい大人がそれでいいのか?あたしが心配だから会いに行く、本当にそれだけでこのモヤモヤを解決できるのか?
「悩んでいますねー。」
「あの子に私は必要ないって事は判ってる。」
「違いますよー。」
「なにが。」
「必要なのはー、伊佐坂先生の方でーす。」
「・・・。」
「先生は頑張りすぎですー。偶には自分に素直になったらどうですか?」
「自分に素直にか…。あたしは結構、我慢しない質だと思うんだがな。」
「いいえ、伊佐坂先生は“目的のない事に対しては毛嫌いする”のですよー。今回も、合う目的が無いから躊躇っているのですよねー。」
「そうか。」
そうなのだろうか?あたし自身はあまり意識して考えたことが無かった。
そしたら丸山先生が、テーブルに身を乗り出しながらこんな事を言い出した。
「先生、約束です。その女の子に合ったらそのお話を聞かせてください。」
「・・・。はぁ、分かった。会いに行くよ。」
その言葉を聞いた丸山先生が、満足したように席に戻る。勢いに任せて了承してしまったが、大丈夫だろうか?
「あともう一つ。」
相談は一旦終わったと思っていたが、丸山先生はまだ何か言いたげだった。
「私と友達になってください!」
真剣に、しかし少し泣きそうな顔でこちらを見つめている。そこに居たのは、普段の丸山先生ではなく、女性の
行きの車の中でウキウキしていたのも、やたら自分のプライベートを語ろうとしていたのも、この一言を言いたかったが為なのかもしれない。
別に断る理由もないので普通に返事をした。
「ええ、いいよ。」
するとどうしたものか、彼女は表情を緩めてぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。こんな状態になるとは予想出来ていなかったため、あたしは驚愕のあまり急いで声をかけた。
「おいどうした!あたし変な言い方したか!?」
「違うのです…、私、大学からずっと友達が居なくて…!嬉しくて…!」
とうとう嗚咽を出しながら本格的に泣き始めた。大学からずっと、13年間友達が居なかった。そう考えると孤独感は辛いのだろう。いくら夫や子供がいても、相手は異性だ。同性同士でしか話せない悩みや苦労はいくつもあっただろう。
「せんせぇ…。」
「なに?」
「紗那恵って呼んでもいいですかぁ…?」
「あ、あぁ。大丈夫だ。」
「さなぇえ…!!わたしもひまりってよんでぇ…!」
「あー…。うん…。」
お酒の勢いもあってか、姫鞠はもうぐずぐずだった。普段学校で見ていた姿とはかけ離れていたが、本来こちらが素なのだろう。
その後、落ち着くまで二人ともワインを飲んでいたが、泣きやんだ姫鞠は、それはもうニッコニコだった。人ってこんなに変わるもんなのかと感心していたが、彼女の敬語口調が変わらないところを見ると、育ちの良さがうかがえる。そういえば飲酒をしてしまっているが、大丈夫なのだろうかと思ったが、週末はいつもココに呑みに来ては宿泊しているらしい。
自宅とは結構離れた場所だったので、そろそろ帰宅することを告げると、全額出すので泊っていけばと言われたが、気が引けるので遠慮した。ロビーまで見送ってくれたので、軽く手を振ってやったら、いつもの彼女らしく淑やかに振り返してくれた。
さて、明日と明後日、やることがたくさんある。ほろ酔い状態の頭で、これからの行動を整理して、帰るころには酔いが醒めていることを願いつつ帰路に着いた。
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