第2話 猫娘の幼女
例の事があった翌日の朝、外は新緑の芽吹く暖かい陽気で絶好の行楽日和である。5月なので海には入れないが、海岸を散歩するのも悪くはないだろう。だが、そんな日だからこそあたしにはやるべきことがあった。それは、オンラインFPSだ。このストレス社会の中、合法で銃火器をぶっ放せるのはいい時代だと思う。仲間と連係し敵を蹂躙する。
今、あたしが嵌まっているのは、MMO型侵略系のFPSだ。38時間連続で行われるこのゲームは、自らが傭兵となり、現地で素材を集めて、拠点で武器精製、敵地へ進行しチェックポイントや敵拠点を押さえる。市街地、砂漠、ジャングル、雪山、海上の5つのマップがあり、ランダムで飛ばされるため、それぞれで立ち回りが異なる。故に戦略がモノを言うゲームだ。さらに、アバターごとにレベル差が無いため、実力のみで敵を倒すことができるのが、このゲームの醍醐味かもしれない。
趣味部屋に入りPCの椅子に座ろうとしたが…。
「…スヤァ。」
「・・・え。」
分からなかった。なんで猫娘があたしのゲーミングチェアに座って爆睡してるんだ?暫く固まっていると、携帯端末の呼び出し音が鳴った。呼び出し人は忠煕だ。何となく察しはついていたが、携帯を操作して電話に出る。
「…もしもし?」
『紗那恵か?まずいことになった。昨日保護した子なんだが__』
「あぁ、それならたぶん大丈夫。なぜか、目の前にいる…。」
『…ほんとか?』
「…マジ。」
『はぁ。今迎えに行くからまた見張っててくれないか?』
「また、あたしがか?」
『しょうがないだろ、そこに居んだろ?家か?』
「あたしん家だ。早めに頼むよ。」
『はいはい。すぐ行くからよろしく。』
電話はすぐに切れた。
「ったく。最悪だ…。」
とりあえずどうしたものか。起こすか?それともこのままにしておくか?正直ゲームする気満々だったので、若干のストレスが溜まっている。・・・よし、起こそう。
「おい、起きろ。」
「ミャー…。」
くそ、可愛いな。
「起きろって!」
「んみゃぁ、おはようにゃー…。」
「おはようじゃないだろ。なんでここに居るんだよお前は。」
「…?」
ダメだこいつ、完全に寝ぼけてやがる。
どちらにせよここに居てもらっては困るので、一旦リビングへと担いで運び出した。ソファーの上に寝かして、そのままキッチンへ、先ほど作った珈琲を持ってリビングへ戻る。ロ―テーブルにマグカップを二つ用意し、それぞれに注ぐ。
「ほれ、飲め。」
片方のカップを猫娘のほうに押してやると、寝ぼけ眼のままカップを受け取り、ゆっくりと口に含んだ。それをみて、あたしもコーヒーを頂く。
「…苦いにゃ。ミルクも欲しいにゃ。」
「わがまま言うな、というか昨日の今日でまた家に忍び込んで、何様なんだいあんた。」
少しうつむき気味で猫娘は答える。
「ミーは、
「あたしが聴きたいのはそういうことじゃなくて、どうしてまた家に居るのかを聞いてるんだ。」
「それは…、この部屋__ううん、貴女から魔力を感じるからにゃ。だから、助けてほしくて…」
「…はぁ、よくわからんぞおまえ。困り事があったら警察のあいつ等に頼めばいいじゃないか。」
「あいつらはダメにゃ!ミーが真面目に話してるのに、全然聞く耳を持ってくれないのにゃ!それどころか、耳を持たれて痛かったのにゃ!いじめられたにゃ!」
「あーうん。それは災難だったな。」
よくわからなかったので、軽く聞き流した。
「それで、助けてほしいってのはなんだ?」
「ミーは元居た世界に帰りたいのにゃ。けど戻り方が分かんないのにゃ。だけど、あれはきっと闇魔法の力なのにゃ。」
「闇魔法?」
「そうにゃ!世界には4つの根源と2つの起源があるにゃ。2つのうち一つは闇の起源。貴女から感じるのにゃ。きっと何かの力を持っているに違いないのにゃ!」
アニメやゲームの話をさせられている気分だった。現実ではあり得ない。けどあり得ない中で目の前にいる幼女は実際に猫耳しっぽを生やして存在している。警察は堅物で現実主義者が多いからまともに話を聞かなかったのだろう。少しくらいこいつの話に乗っかってあげてもいいかもしれない。
「ミーが飛ばされたのは、禁書を唱えてしまったからなのにゃ。そこから闇があふれ出て、すべてを飲み込んでしまったのにゃ。」
「で、気づいたらこっちの世界にいたと。ザ・ファンタジーって感じだな。その禁書とやらはどうした?それがあれば帰れるんだろ?」
幼女はコーヒーをちびちびと舐めながら答えた。
「分かんないにゃ。」
「・・・。」
沈黙。
「分からないから、あたしを頼るって?」
「同じ闇の力を持った貴女なら、きっと何かしてくれると思ったからにゃ。」
「・・・困った。」
こいつはふざけているわけではなさそうだ。しかし、こちらとて何かをしてあげられる訳でもない。今のあたしにできることは、忠煕に事情を聴いてやれと言ってやることだけだ。
そもそも、自身から闇の力を感じるとか、すこし怖ろしくも感じる。っていうかあたしって闇属性なんだ。
「あー…、メイリーンって呼べばいい?」
「皆はミーの事メルルって呼んでたにゃ。」
「愛称か。メルル、残念ながらこの世界に魔法の概念は無い。そして、魔法も使えない。だからあたしがメルルを助けることができないんだ。これは判るか?」
「そうなのかにゃ?」
「あぁ。だから今は警察を頼りなさい。警察は国の機関だ。身寄りのないメルルでも、暮らすところくらいは用意してくれるはずだ。」
精一杯の譲歩というか、今自分のできる説得はこれしかない。安易に助けてしまってはこの猫娘の為にもならない。しかも、昨日の今日会ったばかりの他人に慈善活動のようなことをしてやる義理もないのだ。あたしは慈母じゃない。
「もうすぐ忠煕が迎えに来る、あいつはいい奴だ。あたしに言ったようなことも含めて事情をしっかり説明してやれ。必ず助になってくれるはずだ。」
あまり慣れていないが、作り笑顔はできているはず。これ以上面倒事は増やしたくない。ゲームをする時間も削られているのだ。さっさと納得させて警察に補導してもらおう。
「…嫌にゃ。」
こいつ、ここまで言ってもわからないのか。イライラが募りながら更に事情を聴くことにした。
「…。なんで嫌なんだ?」
「貴女がいいから…、貴女に助けてほしいからにゃ。」
「さっき言っただろ、メルルを助けることはできないって。」
「それでも、助けてほしいにゃ…!」
「泣きそうな顔で言われても、あたしにはどうすることも出来ないんだよ。」
「お願いにゃ!ミーを助けてにゃ!助けて…下さい…。」
とうとうメルルは泣き出してしまった。
本当にどうしようもない。これが普通の迷子とかであれば、詳しい話しを聴いて一緒に親御さんを探してあげることも出来る。しかし、今回に限っては異世界から現世に迷い込んだ人物で、本人すら帰り方が分からないと来ている。完全に積みだ。しかもこの猫娘は、やたらとあたしに固執している。その理由も“闇の起源を感じる”という訳の分からない内容だった。どうしたものかと考えてはみたものの、やはり警察に渡すしか方法が思い付かない。現時点での最善はコレしかないようだ。
リビングに猫娘の泣き声だけが響いている。あたしが泣かせたみたいで気分が悪い。あたしは大きくため息をついて、そっと猫娘の隣に座り直した。猫娘の頭を自分の胸へうずめて、優しく撫でてやる。子供は泣いたときにこうやってあやしてやるのが一番だと夏実先輩から聞いた。効果のほどは判らないが、泣き止むまではこうしておいてあげよう。
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メルルが泣き止んでいくと同時に、イライラもスッと消えていった。冷めたコーヒーを飲んでいると、不意に胸を揉まれた感触があったので、視線を落として見た。
そして一言。
「…何やってんの?」
「これは…すごいにゃ…!どうしたらこんな…へぶしっ!」
「はいはい、泣きやんだなら離れてちょうだい。」
頭に軽くチョップを入れて、メルルを身体から引きはがす。
「まだ手にあの感触が残っているにゃ…。」
「胸の感想はいいから。」
「自分の頭ほどもあるおっぱいをぶら下げてるって、どんな気分なのにゃぁ…!」
「胸の感想はいいから!」
今度は強めにチョップをくれてやった。メルルは「うにゅ~」と言いながら涙目で頭を抱えていた。その姿にちょっと萌えたことは黙っておこう。
「痛いにゃ!」
「痛くしたんだよ。それより、さっき言ったことは納得してくれたか?」
メルルが一瞬固まって、そのまましょんぼりとうつむく。泣かないところを見ると、一応腑には落ちたようだった。
「…まぁ、そうかもしれないな。いきなり訳の分からない世界に飛ばされて、自分の言っていることも理解してもらえない。頼れる人もいない。そりゃまぁ、不安になるよな。けど、こっちにはコッチのルールがある。まずはそれに従ってもらう他ない。」
「…。」
コーヒーの水面をじっと見つめ、押し黙っている。きっと心の葛藤が有るのだろう。
「まずは言うことを聞いてくれ。メルルの身の回りが落ち着いたら連絡が欲しい。何かの縁だ、できる限りのことで、手助けをしてやるよ。」
えっ…という顔でメルルがこちらの顔を見ていた。テーブルのメモにあたしの名前と電話番号を記載して、手渡してあげた。
渡したタイミングで、インターホンが鳴る。きっと忠煕が来たのであろう。玄関モニターに行き、玄関のロックを解除する。
『紗那恵、あの子はいるか?』
「あぁ。鍵開けたから上がってくれ。」
玄関の方から忠煕が来る。
「よっ。迎えに来たぜ。」
「…ミーは行きたくないにゃ。」
「…紗那恵。」
目くばせだけして、あたしもため息交じりにメルルに向かい合った。
「メルル、あんたがいい子にしてたらあたしが手助けしてあげる。約束。」
スッと小指を差し出す。メルルはよくわかっていない様子だったので、こっちから小指を絡めてやった。
「これは指切りって言って、日本のおまじないの一つだ。約束を破るとひどい目に合わせるぞってやつ。」
「お、怖ろしいにゃ…。」
「だろ?だから約束は守る。そういうおまじない。わかった?」
「うん。」
あたしは子供に言い聞かせるように、指切りの言葉を紡いだ。そのあと忠煕に、今朝あった内容をザックリと説明し、メルルの話を冗談で済まさないように念を押して説明した。
「さすが先生だな。」
「茶化すな。」
「すまんすまん。さぁてメルルちゃん、そろそろ行こうか。」
「…。」
「メルル、約束。」
「分かったにゃ。…絶対にゃよ!」
「うん。頼んだぞ忠煕、お前が頼りだ。」
「おう、任せろ!」
あいつは昔から変らないなぁ。そう思いながら二人を見送った。
その後ろ姿が何となく子連れの親子に見えて、なぜだか胸が切なくなった。30を過ぎても結婚できなかったあたしは、どこかでまだ家族にあこがれているのだろうか。
「…さて、ゲームでもするかな。」
今日も一人で、家に引きこもる。いつもと変わらない休日が始まった。
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