第22話 賑やかな寝所

 弟がぐっすり眠っているのを確認してから、床につく。人がいなくなると、また不安が蛇のように頭をもたげてきた。


 落ち着け、まだ何も決まってはいないのだ。そうリディは自分に言い聞かせる。しかし、己が圧勝できるほど器が大きいとはどうしても思えなかった。


 美貌と尽きぬ金を持つ金星のユクタ、王に絶大な影響を持つ金髪の女たち、それに新しく加わったテルグ、ラニ、トリシャ。いずれも一筋縄ではいかず、今後さらに伸びてくる可能性も十分ある。そんな彼女らが手を組んだりしたら、自分は立ち向かえるのだろうか。


 もっと寛大な母に育てられていたら、少しは気楽に考えられただろうか。苦々しく思いながら、リディは瞼を閉じた。自分の苦しみが母のせいだと心の中で叫べば、一時的に楽にはなるがそれはなんの解決にもなりはしない。


 隣からは、まだ何の音も聞こえてこなかった。



☆☆☆



 しこたま説教を食らった後、ようやくハレムへ帰ってきたアイラは、足を速めた。もう合格者の情報は、人の口から伝わっているだろう。それでもまず真っ先に、合格を伝えたい相手がいる。アイラはその人物がいるであろう部屋の扉を、勢いよく開いた。


 今は亡き、第四妃。アイラの母の実妹にあたる彼女の使っていた部屋。共有部以外の内装は各妃の裁量に任されているため、必ず赤とは限らない。第四妃の室内は桃色の壁紙で彩られ、白で統一された優美な女性らしい家具が並んでいた。特に、大きな鏡がついた化粧台は印象的である。


 鏡や床には塵ひとつついておらず、悲しい事件後も美しく保たれている。第四妃に義理を尽くしたいという王の意向もあるが、それよりも──


「カイラ!」

「お帰りなさい。結果はどう?」


 目の前にいる少女、第四妃の娘、カイラの働きが大きい。今だって放っておいてもいいような糸くずを、几帳面に拾い集めている。窓を開ければ風で飛んでいく、というアイラの提案はやんわりと、しかし断固としてはねのけられた。


 身内の贔屓目をのぞいても、カイラはかわいらしい。華奢な身体にふわふわとした色の薄い金髪の姿は、昔話の妖精を思わせる。いつも困ったように眉尻が大きな目が下がっていて、相手を拒否しそうな素振りなど全く見せない。しかし芯は強いのだ。アイラより、ずっと。


 そんな思いには気付かず、カイラは縫っていた正装をしまい、期待をこめた目でこちらを見つめる。アイラは大きく両手を広げた。


「合格。六人の中に残った」

「やったね」


 カイラが笑い、室内の重い空気が消え失せた。


「たくさん候補者がいたんでしょう?」

「全部で二百人くらいかな」

「その中の六人、狭き門ね」


 カイラは自分の言葉を噛みしめるようにうなずく。


「私が落ちるわけないじゃん」

「そうね」

「お姉ちゃんだもの」


 正確に言うと、アイラとカイラは従姉妹なのだが、小さい頃から実の姉妹のように育ってきた。だからアイラは、昔からカイラの姉を名乗ってはばからない。それを相手に否定されないのが、嬉しかった。


「ねえ、何の星になったの?」

「……太陽」


 目を輝かせるカイラとは反対に、アイラは声を落として答えた。


「素敵じゃない。お父様と同じなんて」

「だって吉星じゃないもん」


 吉星でも凶星でも、どちらでも力があることは変わりなく、「泥」の戦では活躍できる。問題なのはその後だ。


「基本的に、王になるのは吉星に選ばれた人間でしょ?」

「全てそうとも限らないけど」


 カイラは口を濁した。あまり例がないのだから、無理もない。


「そりゃ、縁起がいいのは吉星だよね。国の頂点ならなおさら。凶星つきだと、なんか悪い影響ありそうじゃない」

「でも、お父様だって『太陽』よ。それでも今まで、立派にやってきたじゃない。力があるなら、後は使い方次第だと思うけど」

「立派? あれが?」

「……あんまりいじめちゃだめよ。泣くから」

「冗談よ。そうね、凶星に負けたーってあの女を泣かせてやるのも面白そうだし、せいぜい頑張るか」

「あの女?」


 アイラは、木星を射止めた女のことを話してやった。リディのことはもちろんカイラも知っているから説明する必要もないのだが、自分でもびっくりするくらい次から次へと悪口が出てくる。


 これくらいしゃべれば、いいかなというところでアイラは口をつぐんだ。アイラは勝ち気な性分と、出くわしたライバルへの対抗心で王になりたがっている。──自分の周りの人間には、そう思わせておく必要があった。


 アイラはカイラの反応をうかがう。彼女の顔に疑いは見えなかった。


「それは大変そうね。でも、あまり無理はしないで」

「分かってる」


 カイラがいたわりの言葉を口にすると同時に、細工時計が鳴った。


「もうこんな時間」

「別に、私たちが話しこむのは珍しくないでしょ」


 姉妹とも話が尽きず、夜通し語り合ったこともある。今更何を言うのだと、アイラは眉をひそめた。


「今日はいつもと違います。伯母様が今か今かと、結果をお待ちに違いないわ」

「気にしなくていいよ。どうせ親父が言いふらしてるって」


 何せ、合格者七人全員が自分の子供なのだ。黙っていろと言う方が無理だろう。


「うちの母親なんて放っとこ。最初なんて、親父と一緒になって反対してたんだからさ。それよりねえ」

「いけません。決まった以上、しっかり報告しなさい」


 話をそらそうとしたが、妹には通用しなかった。


「どうしても?」

「どうしてもです」


 にこにこしているが、こうなったら彼女はテコでも譲らない。だいたいのことは譲ってくれるが、決めた一点には自分より頑固だ。アイラは腹をくくった。


「……分かった。でも、すぐ助けに来てよね?」

「はいはい」


 カイラは涼しい顔で、縫い物の続きを始めた。アイラは部屋を出て右手奥──自分のねぐらへ向かう。


「ただいま」


 扉をあけると、すぐ前に母親──アールシが立っていた。荒い鼻息が、アイラの髪を揺らす。


「わあッ」


 悲鳴をあげると同時に、抱きつかれてしまった。受け継がれなかった豊かな胸に圧迫され、アイラはうめく。


「おめでとう。アイラの言っていた通りになったわね」

「フゴゴ……」

「ずいぶん活躍したんですって?」

「フ、ゴ」

「新しい衣装ができているのよ。それを着て出陣したらどう?」

「フゴムゥ」

「照れなくていいのよ」


 うなり声から感情を読み取れるくせに、決して解放してくれない。言っていた通り素直に祝福してくれるのはありがたいが、少し調子に乗っていないだろうか。


「アールシ、離してやりなさい」

「あら、あなた」

「様子を見に来たよ」

「やだ、嬉しいわ。ゆっくりしていってね」

「当たり前だ」

「あー、抱きつくな抱きつくな他所でやれー、ばかー」


 ようやく父がやってきて解放されたが、今度は盛大にいちゃついている両親を見るという苦行が始まる。

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