第18話 気安い食卓

 思い出に浸っている間に、着替えが完了していた。ようやく頭が軽くなって、トリシャはため息をつく。クシィはその間にも食卓を移動させて、てきぱきとお茶の準備をしている。


 宮殿にはどっしりした家具が並んでいるかと思ったら、ほとんどが分解可能で、部屋の使い方によって移動する方式だ。まさか宮殿でこんな面倒くさいことをしているとは思わなかった。


「お客様によってしつらえが変わったり、時には楽団や劇団を入れたりもしますからね。動かせないと不便で仕方無いんですよ」


 そうクシィが教えてくれたのを覚えている。準備をしているうちに厨房から料理が運ばれてきて、食卓の上が華やかになった。


「さ、いただきましょう」

「はい」

「わー、今日はごちそうですねえ」

「合格のお祝いですからね」


 トリシャとクシィが一緒の卓につく。侍女や下女たちも部屋の隅で自分の席についた。通常、こんな風景は王宮では見られない。主人や貴族たちと、召使いたちの食事の場は明確に分けられているからだ。主人の食事の世話すら、選ばれた上級の召使いしかできない。


 しかしカエルム家にはそんな風習はない。だからひと部屋で、いつもこうやって固まって食事をするのである。大貴族なら順を追って供される料理も、ここでは特別な日でない限り大皿にのって全部卓の上にある。


 前菜は小麦を練って薄く焼き上げた皮に、冷えた味付け肉をくるんだ料理。それを甘辛い味がついた発酵調味料につけて食べる。ちまちま食べなければ怒られるのが面倒くさかったが、肉の脂と塩気が口の中に拡がると、張り詰めていた気分が少しましになった。実はずいぶんお腹がすいていたのだ、と気付いたのもこの時である。


 しばらく黙々と食べた後、トリシャは聞いた。


「お母さんは?」

「お母様」

「……お母様は、今どこに?」

「お仕事中ですからね。詳しくは言えませんよ」

「まだ戻ってないの。長いね」


 こんな日くらいは戻ってきているかと思ったが、期待外れだった。母は昔から一定期間ふらりといなくなる。その間はどうやっても連絡がとれず、何かあったのではと周囲が騒ぎ始めたくらいでまた帰ってくるのだ。父に聞いてもクシィに聞いてもはかばかしい答えはない。自分が聞いてはいけないところのようだ。

 

「戻られたら、真っ先に報告しましょうね。名誉なことですから」

「……うん」


 吉星ではなかったのが残念だが、選ばれただけでも望外の幸運だ。これで少しは、宮廷内に入り込むきっかけができるかもしれない。そうでなければ、トリシャが苦労している意味がない。


「お友達からは、鳩が飛んできましたよ。また後からご覧になってはいかがです?」


 トリシャの気分を盛り上げようとしてくれているのだろう、仲の良い侍女がつとめて明るい声でそう言った。


「本当!?」

「ええ。たくさん鳩が来るので、窓が混み合って大変でしたわ」

「ジヤ。余計なことを言うんじゃないよ。トリシャ様、ナイフをふらふら動かさないでください」


 クシィが苦言を呈したが、もはやトリシャの耳には半分も入っていない。適当に料理をつめこんで終わりの挨拶をし、ベランダに向かって突進した。背後から追加で追いかけてくる小言は、聞こえないふりをする。


 窓枠には、ジヤの言った通りたくさんの鳩が並んでいた。トリシャが手をさしのべると、我先に腕にとまってくる。


「ふふふ、くすぐったい」


 傷つけないように注意しながら、足にくくられた手紙をとった。普通手紙は人が運ぶのだが、どうしても急ぐ手紙は速い鳩を用いる。鳩便も紙も庶民には決して安い買い物ではないから、たいてい手紙は何人かの寄せ書きで、小さな紙片にたくさんの文字が並んでいる。


 丸い字。間延びした字。そもそもなんて書いてあるのか分からない字……宮廷の人間が書く流麗な文字とは全く違ったが、それでも書いた人間の顔が見えるようで、トリシャは楽しくてたまらなかった。


「トリシャ様、せめて座ってお読みください」

「いいじゃないの、今日くらい。クシィおばあちゃんも頭が硬いなあ」

「ジヤ!」

「はいはい、ムキになると皺が増えるわよ。あ、もう増える場所がないか」

「尻を叩かれたいのかい、あんたは!!」

 

 横手から、素に戻った祖母と孫の喧嘩が聞こえてきた。トリシャはその横で、次々に手紙を読んでいく。祝いの言葉を読んでいると、生まれ育った六室を旅立った日のことが思い出された。


 泣いて別れを惜しんでくれた友達に、おめでたいことなのだからと困り顔で諭す親や地区の大人たち。彼らに共通していたのは、もう王宮に入ってしまったトリシャに会う機会はないだろうと半ばあきらめているところだった。


 でも、トリシャは諦めたくなかった。縁の薄い父母のかわりに、トリシャを自分の家族のようにして育ててくれた人たちである。あれが今生の別れだなんて、信じられない。必ず立派になって、また友達として、仲間として会いに行く、そう心に決めていた。


 今度の惑星武器選抜は、絶好の機会だった。これに選ばれたことで、泥討伐の時に全土に行けるし、名をあげることもできる。王になどならずとも、すでにトリシャの心は躍っていた。


 一通り手紙を読み終わったところで、自分を呼ぶ声がした。一応孫と休戦したらしいクシィが、無表情のまま手招きしている。彼女の後ろで、ジヤがせっせと果物を満載した焼き菓子にナイフを入れていた。


「トリシャ様。細かいことは申しませんから、窓を閉めてくださいませ。そろそろ、光に引かれて虫が集まってきます」

「……そうすれば安心できる?」

「ええ、そうでございますよ。今日は婆は目も耳も衰えておりますゆえ、細かいものがよく見えませんので」


 ジヤが勝ったらしい。クシィの頭ごしに、にやつく彼女の姿が見える。トリシャも笑みを浮かべながら、卓に戻って自分の取り分にあずかった。


「で、どうですか。王にはなれそうですか」

「興味ないよ」


 食後、ジヤにあけすけにそう聞かれる。トリシャは正直に答えた。するとジヤは、あからさまに残念そうな顔をする。どう応答したらいいかわからなかったので、トリシャはジヤの反応を待った。


「そんなこと言わずに、目指してみたらどうですか? 平民出身の王、ここ何代か出てませんしねえ。斬新な政策が出るのに期待したいんですが」

「ジヤ。別に今の暮らしで不便はないんだろう? 文句を言ったら罰が当たるよ」

「それはそうですけど」


 ジヤは唇をとがらせた。


「それでも、あの第一妃の娘には勝ってほしいんですよねえ。あの王妃様、私のこと見ても無視するんですよ。こっちは置物じゃないっつうの」

「ジヤ。あんたも言葉遣いと常識の訓練が必要だね。身分が違いすぎる相手と会話なんかしないのが貴族にとっては普通なのさ。ルドラ様やアールシ様が特殊なだけだよ」


 やりこめられるジヤを見て、トリシャは口を開いた。


「……でも、ジヤの気持ちも分かる。私も、なじめない」

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