第16話 姉をからかう、いと楽し
「分かる」
「お互い不自由だね。じゃ、これで。リディ、あんまり働き過ぎちゃだめだよ」
「わ、分かってる。その……」
リディはもっと何か言いたげだった。しかしそれが形になる前に、男たちはこちらに背を向けて歩き出していた。中二階の奥にある石扉が彼らを飲みこみ、そして再び閉じる。リディはしばらく、その扉をじっと見つめていた。
「……はあ」
「いやあ、面白かった面白かった」
肩を落としていたリディが、アイラの声を聞いて我に返る。唐突に振り返った彼女の顔は、面白いくらい真っ赤になっていた。
「さあ、進むとしよう」
「お姉様の幼なじみ、いい男じゃない」
「行くぞトリシャ」
アイラの当てこすりを、リディは黙殺しようとした。外につながる扉を強引に開け放つと、咲き乱れる花の香りが漂ってくる。せかせかと足を動かすリディの背中に向かって、アイラは言葉を放った。
「──私、あの人と結婚しようかなあ」
リディの足が完全に止まった。
「よし決めた。テルグの遠縁なら家柄も合格点だよね。お母様に頼んでみよ」
「待て」
皆まで言わせない、という風情だった。リディが怖い顔をして、アイラの眼前に立ちふさがった。声が低くなっていて、彼女には珍しく本気でドスがきいている。遠回しに言う余裕は、すでに彼女の中から消え失せていた。
「軽薄すぎるだろう。どこをどうしたらそうなる」
「面が好み」
アイラはしゃあしゃあと言い放った。もはや声も出なくなったリディの眉間に、「このアマ……」という感情をこめた線が浮かぶ。対立する姉たちに困惑している様子のトリシャを放って、アイラはリディに歩み寄った。
「さっきの仕返しか」
リディが低い声で吐き捨てた。アイラはうなずいてから、とびきりの笑みを浮かべる。
「半分はね」
もう半分は、本当に面白そうな男だと思ったからだ。当てつけだとしても、もさい男に近づく気にはなれない。結婚する気はないが、一時の楽しみくらいは享受するかもしれない。それを聞いたリディは、唇を震わせていた。
「人には色々あるからさ。長生きしたけりゃ、あんまり深入りしない方がいいってことで。今後黙ってくれるなら、こっちも対応を考えるけど」
アイラが念を押すと、リディは悔しげに唸り──そして、うなずいた。ようやくわかってくれたようだ。
「交渉成立」
軽い態度を装いつつ、アイラはほっとしていた。これでしばらく、リディの詮索が抑えられる。アイラは己の幸運に感謝しつつ、次の手を考え始めていた。
☆☆☆
客人の間を抜けると、セーラムはそこで終わりになり、外に出る。目の前に庭園が広がっていた。石造りの道が左右に伸び、それを囲むように花壇がしつらえられている。二人乗りの小さな車に乗った庭師が毎日手入れをしているため、花はどれも生き生きしていた。
「あれは……? 引いている獣もないのに動いていますね」
庭師の乗った、卵のような車を指さしてトリシャが聞く。車はその間にも低い音をたて、アイラたちの目の前から遠ざかっていった。虹の水を燃料に使って動いているのだ、とリディが答えた。
「……明かりや機械の潤滑油がわりに使うのは知っていましたが、あのような乗り物にも使えるのですね」
「うちの水媒師が作った。虹の水を特定の温度で加熱すると、駆動機関を傷めることなく動かせる燃料になることがわかってな。今のところあの通りのろいので軍務には使えんが、いずれは騎獣にとってかわるかもしれん。そうしたら、軍の移動の様子は様変わりしような」
ふうん、と言いながらアイラは車が行った先をじっと見つめた。その作業工程を是非とも知りたいと思ったが、各種の工法は名家にとって命を賭けても守るべきもののひとつだ。探ったところで、おいそれと正解は出てこないだろう。指をくわえてうらやましがるしかなかった。
「あれがリディ様の噴水ですか」
最初から張り合おうと思っていないトリシャは、もう車から関心を他所へうつしていた。今度は自分の左を指さしながら言う。その先にあるものを見て、リディが苦笑した。
「当家が寄進したというだけで、私のものではないな」
リディはそれで終わりにしたそうだったが、トリシャが見たがるので噴水の近くまで行くことになった。
円形の噴水が、水しぶきをあげている。近くで見ると、想像していたよりはるかに大きかった。白い鳥像が中央に据えられ、その周りから水が出ているため、まるで鳥が水浴びをしているかのように見える。それなりに手がかかった代物なのはわかった。しかし、最高の逸品かといわれれば首を横に振るしかないだろう。
アイラはリディの後ろ姿と鳥を交互に見つめる。鳥の細工は大味な上、金や宝石も埋まっていない。かけた予算なら、隅っこにあった第二妃寄贈品の方が遥かに上だ。だが、宮殿の中央に堂々と置かれるのはこれなのだ。家の違い、立場の違いというのは金で埋まるものではないと噴水を見るたびに思い知らされる。
「リディ様、あれは?」
トリシャは不足した知識を埋めようと、矢継ぎ早に質問をとばす。それを聞いたリディが苦笑した。
「姉を試すな。あの塔くらいは知っているだろう」
「いいえ。馬車に乗せられて、あっという間にハレムに入ってしまいましたので」
そこから外に出る機会もほとんどなかった、と彼女はぼやく。
「手落ちだな。我が国を象徴する建築物を、王の実子が見たこともないとは。今まで誰も連れて行こうとはしなかったのか?」
リディが本気で呆れている。その横で、トリシャが笑っていた。彼女の笑みにわずかな険が混じっているのに、アイラは気付く。所詮リディには、庶子の出の苦労はわかるまいという冷めたものをアイラは感じ取った。
王族貴族というのは近い間柄で婚姻を繰り返すため、王の責務に耐えられない子供が生まれやすい。普通はそれでも王家の血ということでかつがれるのだが、そうはいかないのがこの国だ。虹の水があるからである。
資源はどこでも、喉から手が出るほど欲しい。幾通りにも使え、いずれも効果が高いとなればなおさらだ。無限に水がわくこの地を、他国は常に狙っている。今は軍事力でなんとか侵攻を思いとどまらせているものの、力が落ちればすぐ食われると国じゅうの誰もが知っていた。
次代の王は試練で選ばれるが、それまでを支える王族がボンクラばかりの事態など、あってはならない。だから保険として、妃に一人だけ平民が選ばれる。貴族のしがらみに囚われない発言を、期待してのことだ。
しかし、何の後ろ盾もないのに、王宮にのりこんできた一派に対する風当たりは厳しい。貴族の中には、裏で嫌がらせをする者もいた。リディはそれに、気付いていない様子なのだ。よほどの悪意を目の当たりにしなければ、きっとわからないのだろう。いつまでたってもそれが改まらないし、またそれが許されているから自分は彼女が嫌いなのだ、と再確認したアイラだった。
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