第13話 肖像画たちの視線

「まあ、色々あるのよ」


 アイラは結局、はぐらかして答えた。その理由は、己の過去の罪と密接に関わっている。そうそう他人に明かす気にはなれなかった。


 罪深いのは事実なのに、誰にも明かさず黙っているのか。胸の中でなにかが叫ぶ。しかし、それが誘惑の声であることが分かっているので、アイラは口をつぐむ。どんな罪であれ、衆目に晒された時点で洗われ許しが始まるのだ。そんな幕引きは、自分には相応しくない。



☆☆☆



 アイラは階段を上った。リディとトリシャが、王の間に通じる階段の前でなにやら話をしている。さらに上へ向かうのかと思いきや、彼女たちは段を下り始めた。


 ずいぶんあっさりとした案内なので、拍子抜けがするくらいだ。アイラは声をあげて引き止めた。


「王の間に寄っていかなくていいの?」


 リディが眉間に皺を寄せた。


「父上は公務中だ。身内とはいえ、いらっしゃらない時に部屋をかき回すなど、淑女のすることではない」

「どうせ怒りゃしないわよ。セーラムの巡回許可を出したあっちの責任」

「品のない言い訳だな」

「いいのかなあ。トリシャ、知らないと思うけどなあ。万が一の時に、あれが分からないのはまずくない?」


 アイラのあてこすりの意味を、リディはすぐに察した。


「トリシャ。父上の部屋に入ったことは?」

「ありません」

「なら、ついてきなさい。責任は私が取る」


 リディは早足で歩き、階段をのぼり、その先の一番大きな扉まで行った。衛兵がリディを見て敬礼する。彼がうやうやしく開いた扉の中に、一同は体を滑り込ませた。


 父の部屋はさっきの部屋より本棚が少ない。さすがに王の居室だけあって天井が高く、豊富にとられた天窓から光が差し込んでいた。定期的にさされるさわやかな香りの香によって覆い隠されるので、書物の匂いはあまりしない。


 父は田舎の小貴族出身で、あまり華美な装飾を好まない。彼の身の回りの品は家具から文房具まで簡素なものでまとめられていたが、唯一壁だけがごちゃついている。そこには歴代の王・王妃・貴族の肖像画が無数にかかり、様々な顔で生者を見下ろしていた。


「……これは」


 口には出さなかったが、トリシャが苦い顔になった。それぞれの出来が良いだけにかえって気持ち悪い、と思っているのだろう。夜に小さな照明で見たら、さぞかし怖いに違いない。


「すごいでしょ。大きな窓も立派な机も、台無し。まあ、うちの母親が贈りまくるってのが大きいんだけど」


 アイラは率先して、肖像画の前に立った。


「でもね、意味があるんだなあ。これにも」


 妻にねだられてそろえているように見える、数多の肖像画。そのどれか一つが、王宮から脱出する隠し通路の入り口になっている。


 そう言われたトリシャはしばしアイラを見つめた後、熱心に壁を観察し始めた。なににも冷めた様子でいる彼女の興味を引けて、アイラの気分は良くなった。


「さあ正解はどれかなー」


 アイラはあおる。その間、リディは腕組みをして離れたところに立っていた。


「額は同じ素材、絵の大きさはバラバラ……となると、描かれている人物に意味が?」


 トリシャから初めてしゃべった。その着眼は鋭い。思考しているので、普段の遠慮を忘れているのだろう。しばらく考えた後に、彼女は一人の男性を指さした。


「フェリクス公」


 リディの生家、その礎を築いた人物である。トリシャは姉を持ち上げようとして言ったわけではなく、彼には有名な逸話があるのだ。


「普通に考えるとそうなるよね。『大脱走』のフェリクス公」


 公は不幸にも敵の捕虜になったが、使える手は全て使い、大将の首まで取って帰還し伝説になった人だ。今や貴族然としたリディたちの先祖とは思えないほどたくましい。彼が守る抜け道なら、安心して進めそうである。──しかし、正解は違う。


「それは罠だ」


 そこをいじっても扉が開くけれど、先は落とし穴になっている。入ってしまったが最後、大人一人が入るのが精一杯な縦穴に詰められて身動きがとれなくなるのだ。実際、そうやって捕まった間抜けな賊が過去にいたと聞く。


「手堅い発想だが、その逸話は有名すぎてな。……さあ、正解はなんだと思う?」


 それを聞いたトリシャは、動じた様子なく再び考え始める。どうあっても、自分で結論に辿り着きたい様子だ。立ってみたり座ってみたり、果ては額に触ろうとするトリシャ。途中でリディが苦笑しながら止めに入る。


「気持ちは分かるが、その程度にしておけ。これは観察力の問題でなく、知っているかいないかだ」


 リディはそう言うと、下の方にかかっていた女性の絵に近づく。絵画の中の女性は、ゆったりとした椅子に腰掛けていた。


 薄桃色の生地に、紫の刺繍が入った貴族用の装束をまとっている。絵師が特に力を入れたのがここらしく、薄い絹の光沢が見事に表現されていた。


 彼女の手は膝の上で重ねられており、指に控えめな装飾の指輪がはまっているのが見える。他に装飾らしい装飾はなく、控えめな印象をうける。トリシャが見落としたのも無理はなかった。


 家具の高さから小柄な女性だとみてとれたが、淡い金髪の下の瞳は意思が強そうな輝きを放っていた。今なにをしているのだと問われた気がして、アイラは一瞬息をのむ。そのまなざしの先にいるのは、父だろうか愛娘だろうか。もしかしたら、自分だったかもしれない。アイラは、幼い自分の頭をなでる彼女の細い指を思いだした。


 リディはそこまで、絵の女性に頓着しなかった。彼女が額の下に指をひっかけると、そこが外れて溝が現れた。それに添って動かしていくと、絵が左にずれる。奥には、口を大きく開けた亀の像があった。


 リディが亀の口に手を入れると、かちりと音がした。今度は本棚が横にずれ、黒い金属に目打ちが入った隠し扉が現れる。その扉は、横に引くと音もなく開いた。定期的に選ばれた者が整備をしているので、さび付いた様子はない。


 トリシャが一瞬驚いた顔をした後、こわごわと通路の奥をのぞきこむ。それから通路に近づいて、奥からわずかに吹いてくる風を顔で受けた。小さな手が、緊張したように握りしめられる。


「……とまあ、こういう手段だ」

「簡単すぎるように思いますが。もっと複雑な手を踏まなくてよいのですか」

「そういう声は昔からあるが、通路に入れず死んではなんにもならないのでな」

「なるほど。しかし、この女性は誰なのですか?」

「王の第四妃だ。


 リディが淡々と言う。トリシャが初めて、表情を歪めた。四妃はアイラの母の妹──アイラにとっては叔母にあたる女性だ。さすがにそれは知っているらしく、まずいことを聞いてしまった、とトリシャの顔に書いてある。

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