第12話 挑発の理由

 この国の中枢には、地方のものとは異なる二つの評議会がある。代々議院の席を貴族が占める満月院と、軍隊と市民出身の議院が属する新月院だ。新月院の議員は選挙で、満月院の議員は世襲により選ばれる。


 新月院が新しい策を請願した場合、満月院が許可すればそれは王の審議する議題となる。いくつかの例外を除けば、最終決定をどうするかは完全に王に委ねられている。つまり、法律上の力関係では弱い順に新月院、満月院、王となるのだ。


 ただし各中央官の長、地方でいうと室長は、必ず満月院の議員から選ぶことになっている。つまり貴族たちは中央の権力を握るだけでなく、各室の実質的な支配──徴税や用兵、治水を行う室長の輩出先でもある。怒らせると厄介なのはこれだけでもわかるが、他にも色々な妨害があるのだ。


 たとえば、税の徴収。これを変えたり、新規に徴税することは満月院の了承を得なければできない。国王ひとりに資金が集中するのを避けるためこうなっているのだが、貴族が王を軽くみる原因のひとつであった。


 ちなみに満月院で最も議席が多いのが、リディの生家、フェリクス家の一門である。一門だけで満月院の過半数をわずかに超える議席を確保していた。この席は継嗣がいなくならない限り返上されることはない。


 フェリクスに次いで席が多く、商売上手で納税額が多いため声が大きいのがユクタのステルラ家。重要議決には全体の三分の二の賛成が必要になるため、三割強の席を持っている彼らも議会には欠かすことのできない存在である。ステルラの存在が、フェリクスの暴走に歯止めをかけているともいえた。


 アイラの生家も神殿の管理者として満月院に席をおいているが、それは全体の一割にも満たない。納税額でも前の二家とは比べものにならない。全員が賛成しても反対しても二家が団結している限り議会の趨勢に影響はなく、言ってみればいてもいなくてもいい存在である。そのためフェリクス家には露骨に馬鹿にされている。気にいらないが事実だ。


「隅にある部屋は、満月院の議員や位の高い官たちの資料置き場だ。ほかに気になることはあるか?」

「……階段の先には何があるのでしょう」


 問われたトリシャが言った。確かに左右にひとつずつ、大きな螺旋階段がそびえている。重たい本や書類を持った官が行き交うため、紙や塗料からする独特の匂いがした。彼らは女性を見て一様にぎょっとした顔になるが、素性を悟ると速やかに仕事用の表情に戻った。


「あの先は大臣、そして王の執務室だ。見たければ財務大臣の部屋に入れるが、どうする?」

「せっかくですから、拝見したいです」

「では、行こう」


 トリシャは遠慮がちに言う。リディはうなずいて、階段をのぼった。すでに到着の報が入ったらしく、会談の踊り場で財務大臣が待っていた。彼は正装しその場に跪いている。それを見たリディが苦笑した。


「非公式なのだから、そこまでかしこまらなくて良いぞ」

「なにをおっしゃいます。姫様方、よくいらしてくださいました」

「少し見せてもらうぞ。こちらはトリシャ・カエルム、今回の『土星』だ」

「よろしくお願いします」

「……こっちは勝手についてきたアイラだ」

「へいへい」


 気に入らないのにも関わらずアイラをきっちり紹介したのは、彼女の真面目気質によるものだ。同じフェリクス家の誰かさんとは違う。その労に報いて、アイラも愛想笑いを浮かべた。


 許しを得て立ち上がった大臣は、階段をのぼりきって重厚な扉のひとつに近づく。衛兵がかしこまった仕草で扉を開いた。


「わ」

「あ」


 トリシャとアイラは、ほぼ同時に声をもらす。部屋の壁を埋めつくす本棚に、びっしりと帳簿が並んでいた。磨かれた木棚の中には、それ以外にも色とりどりの本背がのぞいている。整理はされておらず、斜めになったまま差し込まれたり、上下逆に入っているものもあった。子供の頃から多いと思っていたが、さらに本棚が造設されて息苦しいような印象もうける。


 アイラはまた政治談義を始めた長子たちに構わず、室内に目をやった。大臣の補佐が、続きになった机に腰掛けていた。たまった書類に次々と判を押し、一定の山になると下っ端を呼びつけて持って行かせる。


 眺めているうちに、ふとあることを思いつく。誰も見ていないのをいいことに、アイラは硬筆を手にとった。紙に筆先を走らせ、出来上がった書類に見入る。おお、美しい。


「なんだ、その瀕死の蛇がのたくったような字は」


 紙片を机の上の束に再び差し込もうとしたところに、リディが横槍を入れる。彼女に腕をつかまれたアイラは、その姿勢のまま舌打ちした。背の低いトリシャがちょうど、書類の下をのぞき込める位置にいる。


「トリシャ、読んでくれ」

「……アイラに臨時予算として虹硬貨十枚を与える、と読めます」


 トリシャが、書き付けを見て正確かつ余計なことを言う。それを聞いたリディがひきつった声をあげた。


「お前……」

「ここのところ金欠で。あ、虹硬貨っていっても小さい方ね」


 ドラガヌシュの金は、全て硬貨でできている。下から順に鉄、黄鉱、白鉱、銀、金、虹鉱となる。さらに硬貨に大小があり、大きい方が価値が高い。それをトリシャに教えてやろうと思ったのだ……と見え見えの言い訳をしたが、もちろんリディには通じなかった。


「曲がりなりにも、王の第三子がすることかッ」


 リディは声を震わせながら、アイラの力作を引きちぎった。哀れ、紙片は風の流れに負けて絨毯の上まで舞い踊る。


「せっかく判まで押したのに」

「拾うな。身内でなければ人食い虎をけしかけているところだ。トリシャ」

「……決して見習いません」


 リディはトリシャの手を引いて、足音高く部屋を出て行った。その後ろ姿に向かって、アイラはこっそり舌を出す。


「アイラ様」


 文官の一人が、それを見ていた。かなり出世した官で、アイラもおぼろげに彼の顔を覚えていた。年がいって細かい皺が寄った手を組みながら、彼は重々しい声で言う。


「姉上をからかうのも、いい加減でやめておかれませ。冗談が好きな方ではありませんぞ」

「ははは。別に今さら金なんか欲しくないけどさ、あの良い子面が崩れるのが面白いの。苛々させときゃ、失点するかもしれないしね」


 今の動きの目的はそれだけでもないのだが、アイラは言わなかった。そのまま扉へ向かうと、後ろから年季の入ったため息が追いかけてくる。


「昔は皆仲良くしていらしたのに、一体どうされたのですか。どうしてそんなに権力にこだわるのです」


 嫌味ではなく、本当に嘆いている声だ。だからアイラも、振り返る。少しの間、高官とアイラの視線がぶつかった。しかめ面同士がにらみ合う。

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