第10話 ついにその名が呼ばれる
その知らせを受け、アイラより先に侍女たちが迅速に動いた。さっそく衣装庫の中をひっかき回し、あれがいい、いいや格式を考えたらこちらが、と顔をつき合わせて相談を始める。それによく喋る母親が加わったものだから、しばし室内は騒然とした。
ようやく話がまとまったと思ったら、いい匂いのする香水を手首足首にすり込まれ、髪を丹念に結い上げられる。文句を言うほど服飾に詳しくもないので、アイラは黙って皆の着せ替え人形と化した。
緋色の衣装にとろりとした蜂蜜のような色の宝石がはまった首飾りをつけられ、顔の両側に編み込みが入った装いができあがると、普段の自分と違って少しは姫らしく見えた。裾が長い装束の端を持ってお辞儀をしてやると、侍女たちと母が満足げに笑う。
部屋を出ると、参加者全員が同じ方向に向かっているのが見える。例え選ばれなくても儀式は晴れの場であるため、選抜の時以上に衣装には気合いが入っていた。中には、目立とうとして天井につきそうなほど髪を高く結い上げた者もいる。家の財力で殴り合いをしているようで、アイラは思わず苦笑した。
全員の目的地である『儀式の間』は、王宮の中央にある大広間だ。初めてその中に入り、儀式の間に足を踏み入れた者は、まず天井の高さと豪華さに驚いている。天井の縁は金細工の花で彩られ、中央は英雄たちの絵で埋め尽くされていた。その間をぬうように円形の照明が備え付けてあり、乙女たちに柔らかな白い光を投げかける。
しかし、参加者たちがまず見たのはそれではない。天井画の中央から、この間の象徴でもある巨大な天球儀がぶらさがっていて、一同は息をするのも忘れたように上空を見つめていた。それでも全景を一度で視界におさめることはかなわない。大人が十人ほど手をつないでも外周を覆うのは難しく、つり下げる時には金具の強度が慎重に確かめられたと聞いている。
本当にあると思わなかった、と誰かがつぶやくのが聞こえた。星の力をいただき、使用者を選び出す天球儀は重要な宝物であり、普段この部屋は厳重に警備されている。王族でもめったに見られないのだから、そういう声が出るのも当然だろう。
天球儀の中央には虹色に輝く真球の結晶が据えられ、周りに金の格子が楕円を描いて走っている。格子には七つの星を示す、それぞれ異なった色の宝玉が通され、金の線上を規則正しく動き続けていた。ぶつかりそうに見えるが、緻密に計算された軌道は重なることなく流れていく。毅然としたその姿は優しい守護者のようにも、厳しい判決を示す裁定者のようにも見える。
祭司は天球儀の真下に立つ。そこは周りより一段高く作られており、入り口付近に固まった参加者たちは彼を見上げる格好になった。今から行われるのは、選抜の結果発表。そして、見事選ばれた者が抱負を告げる宣誓式。
ことの重大さを理解している参加者たちの顔が、緊張で青白くなっていた。ここで呼ばれると呼ばれないとでは、天と地ほどの差がある。親や親戚からそう言い聞かされている面々は、固唾をのんで儀式の準備を行う祭司の顔を見つめていた。活躍もしていないのに自意識だけ高いこと、とアイラは皮肉を含んだ目線で彼らをうかがう。
「よくお集まりいただいた。まずは、試練をくぐり抜けた皆に謝意と敬意を示したい。結果はどうあれ、その行いは尊いものである」
壇上に大量の灯火と捧げ物がそろったところで、重々しく祭司が宣言する。祭司は背の高い老人で、大きな橙色の布を巻き付けたように見える衣装をまとっていた。今まで生きてきた数多の年月を皺として顔に刻み、背筋が伸びた彼の姿に、その場にいた全員が頭を垂れた。
「では、第一の吉星──木星より告げる」
基本的に好ましいことを呼ぶ星を吉星といい、その反対に病気や死など厄介ごとをもたらす星を凶星という。惑星武器には、その両方の星がそろっていた。いつの時代も真っ先に呼ばれるのは、拡大と幸運を司る最大吉の木星。次に呼ばれるのが第二の吉星、金星。その後は基本的に吉意の強い星から先に呼ばれ、凶の星は後になる。
祭司の声に反応して、天球儀の木星だけが動きを止めた。するすると金の格子が伸び、木星を示す宝玉が祭司の前まで降りてくる。そして宝玉から、一気に金の粉が吹き出した。その粉は落ちることなく空中に漂い続け、やがて明確な文字の形をとる。
「リディ。リディ・レクス・フェニクス」
気にくわない女の名が示された。アイラは眉間に皺が寄りそうになるのを、意思の力で押しとどめる。ただでさえ実家が太いというのに、第一の吉星まで射止めた。活躍を期待されるのも当然だ。
危険が多い選抜に各家が子供達を送り込むのは、義務感からだけではない。その強烈な見返りを期待してだ。一世代でたった数人しか持てない惑星武器。使用者はまつりあげられ、英雄となる。次第に、その中で最も成果をあげた者が王の座に座るようになっていった。
これで次代の王は決まった、と考えている人間も多いだろう。なんとか奴を牽制しておかなければならない、とアイラは焦っていた。
呼ばれたリディが礼をして進み出ると、艶のある黒髪が揺れて彼女の足元をかすめる。その姿に、自然に拍手が起こった。アイラはその横で手を叩くフリをした。
「吉星の名に恥じぬよう、精進して参ります」
リディが一礼し、祭司が差し出した弓を受け取る。遠目から武器を見ていたアイラは、そのさまを見て息をのんだ。霊木の葉を削って作ったような緑色の優美な曲線が、目の前にある。弓を引く部分はあっさりとしていたが、両端には大きな宝玉が二つずつ埋まっていた。これまで本物の「木星」を間近で見る機会がなかったが、「子」とは桁違いに優美な造詣である。
天球儀の格子が少し縮む。木星の宝玉がリディの頭上に位置する形になった。宝玉が細かく震え、選ばれし者に緑色の光を注いだ。リディが頭を下げてそれを受けると、格子が再び縮んでもとの場所に戻る。宝玉が何事もなかったかのように動き出せば、木星継承の儀式は完了だ。次からは星は違えど同じ手順なので、注目するのは自分の名前がいつ呼ばれるかだけで済む。
「金星。ユクタ・レギーナ・ステルラ」
「水星。ラニ・セナートル・スペクルム」
「火星。テルグ・インクルシオ・レーガートゥス」
「土星。トリシャ・カエルム」
とうとう最後の一個になってしまった。まだ己の名は呼ばれない。アイラは胸を張り、祭司の言葉を待つ。大丈夫という自信に、選ばれなかったら呪ってやるという捨て鉢な気持ちが入り交じった。
「……太陽。アイラ・フィーリウス・レーギス」
ようやく、自分の名が呼ばれる。アイラは安堵の息を吐き、天球儀の下へ向かった。祭司がいる壇まで、階段を上っていく。複数名が押しかけるという事態がないため、階段は大人一人がやっと通れるくらいの幅だった。それを登り切ると、祭司の目前にくる。彼の足元には各惑星をかたどった紋章が刻まれていた。
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