第9話 試験、終了

 目指す鮫たちの大将は、今にも門に体当たりしそうな位置に居た。一撃で破壊するためだろうか、池の中央付近まで距離をとってから突進しだす。


 巻き込まれたくない、と感じたアイラは立ち止まった。アイラはあえて主が攻撃を終えるのを待つことにした。門は歴史的な建造物ではないから、ひとつやふたつは後からどうにでもなる。攻撃が終わって、奴が腹ばいになったところを狙った方が確実かつ安全だ。


 アイラが足を止めた、次の瞬間。鮫の頭部が跳ね、巨体が急激に失速して水中に沈んだ。門は体当たりを免れ、美しい姿を保っている。


 何が起きたのか知りたい。アイラは歩を進めた。怒りを爆発させた主の唸り声が、ますます近くなって、生臭い匂いがきつくなってくる。


 原因はすぐに分かった。鮫の眼球が破壊されている。明らかに人為的なものだ。弓隊はリディの元にまとまって、別の方向に陣取っている。狙ったのは機械銃の使い手だろう。


 アイラは周囲を見渡す。めぼしい人影はない。ほとんど王宮の敷地内に入った地点に、人が隠れられそうな防壁があるだけだ。その付近にいる兵士は、豆粒のようで顔の判別すらできない。かなり遠かった。


 あの防壁から小さな眼球を狙ったとしたら、かなりの使い手だ。正体が知りたい。アイラは目を細めたが、無駄な骨折りに終わった。さらに踏み込もうとする前に、殺気が混じった風がびりびりとアイラの全身をうつ。


「──その前に、あんたか」


 意識を取り戻した鮫が、大きく体を振り回している。中途半端に走っても間に合わない。アイラは剣を水平に構えた。


 尖った鰭が、水滴をまき散らしながらアイラの方へやってくる。避けずに、あえて踏み込んだ。それと同時に得物をかかげ、鋭い鰭の直撃をいなす。かなり速やかにやったものの、剣がぎしっと抗議するようにきしんだ。


 しかし山を越えると、今度は無防備な鮫の腹がアイラの目の前にあった。再び大きく剣を回転させ、前へ。背中に比べて色が薄くつやりとした腹に、鋭い剣先が食い込んでいった。


 主がうめく。腹の傷から赤黒い液体が流れ出す。アイラの顔に、しぶきがかかった。しかし最初はするりと入った剣も、中で硬い骨組みに当たっている。このまま押せない、と判断したアイラは剣を抜いた。


 飛沫に退かず、もう一度反対側に切りつけた。深く入った剣は、今度こそざっくりと腹の肉をこそげ取った。大量の液体がまき散らされ、敵の生命力を残さず奪い取ったのだとわかる。アイラは滝のように降ってくる臭気の塊が目に入らないよう、反射的に顔を伏せた。


 一拍おいて大きな地響が起こり、鮫が倒れたと分かった。足元にひたひたと虹色の水がやってくるのを確認してから、アイラはびしょびしょになった髪をたくしあげる。ただの水に戻ってしまえば不快な匂いは消え、重くなった服だけが残された。やっと息がつける。そう思ったアイラの視界の隅で、他の鮫が凍りつくのが見えた。


「今だ、仕掛けろ!」


 アイラの姉妹たちが、この好機に飛びついた。逃げ腰になった集団を、ラニの誘導で袋小路に誘い込む。そして、戦闘能力の高い三人で殲滅にかかった。時々、武器が日光に反射して星のようにきらめくのが見える。


 傍で見ていると、ずいぶん楽しそうだった。アイラも参加したかったが、乱れた息が戻らない。完全に立ち直った時には、鮫の形になっていた泥が崩れて虹色の水へ戻り、大地へ吸い込まれていくのが見えた。


 ひとまず第一波は無事に終わった。泥の出現には波があり、ある程度倒せばしばらくは休める。敵が少ない間に休息をとり、次の盛り上がりに備えるのだ。これから数日にわたって同じようなことを繰り返すわけだが、出だしとしては悪くはない。安堵したアイラはお行儀悪く地面に寝転んだ。


「……標的、沈黙」


 今まで聞いたことのない声がする。アイラは瞼を持ち上げた。寝転ぶアイラの顔を、さっきとはまた違う少女が覗きこんでいた。面のような冷たく落ち着いた顔立ちをしていて、橄欖(かんらん)色の髪を肩のあたりで短く切りそろえている。肩周りも体も華奢だが、図体に似合わない機械銃を抱えているのが見えた。


「あんたも候補者か。名前は?」

「……トリシャ」


 少女は無愛想な顔で、聞かれたことのみに答えた。


「当てた?」

「主の眼球に」

「さっきの狙撃はあんたか。いい腕してるじゃない」


 アイラは本気でほめたのだが、トリシャはにこりともしなかった。嬉しくない、というよりその言葉を受けるに値しない、と思っているような重苦しい雰囲気が漂っている。


「……そう。ありがとう」


 型どおりの礼を述べたトリシャがそのまま去っていこうとするので、アイラは声をかける。


「候補者同士、話でもしない?」


 するとトリシャは言った。


「私とあなたは違う。

「ああ」


 その一言で、トリシャがどういう立場なのか分かった。顔も名前も覚えがないはずだ。七人いる王の妃のうち、唯一貴族階級出身でない女──その者も女子を産んでおり、すったもんだの末に王の七子として王宮に入っていた。この華奢な少女が、その七子だったのか。


 それなら、他の姉妹に比べて髪が極端に短いのも納得だ。髪は富裕さと実家の財力の証であるため、身分によってとれる長さが決まっている。トリシャはそれを厳密に守っていた。


 ひとりで納得しているアイラに向かって、トリシャはさらに言葉を重ねる。


「……だから、安心して。もし選ばれても、王になろうなんて考えないから」


 アイラはトリシャの顔を静かに見つめた。自分より性格は悪くなさそうだが、まだ信用するだけの材料はない。寝転がったまま目を閉じた。迷った時は先送りに限る。とりあえず言葉は信用したふりをしておけばいい。


「……どうしたの?」

「疲れただけ。先は長いんだから、ちょい寝かせて」


 アイラはそう言って、体の力を抜く。トリシャはしばし迷っていたようだが、アイラを置いて立ち去る足音がした。


☆☆☆



 数日間、はじめと同じように泥と戦い続けた。日がたつにつれて人数は減り、最後に残ったのはわずか二十名足らずだった。死んだ者もいれば、途中で辞退した者もいる。しかしアイラにとって、戦いはそう辛いものではなかった。


 食事も排泄も常時より遥かに少なくてすんだ。さすがに交代で眠らなければならないのだが、その時間が常よりかなり短いことにもアイラは驚いた。本物に劣るとはいえ、やはり普通の武器ではない。持っていることで、主になんらかの恩恵があるのだろう。


 そして泥の襲来がようやく終わった。そこから数日して、ついにアイラの元へ宮殿から祭司がやってくる。大仰に腕を広げて彼は言った。


「裁定は下された。これより式典にうつる。動ける者は、『儀式の間』へ移動するように」

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