第7話 好敵手たち

 アイラが物騒な発言をすると、ようやく武器を持つ許可が与えられた。いくつか渡された武器の中で、辛うじて使いこなせた剣を選択する。


 すぐ使うことは分かっているので、剣に鞘はない。伸ばした片腕ほどの長さの刀身に、ぽつぽつと赤い宝石が埋め込まれた柄がついている。アイラは試し振りをしながら、心の中で悪態をついた。よりによって、一番使い勝手の悪いものを。


 弓や魔法書、機械銃のように長距離に作用するわけでもなく、間合いでは槍や長斧に劣る。武器としての性能には不満が残った。しかし他は持ち上げるだけで、息が切れるほど重かったのだ。これ以上ゴネるのは悪手と判断し、アイラは黙って周りを観察した。


 もうすぐ本物の「敵」が来る。しかしこの場に集まった乙女のほとんどは実感がわかないのか、だらだらとした会話を続けていた。


「まだ始まらないの?」

「ずっと立っていないといけないのかしら」


 親が裕福でなに不自由なく育てられた女たちの口はよく回る。その中でわずかに数名だけ、厳しい顔をして門を見つめる者がいた。アイラはその面子に注意を払いつつ、湖面から距離をとった。


 何度も首をひねり、歩き回る。そしてようやく腰を落ち着けた。その様子を見ていた他の乙女たちは、わざと聞こえるように笑い声をあげる。


「またアイラが変なことしてる」

「ねえ、何が面白いの?」


 興味があるのではなく、相手の答えを笑ってやろうという質問だ。ひとりぼっちのアイラは、それを聞いてもわずかに口元を歪めただけだった。


「変な子」

「母上も叔母上も『ああ』だもの」

「王もどうして、あんな人たちを妃にお選びになったのかしら」


 乙女たちは完全に湖に背を向け、この場にいない人間の悪口で盛り上がっている。だが、彼女たちが笑っていられたのもそこまでだった。


「す、水面に反応あり。『泥』が来るよっ!」


 横から叫び声があがった。本を両腕で抱えた白髪の少女が、ひきつった顔で湖面を指さす。


 その直後、湖の様子が一変した。強い風もないのに水面が泡立ち、波が全体に広がっていく。それに従って虹色の光が消え、水がどす黒い赤へ変化していく。時間が経って固まった血にそっくりだ。


 黒くなった水は粘土状に固まり、湖は干上がり底を晒した。藻も生物もいない灰色の湖底が、参加者のいるところからも見える。空の太陽も光を弱め、夜に戻っていくような感覚を呼び起こした。


 水は形を変え続け、やがてはっきりと定まる。彼らは巨大な鮫になった。三角の鰭で空気を切り裂き、血走った目で人間たちをにらむ。体をばたつかせ、鮫たちが陸に向かって突進してきた。その方向には、多数の乙女が屯していた。


 背を向けていた彼女たちは、逃げるどころか声を上げる猶予すらなかった。剣や槍を持ったまま、迫ってきた巨体に押しつぶされる。鮫たちは感情を浮かべることなく、小石をはね飛ばした時のように身をよじってみせた。


「わーお」


 離れた所にいたアイラは、この光景に思わず手をうった。ギリギリのところで難を逃れた乙女たちも傷を負っており、鮫たちはその血に引き寄せられるように暴れ狂っている。惨殺は、始まったばかりだった。


 不用心にも水に近すぎる位置に居るから、危ないとは思っていた。しかしあれほど綺麗に決まるとは、予想外だ。彼女たちから離れていた甲斐があった。自分の安全を確保し──なおかつ目立つために。アイラの頭は、血の臭いがひしめく中でも計算を続けていた。


 アイラは背後の方向へ走った。近づくまで、敵に気付かれる心配はない。鮫型は目が悪い上、今は血の臭いに気をとられている。


 あっという間に、人ひとりくらいの距離までこぎつけた。出来の悪い屋根板のように、ささくれだった鮫肌が目の前にあった。


 呼吸の後、剣を振り下ろす。狙うのは、最も敏感な鼻の部分だ。


 武器の形をしているが、もとは鋼の塊である。重量のある固体をたたきつけると、ごっ、と鈍い音がする。打撃が脳天に入り、敵がよろめいた。巨大な重量に伴って、土塊が飛び水しぶきがあがる。


 足場を確保し、すかさず剣を薙ぐ。鮫の首が切り取られ、膿のような液体がどっと溢れ出した。それは次々にあふれ出し、生臭い匂いを周囲に振りまく。大量の体液を失った赤い鮫は再び動くことなく、恨めしそうな声と共に崩れ、水へ戻る。「泥」は絶命するとこうなるのだ。ねじ曲げられる前の元の姿に戻った、とも言える。


「よし!」


 アイラは拳を握った。先陣を切る、派手な活躍だ。みんな、こちらに注目しているだろう。あら素敵、王冠を君にあげようとか言われたらどう受け取ったらいいかしら。そのようにアイラは自信を持っていたが──現実はそうでもなかった。


「無闇に走るな! 戦えない者は、列を守って退け!」

「は、はい!」


 相変わらず陸地に泥が殺到しているが、その体当たりの餌食になる者はいなかった。武器を失った者は邪魔にならないところに引き、まだ戦える弓矢隊が集中攻撃をあびせている。混乱していた乙女たちに、統率が戻ってきていた。


 アイラは舌打ちをする。動かしている頭数が多い分、あっちの方が目立つではないか。忌々しい指揮者の顔を見極めようと、わずかに目を細めた。


 長い黒髪をくるぶしまで優美に垂らした、背の高い女。高い身分をひけらかすような豪奢な緑布を大量に使った装束を着ている。宮殿では、誰もが彼女の顔と名を知っていた。リディ・レクス・フェリクス、王の第一妃の子。


 最も大きな権威を持つフェリクス家の庇護を受け、王位継承権に片手をかけていると言われている。性格は真面目そのもので、あれやこれやと横紙破りをするアイラを徹底的に厳しく叩いていた。


 「脳味噌が子供で止まっている」という素敵な言葉が最新の彼女からの評である。それに対して反対の声が上がらないのは、本人の言動にケチのつけようがないからだというのがまた腹が立つ。


 そちらに割り込めないアイラは、八つ当たりで泥に攻撃を食らわす。相手の死角になる顎の下に入り込み、一撃を食らわして退散。押しつぶそうとしてくる奴の背中に飛び乗り、無防備な背中や鼻面を削ぐ。


 鮫型は陸上では大きく動きが制限されるため、不意さえつかれなければ怖い相手ではない。アイラの中で、逃げようという思いが薄れていった。


 余裕が出てきたアイラは、時々鮫を倒しながら周りを観察する。するとリディの他にも、面白そうな動きをしている奴がいた。


「王宮へは行かせねえぞ、踏ん張れお前ら!」

「おお!!」


 悲鳴を聞いて駆けつけてきた、宮殿の警備兵たち。彼らにてきぱきと指示を出し、陣を整えている女がいた。腰まで伸ばした銀髪と褐色の肌が、体の線にぴたりと沿った黒装束によく映えている。出るところは出て、くびれるところはくびれた成熟した女らしい肢体とは反対に、目つきは完全に獲物を狙う猛禽のそれだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る