第13話
翌日、正午前に近くの駅まで母親を迎えに行った。到着すると同時に、電車が駅に滑り込む。程なくして、母が改札から出てきた。時間ぴったりだ。
「お迎え、ありがとうね」
「荷物持つよ」
近くのスーパーで食材を買う。何度も来ているから、母も勝手知ったるものだ。
買い物カゴの中身から推察するに、今日の昼夜、明日の朝昼、といったところか。どうやら今夜は泊まっていくつもりらしい。
会計を済ませて部屋に戻る。
母は早速料理を始めた。トントンという小気味良いリズムが心地いい。
焼き魚、お味噌汁、おひたしといったメニューがみるみると出来上がっていく。
俺はテーブルを占領していたニンテンドースイッチを脇にどけて、料理を並べていった。
「いただきます」
一口食べるやいなや、「美味しい?」と聞いてくる。
「美味しいよ」
「そう、それは良かったわ」
母は満ち足りた笑顔で箸をとった。
「最近はどうなの? 仕事は? 彼女はできたの?」
「先月も会ったばかりだろ? 変わり映えしないよ」
ちなみに、母に姫子のことは話してない。何といったって説明が面倒だ。
「いい人が見つかるか、お母さん心配だわ」
「いつもそればっかり」
「だって——、気になるじゃない」
「結婚するにはまだ早いよ」
「そういえば、中学で同級生だった和也くん、来月入籍するみたいよ」
「へえ、そうなんだ」
いかにも「興味ありませんよ」という態度で相槌を打っておく。
「——まったく、あなたも真剣に彼女を探しなさいよね」
——ピンポーン。
インターホン。
宅急便か? いや、何も頼んだ覚えがない。
——ピンポーン。
間を置かずにもう一度鳴る。
俺は玄関に向かった。
「どちら様ですか?」
「姫子です。悠一、開けて」
いや、まったく予想しなかったわけじゃないよ? でも、本当に姫子だとは……。
鍵を開けドアを開くと、間髪入れずに入ってくる。
「上がるね」と言うと同時に、彼女は靴を脱いで、つかつかとリビングに歩いて行く。
後についてリビングに戻ると、母が箸を持ったまま固まっていた。はっと我に帰って箸を置き、姫子の方に向き直る。
「い、いらっしゃい」
「悠一さんのお母さんですね。はじめまして。綾瀬姫子といいます。どうぞよろしくお願いします」
「あ、これはどうもご丁寧に——。悠一の母の美佳子です」
母は俺に救いを求めるような視線を向けた。
「悠一、このお嬢さんとはどういう関係なの?」
姫子の奴、いきなり家まで来るなんて……。
こんなことなら、前に会った時にでも姫子のことを話しておくんだった。近所の子どもで時々面倒を見ている、とでも説明しておけばいいだろう。
そこまで考えて気づく。これは、姫子より先に口を開かないとマズい状況だ——。
「わたしは悠一さんの婚約者です」
嗚呼、遅かった。また言った。次の母のセリフも想像がつく。
「悠一! ロリコンは犯罪よ!」
……やっぱり。これに続く姫子の返しもテンプレ通りだろう。
「お母さん、大丈夫です。悠一さんはロリコンじゃありません。ちゃんとわたしが大人になってからセックスします」
セックス⁈ こいつ今“セックス”って言った⁈
近頃のお子さまときたら……。これはヤバい。予想の遥か斜め上だ。
「悠一‼︎」
母の怒号は悲鳴のようでもあった。
「あんた……、しばらく彼女が出来ないと思っていたら、こういうことだったのね? こんな小さい子をたぶらかして……。お母さん、情け無い」
フローリングに両手をついて泣き崩れる。
俺は姫子に非難の目を向けた。
どうするんだよ、これ……。
返す姫子の目は「え? わたし何か間違ったこと言ったの?」と語っている。
ダメだ——。姫子は小学生が“セックス”という言葉を使うことのインパクトを全然理解してない。
俺が話すしかなさそうだ。
「あのな、母さん。その……、この子は近所に住んでて、時々一緒に出かけたりして遊んでいるんだ。もちろん、彼女のお父さんとも知り合いで、たまに夕食をご馳走してもらったり……、な、姫子」
「そうです! 悠一さんとの仲はわたしの父も公認です!」
姫子はびしっと背筋を伸ばして宣言した。
——が、“公認”という言葉はいただけない。姫子は総じて言葉のチョイスに問題がある。
「そんな……、お父さんも認めてるって言うの? あなたたちの、こんな不謹慎な関係を……」
ドツボだ。姫子は柄にもなく狼狽している。言葉が自分の思った通りに伝わらないからだろう。
「姫子ちゃんって言ったかしら? お家に連れて行ってちょうだい。お父さんに土下座して謝るから」
「いや、だから、そんな必要は無くて——」
「あなたはもう黙ってなさい!」
取りつく島もない。
それから、母の誤解を解くまで一時間もかかった。
ようやく俺と姫子の関係をわかってくれたようだ。——関係といっても、単なる近所の仲良しさんというだけだが……。なお、スピリチュアル関係は余計に話がややこしくなるので割愛させてもらった。
「それで、どうして姫子ちゃんはこの家に遊びに来たの?」
「はい、ひとつは未来のお義母さんに挨拶するためです」
「それはありがとう。悠一を好いてくれて光栄だわ。でも、あなたはまだ小学生だから、自分の年齢に合った彼氏を探した方がいいと思うわ」
母の言い方は大人気ない。「結婚したい」なんて、ただの子どもの憧れなんだから、さらっとスルーしとけばいい。余計な一言を付け加えなくても。
——ん? 姫子は“ひとつは”って言ったのか?
「もうひとつは、お義母さんに子離れしてもらうためです」
姫子は今日二つ目の爆弾を落とした。
「え、何? どういうこと?」
俺は母と視線を交わした。「俺にもわからない」という気持ちを込めて。
「お義母さんはご自身の生きがいを見つけてください。悠一さんの幸せを生きがいにするのは、彼にとっても負担です」
「………………」
母は呆気にとられて言葉が出なかった。俺は慣れてしまっているが、姫子の言葉は子どものものとは思えない。
——にしても、まさか母に噛みつくために家に来たなんて……。
「姫子、余計なお世話だ。いくらなんでも言い過ぎだぞ」
「お義母さんは悠一に依存してる。それって、悠一を自分の所有物にしてしまうことなの」
「そりゃ親なんだから、多少は自分のものって意識はあるだろうよ。でも、俺自身、何も迷惑を受けてるわけじゃないし、問題ない」
「嘘。煩わしく感じる時もあるって、昨日言ってたでしょ」
それを言うか? 本人の前で。
「悠一、本当なの?」
当然、母はショックを受けたようだ。
「いや……、まあ、たまにね。俺ももう大人だし。こうやって、家まで来てご飯作ってくれるのも、あんまり頻繁だと困る時があって。あらかじめ予定が入ってたりするとね。でも、基本的にはありがたいし、嬉しいと思ってるよ」
「そうなの……。お母さん、もうちょっと控えるようにするね。ごめんね」
意気消沈する母の姿が、いつもより小さく見えた。
「姫子、これで満足か?」
俺は姫子を睨んだ。本来、子どもに対する目つきじゃないだろうが、抑えられなかった。
「ダメ。そういうことじゃない。悠一を手放す必要があるの」
「手放すって、どういうことだよ?」
「悠一は自分の所有物じゃないって、理解してもらうの」
「所有物、所有物って……。別に母さんはそんなこと思ってない。俺をちゃんと尊重してくれてるよ!」
「本当? じゃあ、思い出してみて。お義母さんは悠一に彼女が出来ないことを本当に心配してる?」
「は? 何だよ、ソレ」
「さっき話してたじゃない」
確かに話してはいたが、それってつまり——。
「立ち聞きしてたのか?」
「今はそういう話じゃない」
「人の家の会話を盗み聞きするなんて、そんな奴とは思わなかった……」
「お願い……。今はそういう話じゃないの!」
姫子は目に涙を浮かべていた。でも今は、可哀想とも何とも思わない。
「帰ってくれ。しばらく顔を合わせたくない」
「——嫌、帰らない」
「帰れよ……」
「絶対に帰らない!」
姫子の両手はギュッと握られている。
「はぁ…………」
俺はため息をついた。不思議だが一呼吸おくと、それだけでほんの少し気持ちが落ち着く。相手は子どもだ、ムキになってはいけない——と自分に言い聞かせた。
「どうしてそんなに強情なんだ?」
「悠一が大切だから。変わってほしいから」
俺はヴェントレスや東堂のことを思い出した。彼女たちはそれぞれに問題を抱えていたが、姫子がそれを指摘しても考えを改めることがなかった。
もしかしたら、姫子には母と俺が彼女たちのように問題を抱えているように見えるのかもしれない。
「…………で、何だっけ?」
「お義母さんは悠一に彼女が出来ないことを本当に心配してる?」
思い出してみる。母に「彼女はいない」と言う時、母は——そう、心底残念がっているようには見えない。むしろ——、どこかホッとしたような顔をする……。
「——たぶん、心配してない。逆に、彼女がいなくて安心しているような気がする……」
姫子がコクリと頷く。俺は母に顔を向けた。
「そうなの? 母さん」
「そんなこと……、ないわ。お母さん、悠一にいい人が見つかればと思ってる」
「本当ですか? 悠一さんに彼女ができれば、悠一さんの一番大切な人はその人になるし、お義母さんと会う回数も減ってしまいますよ?」
姫子が念押しする。
俺は母の顔を覗き込んだ。姫子の言葉にどういう反応をするか、見逃さないためだ。
「たとえ悠一に彼女が出来たとしても、親子の関係は変わらないから心配してないの……。——ううん、嘘ね。悠一にわたしより大切な人ができるのは、我慢できない」
俺は初めて母の正直な気持ちを聞いた。
「だって……、女手ひとつでここまで育ててきたのよ。自分のことは後回しにして、尽くしてきたの。それをよその女に取られるなんて考えられないわ」
「でも、お義母さんがそうやって悠一さんを縛りつけている限り、悠一さんは家庭を築くことができないです」
「そうね、考えたことなかった……いえ、考えないようにしてた、の間違いね」
俺は何と言えばいいか、わからなかった。
「悠一さんはもう大人です。自由にさせてください」
「わかったわ……。あなたの言う通りね。でも、そうしたら、これからわたしは何を生きがいにすればいいの? 悠一の幸せがわたしの幸せなの。それじゃダメなの?」
「ダメです。その考えが悠一さんを縛るんです。悠一さんは自分の人生を生きています。本当にこの人の幸せを願うのなら、手や口を出さずに、ただただ見守ってあげてください。——そして、お義母さんはご自身が幸せになる方法を見つけてください。それが、今まで子育てされてきたご褒美のはずです」
母は俯き考え込んだ。そして——、少しして顔を上げた時、その表情は憑き物がとれたかのように晴れやかだった。
「そうね。そうするわ。わたしも晴れて子育て卒業ってワケね。何か肩の荷が降りた気がするわ」
「母さん……」
「わたしが子離れしたんだから、あなたも親離れしなさい。——それにしても、姫子ちゃんはすごいわね。あんた、あと十五年待って、姫子ちゃんと結婚したら?」
そう言うと、食べ終わった食器をパパッと片付けた。
「帰って庭の手入れでもするわ」
「こんなたくさんの食材どうするんだよ?」
「たまには自炊しなさい。どうせコンビニ弁当ばっかり食べてるんでしょ?」
「じゃあね」と言って本当に母は帰ってしまった。
静まり返った部屋。窓の向こうは広い青空。雲がプカプカ浮かんで流れて行く。
すぐ側には姫子が座っている。さっきの涙は早くも乾いているようだ。
身体が軽くなったような、それでいて何か物足りないような不思議な感覚に包まれる。
「良かったね」と姫子が呟いた。
「そうだな——」
「お義母さんにわたしたちの結婚を認めてもらえて」
そっちか。
「おまえが盗み聞きしてたこと、忘れてないからな」
「わたしと悠一の仲だもん。問題ないよ」
「プライバシーってもんがあるだろ」
「でも、わたしと悠一の仲だから問題ないよ」
「そういうデリカシーがないのは好きじゃない」
「……じゃあ止める。今度からしない」
「珍しく素直に納得したな」
「ううん。納得してない。悠一が嫌なら止める。それだけ」
「そうか……。お昼食べたか?」
「まだ」
「何か作るから待ってろ」
「うん」
俺はキッチンに行って、一ヶ月振りに包丁を握った。
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