第7話

 次の週末は久々にゲームにつぎ込んだ。

——が、以前のように楽しめない。なんだかんだで、姫子とカウンセラーを論破しに行くのは、刺激的でおもしろかった。

 このままケンカ別れしてしまうのも、気分悪い。さて、どうしたものか……。

 そう思いつつ、特になんの行動も起こさないまま2週間程経った土曜日。京一さんから電話があった。

「相沢さん時間ある? 夕食に来ない?」

「はい、伺います」

これだけ時間が経てば、姫子の怒りも冷めているかもしれない。俺は淡い期待を抱いて、綾瀬家に出向いた。

「いらっしゃい」

京一さんが玄関で出迎えてくれた。

「姫子、相沢さんが来たから夕飯にしよう」

ドアの向こうから返事はない。

「姫子! お・ゆ・う・は・ん!」

「……——いい、後で食べる」

淡々とした声だった。

 まだ怒っているのか……。

「姫子と何かあった?」

「まあ、ちょっとした言い合いを——」

「そうなの? 知らなかった」

「機嫌を直してくれるといいんですが……」

「あの子は強情だからなぁ——」

俺はドアの前に立った。

「姫子、この前のことは水に流して、一緒にご飯食べよう」

「…………後で行く」

お、これは関係修繕の兆しあり……か?

「じゃあ、先に始めてようか」

俺は京一さんとリビングに向かった。

 テーブルにはすでに料理が用意されていた。

 ローズマリーが添えられた鶏肉のソテー、色とりどりのカポナータ、エキストラバージンオイルで食べるカプレーゼ、それにチーズや生ハムのおつまみ類……。

「え、これって、全部京一さんが作ったんですか?」

「カポナータ以外はお手軽料理だよ」

「マジですか、すごいです……」

自分の自炊とは雲泥の差だ……。

「俺も昔は何も作れなかったんだけど、母親が居なくなって、姫子に食事で寂しい想いをしてほしくなかったからね」

京一さんはセラーから赤ワインを取り出すと、慣れた手つきでコルクを抜いた。ガラスに真紅の液体が注がれる。

「じゃあ、乾杯」

京一さんの料理はどれも美味しかった。男の一人暮らしじゃ、こういう洒落たものを食べる機会はなかなか無い。

「——姫子、遅いですね」

「うーん、居眠りしちゃったかな?」

「よく居眠りするんですか?」

「大人向けの難しい本を読んでると特にね」

「ヨーロッパ史とか、物理学とか、詳しいですよね」

「スピリチュアル系を論破するための理論武装らしいよ?」

「あ、それ知ってます」

それからしばらくしても、姫子は現れなかった。

 京一さんが、何か思案しているかのように、手元のワイングラスに視線を落とす。

「実は、姫子が寝てから話そうと思ったんだけどさ——」

「何ですか?」

「出て行った妻の話。もう何とも思っていないつもりだったけど、この前、偶然ニュース記事で目に入って、少し動揺してしまったんだよ——」

そう言って、京一さんはスマホを手渡してきた。とあるニュースサイトが表示されている。タイトルは『話題のスピリチュアルカウンセラー パドメ網田』。

「網田っていうのは、あいつの旧姓」

京一さんはグッとワインを飲み干した。すかさず次を注ぐ。

 ざっくり内容は、『blog・Twitterで人気沸騰、カウンセラーで占い師でもある彼女の信者が急増していて、霊視希望者が跡を絶たない』というものだった。

「有名人ですね」

「みたいだね——。今さらどうこうしたいわけじゃないけど、姫子に話した方がいいか、話さない方がいいか、迷ってるんだ」

「そうですね…………。もしかしたら、姫子はもう知ってるかもしれませんよ? 京一さんはスピリチュアルを遠ざけてるけど、彼女はがっつりフォローしてますから」

「確かに——」

「変に隠し事するより、大っぴらに話した方がいいと思います。その方が、お互いの信頼関係を傷つけませんし——」

「うん——。何かその方がいい気がしてきた。相沢さんに相談して良かったよ」

「お役に立てたなら光栄です」

「はは、大袈裟な——」

結局、姫子は最後まで出てこなかった。

 しかし帰り際——。

「姫子! 相沢さん帰るよー」

京一さんが声をかけると、姫子はおずおずと部屋から出てきた。おお、これは来た甲斐があった。

「悠一、帰ったら読んで」

差し出された両手には手紙が握られていた。女の子らしい、ピンクの可愛い封筒。『ゆういちへ』と宛名がある。

「なんだ、直に話すのが気恥ずかしかったのか」と京一さんが笑った。

「————っ!」

姫子が京一さんの腰のあたりを無言で殴る。

「ずっと手紙を書いてたのか?」

聞くと、姫子は黙ったまま、こくりと頷いた。

「ありがとう。帰ったらすぐに読むよ」

「……——返事、書いてね」

「わかった」

別れの挨拶をして、自分のマンションに戻った。


 返事を書かないといけない。コンビニで便箋と封筒を調達っと。

 さて——と。早速、手紙を読んでみよう。


ゆういちへ

 この前はごめんなさい。

 わたしはスピリチュアルがきらいだけど、今落ち着いて考えると、ゆういちの言っていたこともわかります。

 でも、わたしはスピリチュアルがゆるせません。どうしてもきらいです。あの時は、ゆういちがわたしよりスピリチュアルをえらんだような気がして、すごく怒ってしまいました。反省しています。

 ゆういちとわたしは、意見がちがいます。

 でも、ゆういちとお別れするのは、いやです。わたしは、だれかとお別れをするのが、とてもつらいです。

 これからは、カウンセラーをやっつける時に、ゆういちをさそいません。でも、それ以外の時は、またお話したいです。

 また、あそびに来てください。

姫子


 読み終わる頃には、自然に涙がこぼれ落ちていた。

 手紙まで書いて、自分から先に『ごめんなさい』をしたのだ。あの、負けん気の強い姫子が——。

 手紙にある通り、誰かとお別れするのが辛くて、ケンカ別れになったままでいるのが耐えられなかったんだろう。

 母親が自分を捨てた。子どもにとって、これほどショックなことはない。姫子もどれほど大きな心の傷を負ったことか…………。きっと、彼女は、人と別れる度に自分が置き去りにされそうな感覚に襲われるのだと思う。

 まして、俺との口論の原因はスピリチュアル。余計に母親のことが思い出されたに違いない——。

 この2週間、姫子が小さな胸を痛めていたのかと思うと、申し訳なくて心臓が苦しくてなる。

 もっと早くに、俺の方から会いに行くべきだった。

 スピリチュアルに過剰反応することだって、母親の影響だとわかっていながら、俺は今までまともに考えたことがなかった。

 先日の姫子の啖呵を思い出す。


『甘ったれるな! 現実を受け止めろ! 神は死んだ!』

『いい歳して現実逃避をするな! 強くなれ! 自分を持て! 頼るな!』


 あれは、周りの人じゃなく、自分自身に言い聞かせていたんだ。押し潰されそうな心を必死に奮い立たせるために——。

 俺はコンビニ袋に目をやった。中には、真っ白な封筒と白紙に下線が引いてあるだけの無愛想な便箋。

 明日、文具店にでも行って、もう少し気の利いたレターセットを買ってこよう。

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