第4話

 土曜日の朝、早速、姫子から連絡があった。

「おはよう、悠一。今日、仕事お休み? 暇? 実は連れて行ってほしいところがあって——」

「え? ああ——」

ほとんど初対面にもかかわらず、いきなり休みの日に電話をかけてきて頼みごととは……。まあ、子どもらしい無邪気さだと思うことにしよう。

 俺はベッドから起き上がった。

「どこに連れて行ってほしいの?」

「駅前のビルなんだけど——」

「何しに行くの?」

「後で教えてあげる。お昼頃にウチに来て」

「……わかった」

休日とはいえ、特に予定はない。……いや、強いて挙げれば、ダラダラとゲームをする予定だった。

 ゆっくり身支度を整えて、簡単な朝食兼昼食をとると、姫子の家に向かった。

 週に2日の貴重な休日を、わざわざ子守に使うとは——。ま、別にいいけど。

 姫子は玄関の外で俺を待ち構えていた。

「悠一、遅い! 一時に予約してるから、すぐに出発!」

「予約してるなんて一言も言ってなかっただろ? ——っていうか、何の予約?」

「カウンセリングだよ」

姫子は足早に歩き始めた。

「カウンセリング?」

そうだった……。一見、元気そうに見えても、母親が家を出て行ったことで、姫子は心に傷を負っているんだった。俺は急に姫子が不憫になってきた。

「そうか、まだ小学生だもんな……。お母さんが居なくなって辛い気持ち、よくわかるよ……」

「え、何? 何、言ってるの?」

「……何って、カウンセリングに行くんだろ?」

「カウンセリングはカウンセリングでも、スピリチュアルカウンセリング。前世やエネルギーを診てもらうのよ」

「へっ——? 姫子、スピリチュアル嫌いなんじゃないのか?」

「大嫌い!」

「じゃ、どうして行くんだよ?」

「うん。ギッタギタに論破しに行くの!」

姫子はやる気満々の意気揚々だった。

「マジかよ。何だよ、ソレ…………」


 着いた。——が、あまり気が進まない。

「なあ、本当に行くのか?」

「もちろん!」

姫子は元気よくエレベーターに乗り込んだ。5階で降りると、すでに貸し会議室の前で女性が待っていた。

「もしかして、綾瀬姫子さん?」

「はい!」

姫子が子どもらしい明るい声を上げた。それが、相手の警戒心を解くための、演技——手練手管だということが何となくわかる。たとえ子どもでも、女性はみんな生まれながらに女優なんだな……。怖い怖い。

「ルミナーラ安藤です。想像してたより、ずっと若いお客さんね」とその女性は微笑んだ。

 スピリチュアルというからには、何かミステリアスな出で立ちなのかと思いきや、拍子抜けするくらい普通の人だ。名前は往年の外国人タレントみたいだけど。きっと、本名ではなくて、この仕事をする時に使っている名前なんだろう。——というか、この大人しそうな人を不意打ちみたいに言い負かすのか? さすがに可哀想じゃないか?

「こちらはお父さん? お兄さんかな?」

「近所に住んでる者です。付き添いで来ました」

「もし、あなたもカウンセリングを受けるのでしたら、別料金になりますよ?」

「いいえ——、わたしは結構です」

……うーん、この人、意外にがめつい。

 会議室に入り、席につく。

「1時間5,000円です」

……高くね?

 姫子は小さなショルダーバッグから茶封筒を取り出して渡した。

「——はい、ちょうど頂きます」

受け取ると、彼女は早速タイマーを起動させた。

「始めましょう。今日は、どういったことを聞きたいですか?」

「はいっ。わたしの前世について知りたいです」

「——わかりました」

そう言って、安藤は目を瞑って天を仰いだ。

「…………草原の中に、石造りの家が見えます。これは、ヨーロッパかな?」

「それでそれで?」

姫子はキラキラと目を輝かせた……フリをしている。

「馬車……、豪華な馬車が走ってきました。水色のドレスを着た美しい金髪の貴婦人が乗っています。どうやら、彼女があなたの前世のようですね——」

…………本当か? どうしても出まかせを言っているようにしか聞こえないんだけど。こんなことで、小学生から料金を巻き上げていいのか?

「馬車は村を抜けてまだ走っています。あっ、お城が見えてきました——」

姫子はまだ何も言わない。じっ、と安藤の言葉を聞いている。

「馬車がお城に入って行きました。うーん……、どうやら姫子さんの前世はこのお城のお姫さまみたいね」

「ええっ! 本当ですかぁ?」

姫子は両手を胸の前で合わせた。

「素敵ですっ!」

……ふーっ、と大きく息を吐いて、安藤はゆっくり目を開いた。

「すみません。あの、いつの時代の、どこの国のお姫さまか、わかりますか?」

姫子は詳細な情報を求めた。

「ええと、そうね……」

安藤が再び目を閉じる。

「西暦1400年頃、スペインの南部かしら……」

——もし、安藤に姫子の前世の姿が映像として映っているのだとしたら、どうしてそれが西暦1400年頃のスペインの南部だとわかるのだろう?

「すごぉい! 安藤さんって、そんなことまでわかっちゃうんですね! …………あれ? でも、おかしいなぁ。1400年頃だとレコンキスタ前だから、スペイン南部はヨーロッパじゃなくて、イスラム文化だと思うんですけどぉ——」

「——え?」

一瞬、安藤の顔が引きつった。——が、すぐにまた笑顔に戻る。どこか白々しい笑顔に——。

「そ、そうね。最初は、風景から『ヨーロッパかな』って感じたんだけど、そのお姫さまはエキゾチックな雰囲気していたから、きっとイスラムのお姫さまね」

「えぇー? でも、安藤さん、さっき『水色のドレスを着た美しい金髪の貴婦人』って、言いませんでしたぁ? 金髪でイスラムのお姫さまって、なんか不自然だなぁ」

「………………」

安藤は完全に言葉に詰まった。そして、やっとのことで絞り出した一言は「姫子さん、とても詳しいのね」だった。

「ねぇねぇ、安藤さんっ。教えてくださいっ。どんな人にも、前世ってあるんですかぁ?」

「ええ、ありますよ——」

安藤の声は、最早さっきまでの張りを失っている。

「ふーん。じゃあ、人間の前世は人間なんですか? 人間の来世は人間なんですか?」

「そうです」

「へー、そうなんですね。——でも、だとしたら、昔と今では全然人口が違うから、矛盾がありませんか?」

「…………帰ってください」

「どうしてですかぁ? 教えてくださいよぉ」

「帰ってください!」

ばんっ、と机を叩く音が鳴り響く。

「何なの⁈ こんなのあまりにも失礼よ! ふざけないで頂戴!」

安藤がわめき散らす。

 いや、失礼なのはあんただ。姫子はお金を払って話をしているんだから、どんな質問にも答えるべきだろ——とか何とか言いかけた瞬間……。

「俗物、恥を知れ‼︎」

姫子が吠えた。

「嘘八百で人を騙しておいて、その言い草は何⁈」

カッと見開いた目が安藤を鋭く射抜く。彼女はまるで金縛りに合っているかのように、涙を浮かべながら、口をモゴモゴ動かすことしかできなかった。

「お金! 返して!」

姫子は安藤の手から封筒をぶん取ると、会議室を出て行った。自分もその後に続く。

 エレベーターを降りて外に出ると、姫子はやっと真剣な表情を崩した。

「やった! 大成功!」

両腕を上げて、ガッツポーズ。

「この調子でどんどんスピ系をやっつけに行こうね、悠一」

え? 俺、次もこんなことに付き合わされるの?

「えっと、次回はお父さんと行ったら?」

「ううん」と姫子は首を振った。

「スピリチュアルに触れると、お父さん、お母さんのことを思い出して辛くなるかもしれないから、ダメ」

「それはまあ、確かに。じゃあ、こんなことは今回限りにしたら?」

「それもダメ。わたしはこの世からスピリチュアルを根絶やしにするもん」

コイツ、これ以上、説得しても無駄だろうな。こんな危ないこと、ひとりで行かせるわけにもいかないし——。仕方ない…………のか?

 はぁ、と思わずため息が漏れる。

「スピリチュアルを無みする者、綾瀬姫子!」

「何それ? もしかしてニーチェ?」

「うんっ!」

姫子は満面の笑みを俺に向けた。

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