第45話 入念な準備
「大丈夫っすか、クラールハイトさん」
「あ、ありがとう」
ゴーグルを額に移し手を差し伸べる、赤みがかった金髪の男。
僕はその手をしっかと掴み、立ち上がる。
彼は確か七十二訓練場にいた生き残りだ。
名前は確か──
「ぜ、ゼンズフト……くんか」
「あれ、覚えててくれたんすか。意外っすねぇ、俺の名前覚えにくいから、最初っから覚えててくれたの、クラールハイトさんが初めてっすよ」
何故彼がここに来てくれたのかは分からないし、どうして敬称なのかも判然としない。
しかしそれらよりも、彼が
車輪が前後に取り付けられた、特徴的な二輪車。
何より目を引くのはその車の素材だ。
車輪から外殻から何から何まで魔物の骨で構成されている。
前輪を包む頭蓋の眼窩には魔水晶が詰め込まれ、よく見ると動力なのか車の中にも魔水晶が組み込まれている。
全体的に無骨なデザインは、何故か男の意欲を駆り立てる伊達な様相。
僕は密かにその二輪車に心を奪われていた。
「あー……聞いてます? 俺の話」
「あ、ご、ごめん……ちょっとぼーっとしてた」
頭が働かないのは純粋に、大司教に与えられた攻撃が完全に癒えていないからだが。
そこに、二輪車に見惚れていた事実も含まれている事は否めない。
「とりあえず、脱出しましょう。こんな場所じゃあ四方山話も出来やしない」
敵に囲まれているのに一切怯えを見せないゼンズフトは、再びゴーグルを装着した。
だが、
「っ!? なんと……傲慢な奴かっ!」
何故か地面に尻餅をつき、鼻血を垂らす白金の髪の男。
信徒に肩を貸して貰い、鼻を抑えながら激昂し、
「私を轢いた挙句、ここから逃亡するだとっ!」
「まぁ、そう易々と逃す訳ないのよねぇ」
妖艶な女と共に退路を完全に塞いだ。
数の差は絶望的だ。
二輪車が不意打ちの突入で開いた群衆の穴も、すぐさま塞がれてしまった。
コレでは逃げることなど到底不可能に思えるが──
「掴まってくださいっす」
「──え?」
ゼンズフトは僕を軽々と持ち上げて、自分の背後に乗せた。
初めての感触だ。
シートも骨なので硬いには硬いが、軟骨なのか想像より少しだけ柔い感想を覚える。
だが掴まってとは、どういうことだろう。
どこかに手すりのような物が無いかと探すが見当たらない。
「腰に手を回すんす」
「あぁ、腰ね腰」
ゼンズフトの言われるがままに腰に手を回すが、どうもこっぱずかしい格好だ。
少しだけ照れてしまう。
「マジでしっかり掴まっててくださいよ。一気に行きます」
「一気に……って一体どうやって……?」
手元でゼンズフトが何かを操作した瞬間、二輪車の胴体部分から骨の脚が飛び出して脇に着地。
それはまるでバッタの様な骨脚だった。
そこまで種明かしをされれば、さすがにその後の展開も予想がつく。
「どうにも皆、乗り物は地を走ると考えてるみたいっすが……残念、最近の車は──空も飛ぶ」
「ま、マズい! 抑えろ!」
魔水晶から発する爆音は、魔素と水晶の術式が反応して起きる現象か。
ドゥルンという爆音と共に二輪車が振動を開始する。
同時、飛びかかる信徒達。
「遅いっすよ」
だが彼らが二輪車を捕縛する事はなかった。
充分に力が蓄えられた骨脚は地を蹴り飛ばし、数十メートルの距離を跳躍する。
「──わぁぁぁぁぁぁっっ!? お、落ちる!?」
「まだまだ。こっから本気の逃げっす」
重力が一気に消失する感覚の後、徐々に重さが戻って来るのは落ちている証拠だ。
それでもゼンズフトは余裕な態度でハンドルを捻った。
骨脚はそのまま伸ばす様に地面と平行になると、薄い膜を張り瞬く間に羽へと変化した。
つまり今、僕等は空を飛んでいた。
「す、凄いけど速いぃぃぃぃぃぃ」
「なるべく背中にくっついてくださいっす。離れると吹っ飛ばされますよ」
「ヒィィィィィィィッッッッッ!」
最初から最後まで、全てゼンズフトの手のひらの上で踊る様に動かされた僕。
空を駆ける機馬は何処へと向かうのか。
それはゼンズフトのみぞ知る事なのだろう。
結局僕は、何も分からず襲われて、何も分からず助けられた哀れなお姫様。
あぁ──お姫様と言えば、ティアとの約束を守れなかった。
彼女は騒動に巻き込まれていないだろうか。
それだけが、僕の心残り。
天空から抜け出した信徒集まる包囲網を眺め、そんな事を考える。
後で連絡を必ず送らねば。
---
エイトが信徒の包囲網を抜け出した直後の話──
「何故だ、我らが教祖よ! 何故“神の鎖”をお使いになられなんだ!」
白髪白眼のヴァリッドに膝をついて、白金の髪の男は必死に直訴していた。
「慎めェい。貴様がここにいるからであろうがァ」
その訴えに、しかしヴァリッドは眉を
「わ……私が?」
「貴様……何故学園で我が自由に動けると思っている? 貴様の影武者としての役割が、果たされているからであろうがァ」
ヴァリッドの言葉に白金はハッとする。
自身の過ちに気付き、唇を噛む白金に追い討ちをかける様に、妖艶な女が口を開いた。
「さすがにぃ、私も神の鎖まで出されちゃったら幻術で誤魔化せないわぁん」
「メアルタハ……すまない。私が負担を掛けているというのに」
「仕方ないわよぉ、貴方の任務の為だからぁ、貴方の為ではないわぁん」
「そうだな……」
メアルタハの冷たい姿勢にそれでも尚白金は小さく頷いた。
彼らにとって教祖の目的遂行こそ絶対であり至福。
それ以外の行動意欲などありはしないのだ。
「現在進行形で見張りが監視を続けている。ならば私は一旦、学園へと戻ろう」
「その方がいいわねぇ……今も何とか教徒で囲って、更に幻術で誤魔化してるけどぉ、さすがに勘付かれちゃうかもぉ?」
「あぁ。では申し訳ない、教祖よ。先にお暇させていただく」
教祖ヴァリッドは頷きはしなかった。
しかし、沈黙を肯定と受け取った白金は一礼し、そのまま町の喧騒へと溶け込んでいった。
彼の帰途を見届けて、メアルタハはゆっくりヴァリッドに問いを出す。
「でも教祖様ぁ? あの子はどうするのぉ? 学園じゃあ、滅多に会えないのよぉ?」
「ふむゥ、捜索して見つからぬということは、それに付随する理由があるということだ。であればァ、我らが成すべきは現問題への対処ではなく、三次試験への準備であろうてェ」
「なるほどぉ……それじゃあ早速行動開始としましょうかぁ」
メアルタハはパンパン、と手を鳴らす。
それを合図にして教徒の群衆は、クモの子を散らす様に解散していった。
メアルタハもヴァリッドに一礼してから、町の人混みに消えていく。
しかしヴァリッドだけは、天へと逃げ
「エイト・クラールハイトォ……、貴様は必ず我の手で、制裁を下す。我らが天使の名においてェ……必ずだァ……!!」
その手に握る分厚い教本が歪む程、力を入れる。
もう豆粒ほどのエイト達の影を、目視出来なくなるまでその目に焼き付けて。
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