第43話 魔術正教の意味
「ほ、ホンモノだ……目の前にホンモノのヴァリッド様がいる……」
ガタイの良い筋肉質な身体は、わりと身体の線を隠せる修道着でも誤魔化せていない。
子供からすればその圧迫感はそこらの大人の比では無いはずだ。
実際、膝をついている僕が気圧されている。
だというのに貴族の男の子は瞳を輝かせていた。
「有名……なの?」
「有名なんてもんじゃない! ヴァリッド様は魔術正教の三人しかいない大司教の一人なんだ! オレの憧れの一人だ……」
男の子がそう熱弁すると、
「今から第二章の祈祷が始まる。君も、行くといい」
「は……はい!!」
男の子はヴァリッドに九十度のお辞儀をすると、群衆へと消えていった。
それを軽く見届けたヴァリッドはゆっくりと振り向き、また、あの完成された笑みを見せる。
恐らく、彼は笑顔を永遠と貼り付けているのだろう。
職業柄、レストランの給仕の如く笑顔を絶やさない。
だから恐怖を感じるのか、ただひたすらに彼の笑顔が恐ろしい。
「あちらで雑談でもどうだろうか」
「……え?」
僕の恐怖もいざ知らず、ヴァリッドは喫茶店の椅子を指差して言った。
訳もわからず惚けていると、
「この祈祷の場で巡り合えたのだ。この町で我が知らない人物を見掛けるのも珍しい。何かの縁、と考えて代金はこちら持ちで良い」
「は……はぁ」
そうして、僕は喫茶店へと連れて行かれた。
こーひーとけーきを嗜む上級階級専用のお店だ。
少々過言かとも思ったが、実際、店内には貴族らしい着飾った人間しかおらず、内装も煌びやかだった。
一体、ここで一口二口食すだけのデザートにいくらかかっているのか想像が出来ない。
砂糖は非常に高価であり、ふんだんに使用したデザートは銀貨はもちろん、物によっては金貨を出すこともあるとか。
大金を軽く出せる人間がここにはいる。
それなりに地位と誇りを持った人達が。
そんな彼らが羨望の眼差しをヴァリッドへと向けている。
店員も大司教様からお金は受け取れないと断っていたが、ヴァリッドの沈黙の訴えに陥落。
泣きながらお金を受け取っていた。
どうやら男の子の言う通り有名な人物らしい。
それどころか、対応を見る限り相当凄い人物と、僕は並んで歩いているのかもしれない。
ヴァリッドに連れられて、祈祷が直接見れるテラスへと案内された。
大司教の登場に、既にデザートを楽しんでいた貴族達もそそくさとお辞儀をしながら中へと戻っていく。
コレで二人だけの空間が誕生した。
「遠慮せずに、座りたまえ」
「あ……では失礼します」
最早言われるがままだった。
拒否する事も出来たのに、流れに乗ってここまで来てしまった。
もう逃げ出せないこの空間の居心地悪さは、生涯感じたことのない類の物。
例えるなら、拳術を極めた見知らぬ老師の後ろをついていく従者のような緊迫感だろう。
この圧は、紛れもなく彼から溢れ出るエネルギーによる物だ。
「さて……君には、信じるものがあるか?」
唐突な質問だった。
一瞬固まり、
「それは……神様や人ということですか?」
と恐る恐る訊いた。
しかし彼は首を振った。
「違う。物体である必要はない。心でも、思想でも、概念でも良い。君の心の中に……何に変えても守りたいものはあるか?」
「何に変えても守りたいもの……」
そう聞かれたならば答える事は可能だ。
勇者になる。
弱者である僕が、弱者でも人に希望を齎せる存在になれると証明し、弱者達を救う為に。
その為に、僕の進む道は正義でなくてはならない。
誠実ではなくてはならない。
殺さない。
騙さない。
不正しない。
誰よりも胸を張り、勇者を名乗る為に。
「あります」
「そうか。我も、ある」
頷く僕に応じて頷き、ヴァリッドは続けた。
「この世全ての人間を救済する、という信念だ」
「全ての……人間を?」
「我は今まで多くの人の不幸を目の当たりにしてきた。飢餓に嘆く子供、若者に嬲られる老人、幸福な時を裂かれる夫婦……。人の世は地獄だ」
深く、腹に響くような低音の彼の言葉は、実際に見ていないというのに、その情景を浮かび上がらせる程の熱を持っていた。
「貧富の差など、人が後から付け足した装飾品。人の品位を示す度合いの一つにすぎん。しかし、今この世界では人の価値を定める基準の一つとなっている」
嘆かわしい事だよ。とヴァリッドは続けた。
彼の悲哀の表情から伝わる真なる想い。
その言葉に、僕は自然と共感していた。
平民出の異例として学園では僕に近付いてくる人間はいないし、貴族同士で築き上げられたコミュニティに入れなければ、きっと孤立する。
勇者学園という学び舎こそ、ヴァリッドの言う差別の温床なのかもしれない。
であれば、ティアも……?
なんて憶測が生まれた時、
「だが神は貴賎を問わない」
ヴァリッドが語気を強めて言った。
「神は才能を
「魔……魔法と魔術ですか」
「そう。魔法は選ばれた者しか扱えず、魔術も人により適性の違いがある。魔術は誰もが扱えるとはいうが適性のレベルは上がらない、生まれた時点で決定する。コレが神により定められた生物の格差でなくて、何だというのか。従うべきは才能、それ以外に差などない」
だから魔術正教。
魔、中でも魔術こそ神が生命に与えた至高の物とし、世界のヒエラルキーはそれにより作られるべきだと、ヴァリッドは言っているのだ。
確かに、人が持つ魔の力はバラバラでどうすれば魔法を持つ人間が産まれるのか、魔術適性の高い人間が産まれるのか、研究はされど答えは出ていない。
そう考えると、彼の言葉の信憑性も、熱意も理解しやすい物だが。
であれば、僕のような適性ゼロの人間は彼にとってどう見えているのだろうか。
「この考えを広め、既にユスティティア帝国を始め、鉄山皇国も信徒が増えた。見よ、身分に囚われず人々が神に祈りを捧げる様を。貴族街と貧民街とが分かれる他国では絶対に見る事の出来ない光景だ」
視線を送る先。
皆が一心に、神へと祈りを捧げている。
そこには貧富の差はなく、神から産みだされた多くの一人としてあの場にいる。
身分の差が消えた光景は美しい。
誰も差別されず区別されず、あるはずの争いが無いのだ。
醜いはずはない。
「我はこの光景をいずれは六王国全てで実現したいのだ」
「素晴らしい考えですね」
金銭ではなく、人が生まれながらに持つ才能を信じよ。
確かに聞こえはいいけれど、或いは直接は口にしていないヴァリッドの言葉を、僕が
それは何だか、問題点を挿げ替えただけのような気がして、心の底からは共感出来なかった。
それを見抜かれたのか、
「はは。これは入信して貰えなさそうだ」
「あれ……か、顔に出てましたかね?」
「ハハハッ! 実は勧誘も兼ねてのスイーツよ。よく使う手段故の経験則だ。今まで信徒になった人間と反応が違った。中々理想には手が届かない物だ」
「なんかすいません。誘って貰ったのに」
僕の断りにもヴァリッドは
だから彼は大司教という地位につけているのかもしれない。
「おお、やっと来たな」
ヴァリッドが反応を示したのは、デザートだった。
店内から話の区切りが入るタイミングを伺っていたのか、スッと店員はデザートを置き、足早に退場した。
大司教は相当恐れ敬われる役職らしい。
ちょっと自分の世間への無知さ加減を呪いたくなる。
だがそんな些細な心配事も吹き飛ばす、黄金の宝石が眼前にはあった。
見たことのない形状。
半円形の金色に輝くけーき。
鼻腔をくすぐる甘ったるい匂いは、舌を刺激して口に含まずとも味を伝えて来る。
コレは絶対に、美味い。
「大司教と呼ばれても俗世には染まる。別段、禁止しているわけでもない。我の好物のオウマンゴルの実で作られたケーキだ。共に食そう」
「ぼ、僕実は今日初めてけーき、を食べまして、さっきは味が全然分かんなかったんですけど、コレは凄い! ほ、本当に食べても良いんでしょうか……?」
「ああ。コレも神が与えたもうた恵だ。神に、
胸に手を当て軽く礼をするヴァリッドに続いて、僕も真似して小さく礼。
大司教とお供する機会でもなければ高級けーきを口にすることなど出来なかっただろう。
コレは神に感謝せねばならない。
ヴァリッドは静かにフォークをナイフがわりに使い、けーきを小分けにし口に運んでいる。
僕も真似してフォークをけーきに差し込んだ。
すると中からまたしても金色の液体が流れ出て、香りの爆発が鼻腔を刺激する。
「中にまで美味しさがぎゅうぎゅう……ってことか」
なんてよくわからない食レポをしつつ、溢れ出た液体に小分けしたけーきを絡め、焦らすように眺める。
料理の一番のスパイスは空腹だという。
だからこそじっくり見て堪能してから舌で味わいたいのだ。
黄金の液体の正体は蜂蜜だ。
とろーりとフォークから流れ落ち、その粘性を僕に教えてくれている。
オウマンゴルの身と言えば、甘さで有名な実だ。
砂糖に、果実に、蜂蜜に、と甘さのオンパレード。
これが美味しくないわけがない。
充分に焦らした所で僕の限界は寸前。
口内にも涎が溜まっている。
満を辞していただきまーすと口を開けて、
「うまそうなもん、食べてんなにいちゃん」
絶妙なタイミングで声をかけられた。
「なに。今からいい所なんだけど」
「奇遇じゃん。オレも祈祷の休憩時間で良いところなんだ。一口くれよ」
テラスの手すりに、ブラブラと洗濯物が引っかかるみたいに身を乗り上げている男の子。
口をあんぐり開けて、待機している。
なんて不躾なんだ。
さっきの失礼な言葉のお礼と共に拳を見舞ってやろうか! と物騒な事も考えたが、このけーきも僕が購入した物でない。
あくまでヴァリッドからの奢りだ。
視線をヴァリッドに投げると、快く頷いていた。
「仕方ないな……はい、あーん」
「あーん」
とけーきをフォークに刺して男の子の口にまで運んで行ったその時だった。
「あ」
男の子の懐から、ポトリと何かが落ちた。
それは彼が大事にしていた教典だった。
「ああ! オレの教典が!」
「しっかりしまっとかないから……」
男の子はけーきには目もくれず、すぐさま落ちた教典を拾って
子供らしいと言えば子供らしいが、さすがに教典を落とすのは罰当たりなんじゃないかと、ヴァリッドを見た。
穏やかな笑顔はどこへ行ったのか。
いや、僕は恐怖を感じていたのだが、世間一般的で言えば、あれは穏やかと呼べた表情だ。
それを業務として貼り付けているヴァリッドに死角はなく、常時あの笑顔だから多少の畏怖を感じたのだ。
しかし、彼のあるべき笑顔は、そこにはなく。
修羅のような顔付きでフォークを握り潰すヴァリッドがそこにはいた。
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