第42話 君のためにできることって

 楽しいティアのデートから一転、王族だけの話し合いという何とも仲間外れな空気から抜け、僕は待ち惚けながら噴水を眺める。


 噴水の技術もまた、魔術による物だ。

 大気中の魔素マナを吸収する魔吸石なる鉱石と、水の魔術の術式を刻んだ水晶を用いることで永続的に綺麗な水が噴出されている。

 コレらは住宅街の水道にも利用されているのだが、それはともかく。


 陽光に反射する噴水に、中で輝く魔水晶の流麗さも相まって、一つの芸術品として成り立っている。

 噴水を眺めるだけで時間は充分に過ごせる。

 何てくだらないことを考えて、


「王族かぁ……」


 と嘆息を溢す。


 王族の忙しさ、その責任の重さを理解出来るわけもない。

 どれだけ想像しようとそれは想像の範疇を抜けないのだ。

 実際、バチバチに争っていると思っていた王族同士も子供であればわりと親密なやりとりをしていたように。

 真に彼女に共感する事は出来ない。


 彼女程真面目で優しい人間が、僕以外とあまり関わっていないのも、重大な理由があるのだろうけれど。

 彼女の表面上でいる王の仕事にですら、理解を示せないこの僕が、彼女の友人として接する事が出来るのだろうか。


 出来て、いるのだろうか。


 自信がない。

 特別強いわけでもなく、魔力適性も全てゼロの僕に出来る事は一体何なのだろう。

 僕の為に動いてくれる彼女の為に、何か出来ることは無いのだろうか。

 益体もない問い掛けを心中で続ける。


「考えても仕方ないか……」


 既に一時間は待った。

 固まりつつある身体を伸ばしてほぐす。


 噴水広場は賑やかだった。

 住宅街、商店街、職人街へと繋がる全ての道が交差する場所なのだからそれも仕方ない。

 それに子供達が遊びの場にもしているようで走って騒いでいたりする。

 それでも声を掛けられないのは、他人だからではなく僕の姿が貴族に近しいからだろう。

 明らかに城下町の人達が僕の事を避けている。

 候補生の時とは偉い違いだった。


「おい、にいちゃん」


 だから近寄って来る人間も普通じゃない。

 声を掛けてきたのは、如何にも高慢そうな貴族の子供だった。


「そ、それって僕の事かな?」


「お前以外いねぇだろ。貴族なら貴族らしく優雅であれって言葉、知らないのか? ふん」


 子供の癖に、初対面の人に向かって鼻をつんと逸らす態度。

 正直、顔も優雅とは程遠い小馬鹿にした表情の為に一拳当てたくなるがここは我慢。

 年上の威厳を見せねばならない。


「ごめんね。いやー、君は物知りだなぁ」


「お前がばかなんだ。ばかめ」


「……」


 正直、あと少しでキレるところだった。

 固めた拳をグッと抑える。

 温厚な僕といえど、ここまで言われるとさすがに血が頭に上るってものだ。

 危ない危ない。


「まぁ、そのイケてない顔からばかなんだろうなとは思ってたけど」


(よーし! 一発、一発だけならやっちゃってもイイよね! 悪ガキを懲らしめるのも勇者の一端! ……いや、大人げないか、いやでも!)


 遂に腹が決まり、拳に熱をこめていく。

 しかし子供を殴るのはさすがにどうかと心の中で善と悪が鬩ぎ合っていると、


「ちょうどあっちでお祈り……祈祷をしてくださってる司教様がいるんだ。連れてってやるよ」


「え、ちょっ」


 子供が無理矢理手を掴んで、誘導していく。

 どうやら僕に声を掛けたのは勧誘だったようだ。


 訳もわからず連れて行かれた先。

 そこは噴水広場に隣接した神を象った銅像が立つ広場だった。

 神の銅像の前には確かに、司教と思われる人物が立っていた。


「神は言った。幸福とは、争わず、憎まず、殺し合わない世界だと」


「「「幸福とは殺し合わない世界」」」


 手を組み、顔を伏せ祈祷する群衆の真ん中で、頭一つ飛び出た、がたいの良い白髪の男。

 金の模様で縁取られた純白の本を片手で持ちながら、神の言葉を紡いでいる。


「神は言った。未来とは、誰もが持ち得る可能性であり、希望。絶望する現在があれど、未来の希望に勝てはしない」


「「「未来の希望に勝てはしない」」」


 男の言葉尻を皆復唱する。

 人数は数十人という規模でありながら、示し合わせたようなズレがない復唱だった。


「神は言った。悪とは、虐げる者でも、騙す者でも、偽る者でもなく、命を奪う者でもない。真なる悪とは──」


 一拍を置いて、男は噛み締めるように続けた。


「信念を貫かない者で、あると」


「「「信念を貫かない者であると」」」


 その言葉の意味が、果たして正解かは分からないけれど。

 神からの言葉を復唱する事で共感し頷く人や涙を流す人もいた。

 この言葉が人を救っているのであれば、宗教としては正しい道を歩んでいるのだと思う。

 僕は何かに縋ったり、信じた事が無いので分からないが、だからと言って否定的でも無いのである。


 司教らしき男を囲んでいるのは身なりが悪い人ばかりではなく、貴族も数人混じっていた。

 人の地位関係無しに祈祷しているというのは好感を得られる光景だ。

 さすが世界一普及している宗教と言ったところだろう。


「さすが神様だ。イイこと言うぜ」


 群衆の最後尾で、男の子は嬉しそうに頷いた。

 人通りの多いところに来たのだ。

 声が届くように膝をつき、彼の目線に合わせ僕も頷く。


「そうだね。なんていうかこの言葉そのものから信念が伝わって来るよ」


「だろ? オレもしっかり教典持ってんだぜ。もちろん“ふくせいひん”……? まぁ、本物じゃ無いけどよ」


 そう言って、男の子は懐から小さな本を取り出した。

 司教が持つ本とは比べられる物では無いが、持ち運びには適した薄い本だった。


「でもそれ、読めるの?」


「あったりまえだ! みてろ。えっと……か、神は言った……こ、こうふくとは、争わず、に、にく……?」


 本を何度か回転させて読もうと努力するが、最終的にダメだーとお手上げ。

 そんな男の子と談笑に浸っていると、視線を強く感じ顔をあげた。


 その先には司教の男。

 色無き白眼が、ジッと僕を見据えている。


 まるで蛇に睨まれたカエルのように僕は固まった。

 吸い込まれるような瞳。

 ヴァルムトの鼠色の瞳を感情がないと称したがこちらも同じ類の瞳だ。

 感情が全く読み取れない。


 男の子は未だ騒いでいたが僕の意識までは届かない。


 ただ視線を交わす時間が過ぎ、遂に、男が動いた。

 教典と思われる分厚い本を、隣の教徒に渡し群衆を割ってこちらに歩んで来る。

 一言一句発せず、筋肉は一繊維たりとも動かせない。

 膝をついたその状態で司教を迎えた。


「君は……ここでは見ない顔だ。この祈祷会に参加するのは、初めてかな?」


 ゆったりとした口調で語り掛けてくる。

 まだ、身体の緊張が解けない。

 顔が熱い、汗が噴き出る。

 この感情はなんだ。


 司教の声を聞くと背筋が冷えるのはなぜだろうか。

 司教を前にすると目を合わせたくないと思うのはなぜだろうか。

 司教の笑顔が心底恐ろしいと思うのは、一体──なぜなのだろうか。


「我の名は、ヴァリッド。折角の来訪者だ話の一つでも、しようではないか」

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