間章 その三 レイの憤懣

 スカイディア最上階、礼拝堂。


 荘厳な木製の扉を開けた先は静寂だけが支配する神聖な空間だった。

 ポツポツとつく蝋燭の火。

 身廊しんろうには赤いカーペットが敷かれ、立ち並ぶ長椅子と共に祭壇へと続いている。

 祭壇横には巨大な像も立っているが、夜の薄暗いこの礼拝堂では全容を知ることは出来ない。


 しかし、月光を通すステンドグラスだけは別だった。

 幼い少女を象ったステンドグラス。

 天からの光と共に舞い降りる天使。

 それを地上の人々が祝福する絵だった。


 月光を通すことで輝くその美しさは、筆舌に尽くし難く、本物の天使が舞い降りたような気さえ感じさせる。

 神を信じないものでさえ魅了する、芸術性の高い逸品だ。

 この世で最も天に近いスカイディアだからこそ、天上の輝きが生み出せるのかもしれない。


 勇者学園唯一の礼拝堂は、魔術正教の総本山、ユスティティア帝国を統べるブライドハイライトと魔術正教の最高司祭の提言により建築が決定した。


 候補生内にも、魔術正教を信仰する者がいるかもしれない。

 彼らがどこよりも天に近いこの場所で、祈りを捧げる場所が無いのは、神に失礼だと。


 そういう理由で最上階に増設された礼拝堂。

 そこに、今、一人の来訪者がやって来た。


 黒髪黒瞳の少年。

 白の制服が義務付けられた勇者学園で、唯一黒の特注制服を肩掛け着用するこの男。

 若干十八歳でありながら纏う厳格な雰囲気は、大人でさえ眼光のみで平伏す、王になる為に生まれた王子。

 レイ・ナイトメアダークサイド。

 ダマスカス王国、ただ一人の王子である。


「陰湿極まりない。神に隷属を誓う者が斯様な空間で祈祷を捧げるとは、笑止……」


 神聖な空間で、唾棄する言葉には悪意しかない。

 赤いカーペットの上をカツンカツンと足音隠さず進軍し、祭壇に立つ一人の男を見据えた。


 白金の髪を月光に輝かせる男。

 その周りには、取り巻きと思われる十字を描いた布を顔に貼る集団。

 自身の友人をたぶらかした、悪の巣窟だ。

 祭壇の周りだけでなく、この礼拝堂全体から気配が漂ってくる。

 どうやら囲まれているらしいが、レイの興味は白金の男にしか向いていない。


 拳には自然、力が入る。


「笑止……か。私としては、敵地に単身乗り込む貴方の方が、無謀で笑えてくるが」


 レイを迎えるのは在らん限りの嘲笑だった。

 クスクスと教徒達の侮蔑の合唱が、礼拝堂に木霊する。

 とても王族に対する歓迎とは思えない。


 それに対しレイは尚、鼻で笑い返した。


「王たる者、万全は期す。別段、貴様らにかける戦力も要らぬと考えたまでだ」


「なめられたものだ」


 侮蔑対侮蔑。

 片方は神の信徒として。

 片方は絶対なる王として。

 互いに譲らない誇りの鬩ぎ合い。


 その均衡を破ったのは──神の信徒。


 長椅子の影に隠れていた信徒達が、十字架を剣へと変化させ、飛びかかる。

 暗闇に乗じた奇襲だ。

 その数──五。


「分からんか──?」


 だが不可避の奇襲を、レイは、


「なめているのだ」


 力強く開眼するだけで吹き飛ばした。

 斬りかかった筈の信徒達は、慣性も重力も関係なく壁へとめり込んだ。

 それはまるで何かに押し潰されいるかのよう。


 仲間が無様に敗北する姿を見ても、白銀の髪の信徒は動じない。

 彼が学園内での、魔術正教一派の中心核なのは間違いなかった。

 他の信徒が怯え後ずさる中、白金はそれでも笑い返す。


「たかだが人間の王程度で、無礼な男だ」


「たかだが神を信じている程度で、頭が高い」


 両者一歩を譲らない罵り合い。

 二人が二人ともおかしくなって苦笑をこぼし始める程だ。

 或いは二人共が高度な諧謔かいぎゃくだと、本当に心の底から笑っているのかもしれない。

 どちらにせよ、異常な空間に違いはなかった。


「だがまぁ弁解の一つくらい、聞いておこうか」


「弁解……?」


「そうだ。神に最も近いこの場所で、敬虔なる信徒の我々は、ただひたすらに祈るのみ……。その我々の一時を、貴方が踏みにじるだけの理由を聞かねば、教戒きょうかいのしようもないでしょう?」


 飄々と語る姿はとても、神を信じ人を導く存在たる信徒とは思えない。

 彼は単純に、人を罰する為の口実が欲しいのだとそう思わせる態度だ。


 あまつさえ、他人の友人をおとしめた人間が、何を狂ったのか王たる自分をいましめるという。

 魔術正教は世界で最も派閥を広げた一大信教だが、狂人がその中心であるならば中身も大した事はないのだろう。


 レイは心内で嘆く。

 自身がもっと世界に手を伸ばし、統治していたならば民草も道を過たず進めたというのに。

 王が五人も六人も生まれてしまうから、こうした狂人が生まれてしまうのだと。

 一人、嘆息し呆れた様子で、


「教戒云々はさておき、そろそろ姿を現したらどうだ。──幻術師」


 誰もいない場所に視線を送った。


「俺は基本寛大だ。王の前で照れ隠しに幻術を使うまではまだ許そう。だが、姿無き身で俺に攻撃でもしてみろ。問答無用で刑に処す」


「あら……バレバレだったのかしらぁ?」


 レイの脅迫に観念して出て来たのか、或いは元からそのつもりだったのか。

 レイを取り囲む信徒はもやとなり消失、代わりに白金の男の横に一人の女が出現した。


 白い眼帯で両眼を覆う女。

 眼帯には勿論十字が描かれ、手に持つ錫杖の様な杖の先端には大きな目玉の装飾がなされている。

 服装も普段の白の制服に加え、頭三つ分はある巨大で横広な帽子を被っていた。


 彼女が現れると同時、周りにあった信徒達の気配は全て消えた。

 全てが全て、幻術だったらしい。


「ねぇ、あの人想像以上よぉ? 私のぉ、領域テリトリー内に入ったのにぃ、幻術見破っちゃったのよぉ?」


「そこばかりは、さすがに我らの目算が甘かったというわけだ。人の王だけはある」


「何でもいいぜ! やっちまおう!」


 次いで登場したのは十字の布を顔に貼る巨大な男だ。

 祭壇横に立つ像が動き出し、姿を現す。

 三メートルを超える男だった。

 異様に手が長く、ゴリラの様に地につけて身体を支えている。

 これ程の巨体は学園内に限らず、世界を捜しても見つからないだろう。


「幻術で像に化けていたか……」


 敵は三人に減った。

 とはいえ、そこらの雑兵たる信徒とは訳が違う魔素マナ量を放出する三人だ。

 そこそこに強さは持ち合わせているだろうが、幹部クラスが三人も出て来たのだ。

 レイからすれば好都合だった。


「それで……俺はアルディという者に逢いに来たのだが。貴様か? 白金」


「人を髪の色で呼ぶな、人の王。しかし、奇しくも私がアルディで正解だ」


 アルディと名乗る白金は両手を広げて歓迎する。


「よく辿り着いた、レイ・ナイトメアダークサイド。我らこそあまねく子羊を救済する、魔術正教の信徒──“先導の光ライニグング”だ。君が求める答えはここにある」

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