間章 その二 アヤメの訓練

 アヤメ・フレイムクラフト。

 彼女の学生生活は、他の候補生とは異なる物だった。

 いや、アヤメ単体というよりも、現状八人在籍している六王族セクターの学生生活は全て、異色を放つ類のものであった。


 授業に出席はしても全て爆睡する者。

 授業には全く出ず、街をぶらつく者。

 試験の時以外は本国に帰っている者。

 地位に酔いしれ、惰眠堕落を貪る者。

 自由気ままに勇者学園を探検する者。

 と、様々だ。


 其れ等の行動の理由は単純だ。

 ある程度の教養は幼少期から叩き込まれ、既に独自の戦法や剣術も会得している彼らは、授業に必要性を感じていないからだ。


 魔物学や魔術学は当然のように十歳になる前に皆マスターしている。

 人によっては母国の王国騎士を倒せる程にまで剣術を昇華させた者もいる。


 それだけ武芸と教養に恵まれていた彼らであれば、よっぽど高名な教師か風変わりな授業でなければ興味を持つこともない。


 唯一、ティア・ブライトハイライトはその探究心と知識への貪欲さから、教師達の細かな考えの違いを知る為、授業を真面目に受けていた。


 ではアヤメはどうだろうか。

 彼女も勉学の授業にはほぼ出席はしていない。

 代わりに毎日出席しているのは、そう、実演型の剣術の授業である。


「次」


「ちくしょう! 今日こそは勝ってみせる!」


 最初は敬語だった候補生達も気にせず打ち負かし続けると、話し掛けるというよりは独り言の延長戦なのか、意気込みを叫ぶ事が多くなった。


 入学当初から続けている剣術百人抜き。

 毎日人は総入れ替わりの新鮮な物だ。

 さすがに一ヶ月以上も続けているからほとんど見覚えのある顔だが、気にせずアヤメは挑戦者をのしてきた。

 三千連勝くらいしているだろうが、百人集まらない日もあったので、三千に到達していない可能性は無きにしも非ず。


 だがアヤメの目的は連勝ではない。

 古今東西の剣術を扱う猛者との豊富な実戦経験だ。

 おかげで、最早アヤメが知らない剣術は無いと言えた。


(それでも……後もう一つの目的にも引っかかって欲しかったけど)


 斬り捨てて倒れていく特訓相手を見て、心の中で独りごちた。

 もちろん斬り捨てたとは言っても使用武器は木剣。

 更に言えば訓練の範疇での模擬戦なので、候補生の体表には訓練場使用の薄い結界が張られている故に安全だ。

 アヤメは模擬戦を行う時には必ず、この結界を張ってから剣を交えるようにしている。

 木剣でも急所に当たれば命を落とす可能性がある。

 もしもの時、相手・・の命を守る為だった。


(あの子……今日も来ないわね)


 最後の相手との模擬戦を終え、溜息混じりに偽物の空を見上げた。


 いつも後ろをついてきた、ただ一人の弟。

 何か反応を返した事はほとんどなかったけれど、喧しい程の声援が必ず聞こえていた。

 しかし、その姿は最近消えた。

 何の前触れもなく、突然に。

 その事が、ほんの少しだけ気掛かりだった。


 対戦相手が何か言っていたようだったが、今のアヤメには何一つ届きはしない。

 今のアヤメに届くとすればそれは、懐かしい弟の声援くらいだろう。


 ---


 一階、第十二訓練場。

 そこは訓練場内の風景をいじる事が出来る、二人用の小さな戦闘空間だ。

 使用用途は外部からの師匠が来訪した際、使用する訓練場だが、候補生内で外部の師匠を選んだのは数人程度。

 故に訓練場の中では比較的使用頻度が少ない訓練場であった。


 そこにやって来たアヤメ。

 風景は寺だ。


 巨大な寺院が建ち、前の広場は丁度訓練するくらいの広さがあった。

 石造りの地面の端には、石灯籠が等間隔で配置され、風情を感じさせる。

 アヤメは広場の真ん中に立ち、待ち人の到着を待っていた。


「お久しゅうございます。アヤメ様」


 嗄れた老人特有の錆びた声が辺りに響く。


 灯篭に、不意に火がついた。

 広場に上がる為の階段の方から火がついて、アヤメへと迫って来る。


「このような老骨をお呼びになるとは、アヤメ様も物好きですなぁ」


 灯篭の火はアヤメにどんどん近づいて行く。

 しかし、この広場には誰もいない。

 誰もいない筈は無いのに。

 声だけは静かに囁かれる。


「では──一つ、試し打ちと参りますぞ」


 全ての灯篭がついたその瞬間、ヌッと泥沼の底から突然魚が現れるように、アヤメの背後を老人が取った。


「陽炎拳っ!」


 老爺の拳を炎が纏う。

 裂帛の気合を以て、一撃必殺の暗殺拳がアヤメの脇腹を穿つ。


「ぬーーっ!?」


 それを、一点に凝縮した淡い赤の結界が防いでいた。

 アヤメの絶対防御の結界は全てを弾き拒絶するもの。

 だが魔人戦からも分かる通り、防御力を上回る攻撃には耐えられない。


 結界の防御性能に頼り切り、十枚も重ねたのに魔人の一撃に粉砕された。


 そこから学んだ一点集中の結界。

 特に、暗殺拳のような一撃必殺の技にこそ効果的。


「せい──っ!」


 しかし、拳法の達人であればゼロ距離で打突を繰り出す事さえ容易。

 完全に密着した結界を、拳から放つ衝撃波で打ち破る。


 己が結界が敗北する寸前、アヤメは跳躍し離脱。

 暗殺を試みた老爺とアヤメは対面する形となった。


 燃え上がる炎の様に逆立った髪は、灰の様な白だ。

 腰を曲げ、顔の痩せこけた頬からも見て取れる痩躯は老爺の特徴と言えよう。

 だがその内から溢れ出るエネルギーはとても老人のそれとは同義では無い。


 一度鎮火しても尚残骸に宿る種火の様に息を潜め、攻撃の一瞬一瞬で燃え上がる。

 静かなる猛炎、そう表現するのにふさわしい老爺だった。


 老爺とアヤメの視線が交錯する。


 暗殺の初撃を受け切ったならば、後は真っ向からの打ち合いだ。

 剣と拳。

 間合いは違えど、どちらも極上。

 決着は長引くか、一瞬か。


 今その火蓋が切られ──


「爺や、久しぶりね」


「ほほほ、アヤメ様もご健康そうで何よりですぞ」


 なかった。

 アヤメは稀に見る満面の笑みで老爺へと近付いて、長く熱い抱擁を以て歓迎する。


「こんな老体抱き締めても仕方がないですぞ」


「いいえ、そんなことないわ。とても落ち着くの」


 最初はなんと言いくるめて引き離そうかと考えていた老爺であったが、ぎゅーっとアヤメの離さない意思に根負けした。


 暫く再開の抱擁を交わし、アヤメが満足して漸く解放された老爺。


「にしても、儂を師匠として選ばれるとは……この学園はそれ程頼り甲斐のない場所なのですかな?」


「別にそういうわけじゃないわ。単純に、貴方以上に頼れる人がいないのよ。私の師匠はいつまでもファロ爺だけって事ね」


「ほっほっほ。そう言って頂けるのは恐悦至極。ですが久しぶりの手合わせ……一合だけですぐアヤメ様の成長を感じ取れましたぞ。一ヶ月でこうも変わるのは、若さ故ですかなぁ」


 どこか哀愁漂うように呟く老爺。


「そんな事ないわよ。つい最近、今までの価値観をぶち壊すような敵に出会っただけ……。自分の世界の狭さを知ったわ」


 脳裏に浮かぶのは鹿の頭骨を持った魔人だ。

 アヤメの魔物との戦闘経験は、豊富とは言えないものの、母国で訓練と称して何体か退治した経験を持つ。

 苦手意識も、魔物への恐れもなかったアヤメだが、四段魔フォースを相対した時は別格だった。


 今までの価値観が吹き飛ばされる程の恐怖。

 今まで戦ってきた魔物が偽物ではないかと疑う程の強敵。

 あの魔人との戦いは身になるものも多かったが同時に──今までの努力を否定されたような気分にさせられたのだ。


「だから貴方を呼んだのよ。私の四段魔法フォース・マギナの特訓に付き合って貰う為にね」


「ほっ! 儂程度との手合わせでよろしいのですかな? 儂は確かに炎極拳の使い手ではありまするが、事魔法に至ってはそもそも持ち合わせてはおりませぬ。それならば、五段魔法フィフス・マギナを会得されているお父様をお呼びになれば……」


 老爺の言うことは最もだ。

 彼はあくまで拳法の達人であり、魔法には疎い。

 幼い頃から戦闘の鍛錬を付き合っていた老爺ではあったが、指南したのは剣術と身体の動かし方。


 魔法魔術の指導者ももちろんいたが、話によればもう教えることはないと指導者がサジを投げたとか。

 だからと言って拳法の達人たる老爺に教えを乞うのは些か無理がある話なのだ。


「別に魔法は使えなくても構わないのよ」


「……ほぉ。それはなぜ?」


「私の無二の心フィアンマは成長型の魔法。だけど私が三段サードから四段フォースに進化した時、大して能力の差がなかった。

 このことから言えるのは私がまだ無二の心フィアンマを使い熟せていない証拠。だから、私に必要なのは強者との鍛錬を重ねることで、魔法により深い理解を示すこと。それにはやっぱり貴方程の人じゃないと務まらないわ」


 同じ四段フォースでありながら生じた、魔人との力の差。

 それはあまりにも開き過ぎた差だと感じた。

 アヤメの四段と、魔人の四段ではその質が違ったのだ。

 そこからアヤメは自身の魔法が鍛錬不足と推測したのだ。


 そうでなければ、魔物と魔法と魔術にわざわざ同じ五つの段階や数値が存在している意味がない。


「ほっほ……アヤメ様にそこまで言っていただけて、儂も歳を取った甲斐がありますわい」


 老爺は嬉しそうに蓄えた顎髭を撫でる。

 しかし、アヤメは何処か寂しげに視線を下げて言った。


「それに……お父様は忙しいから。私には付き合ってくださらないわ」


「……そうやもしれませんな」


 老爺はその言葉を否定出来なかった。

 アヤメの境遇を知りながら、無闇に無責任に否定などしてしまえば、それはそのままアヤメの冒涜ぼうとくだ。

 幼い頃から見守ってきた一人の師匠として、要らぬ慰めはかけはしない。


「ほ。そういえば、フラム様はどうされましたかな? てっきり儂は一緒に鍛錬をされるものと考えておりましたが……」


「弟は分からないわ。最近はどこにいるのかも定かじゃないもの」


「珍しい……アヤメ様の後ろから絶対に離れなかったフラム様が……」


 二人で思い起こすフラムの姿。

 幼い頃から何も変わらない。

 姉を慕い続けた可愛い弟の姿。


 彼は今、果たしてどこで何をしているのだろうか。

 だが心配する程のことではない。

 思春期なのだ。

 姉離れの時が来たのかもしれないと、楽観的な判断を下して、


「ま、あの子のことは私の方で探ってみるわ。今は、それよりも」


 細剣レイピアを抜き放つ。

 見据える敵は世界でも五本指に入る拳法の使い手。

 幼少期の頃のようなお遊びとは訳が違う。


「全力で──お願いするわ」


 顔前に細剣レイピアを構え、覗く紅蓮の瞳。

 見たものを焼き焦がす情熱的なまでの炯眼が、老爺を射貫く。


「よもや、これほど……!」


 その威圧に思わず老爺は武者震いした。

 これほどの高揚感はいつぶりか。

 目の前に立つ少女は、幼い頃のあどけない弟子とは違う。

 我が身を焦がしてでも力を得んとする執念を持った獣──いや、龍。


 誰にも負けない為に。

 負けた姿を晒さない為に。

 ただ一人の人間に認められようと、力を追い続ける孤高の龍。


 老体を滾らせる炎は拳を包み込み、震脚を以てその礼とする。


「このファロ・イグニゲイト、アヤメ様の為に、一肌も二肌も脱ぎましょうぞ……!」


 燃える剛拳と灼熱の細剣レイピアが激突する。

 三次試験まで、後二十八日。

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