第35話 Power is the force
スヒルデュレイ先生と僕は、魔法陣を駆使して最短ルートで現場へと到着した。
第七十二訓練場は攻城戦、篭城戦両方を訓練出来るよう小さな城が建てられた空間だ。
教師の空間魔術で教室内が引き延ばされているとはいえ、小さな城丸々ひとつ入ってしまうスカイディアの設備には驚かされるばかりである。
しかし僕がこの教室で驚いたのは──全く別の事実だった。
木製の扉を開け、視界に飛び込む訓練用の城。
既に篭城戦訓練の後なのか、破壊跡が色濃い廃城。
爆弾でも爆発したかのように、城の所々が虫食いになり、地盤も砕き割れ、平地は見当たらない。
もちろん城門も破壊されてはいたが、一番の問題は──
「うっ……こ、これは」
鼻をつまんでも尚、鼻腔を蝕む鉄錆に似た異臭。
草原に建つ廃城を彩る鮮やかな赤の群集。
散らばる死体の残骸があまりに異質で、内から込み上げてくる物に抗い口を塞ぐ。
「大丈夫であるか。エイト君」
「な……なんとか」
魔人戦時はこれ程、生々しくはなかった。
残虐さで語るなら、魔人の食い散らかした後の方が幾倍も酷いだろうが。
その数が桁違いであった。
土に紛れる死体。
四肢が引きちぎれた死体。
城壁に埋め込まれた死体。
首を無くした、死体。
数えれば、きりがない。
ざっと見るだけでも数十の死体が無惨に打ち捨てられている。
しかし惨状に物怖じしている暇はない。
「問題は城の中ですよね……」
「生き残りがいれば良いが……そもそも教師は何処へ行ったのだ。この混乱に乗じて殺されたのか? でなければ他の教師の収集などせぬか……何にしても」
城内から地を揺らす爆撃音が轟く。
まだ戦闘は続いている。
「……急がねばならぬようだ」
--
「ウラァァァァァァァッッッ!!」
獅子の咆哮が大気を震わせる。
叫びを上げるのは二メートルを越す巨体だ。
かつて、エイトが対峙したデッドリームを思わせる身体つき。
硬く引き締まった筋骨は、猛牛を彷彿とさせ、鉄の鎧を皮の下に着込んでいるような無骨さを感じさせる。
黒革のマスクを被り、灰色の長髪が獅子の
それは見る者を魅了する、完成された肉体と呼ぶに相応しい
その巨体が大地を疾走する。
踏み込む脚は大地を割り、突き進む身体は風を巻き起こすショルダータックル。
狙いは剣を構える、顔前面に十字が描かれた布を貼り付けた逆徒だ。
足跡に草の根一本残さない破壊の砲弾に、逆徒は恐怖も抱かず剣を構える。
震えはない。
怯えもない。
あるのはただ、神への祈りのみ──
「────ぶ」
しかし祈りなど、この場において意味はなさない。
突き出した剣は肩を刺すも、半ばでひしゃげ折れる。
驚く間などありはしない。
衰えない突進は逆徒を飲み込み、そのまま城壁へと突っ込んだ。
巻き起こる土煙、大地を震わす爆音。
なるほど、あれだけの質量が手加減なしに突っ込めば爆撃に勝る力を発揮しよう。
エイト達が聞いた爆音の正体はこの巨体の突進であった。
「……チッ。汚ねぇもん押し付けやがって」
晴れる土煙から姿を現す巨体。
首を鳴らしながら、肩に刺さった剣先を引き抜く。
城壁に埋め込まれた死体には目もくれない。
巨体にとって、敵対する者の死様も正体も興味がないのだ。
一瞥する戦場。
敵は残り八体。
その全てが十字の布を貼り付けて正体を隠している。
魔術正教の過激派が身につける十字の布は、神への忠義と共に、全ての使徒は皆平等を意味する物だという。
同時に、敵対する悪から個体認識をされない為の対策でもあったが──巨体には関係ない。
害する者は皆等しく潰すのみ。
巨体は悠然と敵へと歩を進ませるが、
「
逆徒もまた、一筋縄ではいかせない。
すぐさま巨体を取り囲み、攻撃の姿勢へと移行する。
「
八人が等間隔に囲み込む陣形、
八人同時に詠唱を始め、彼らを支点に、白い光が包み込み空へと立ち昇っていく。
重なる言葉が彼らを神の助けへと導いていく。
巨体に逃げ場はない。
しかし人間砲弾の巨体であれば、人一人の壁など障子紙のようなものだ。
容易く突破出来る未来は見えている。
「……あ? なんだなんだ」
それを想定した
中心にいる対象は指一本動かす事は叶わない束縛の呪文。
魔術正教が世界で最も強大な宗教と呼ばれる所以がここにあった。
彼らが扱う
神への忠誠を誓い、永遠の魂の隷属を誓う事で扱える彼らだけの戦闘呪文。
これにより敵対する数多の宗教を根絶やしにしてきた。
歴史ある束縛の呪文を八人が同時に詠唱したならば、例え人間砲弾とて動く事など出来はしまい。
「
詠唱を放棄した一人は新たに
懐から取り出した五つの十字架を
新たに生まれた五角形の支点に光は収束して行き、白き光はその輝きを増す。
そして七人同時に、
終わりの言葉を口にし、
「「「「「「「
光が牙を剥いた。
「ウォォォォォォォォォォッッッッッ──────!!?」
天へ立ち昇るは浄化洗礼の光。
内にいる物全てを焼き殺し、平等なる死へと導く。
それはまるで中にいる者を神に捧げているかのようだった。
あくまで動きを封じたのは逃げられないようにする為。
逆徒の真の狙いは攻撃だ。
全身を焼き尽くそうとする浄化の光に巨体は雄叫びを上げる。
光で焼かれた皮膚一枚一枚は上空に剥がれ飛んでいく。
最終的には影すら残さず消失するだろう。
しかしどれだけ力を入れようとも、再び七人が紡いでいる束縛の呪文ある限り、動く事は叶わない。
それを理解して、
「貴方程の戦士が、我が同胞に加われば心強かったのですが」
それはまるで、見せ物の動物小屋の檻を眺めているようだった。
「信心無き者では仕方ありません。神の身元へ行き、その偉大さを学んでくると良いでしょう」
故に、
「────なっ!?」
光の中から抜き出る腕に、最後まで気付かなかった。
頭蓋を果実でも毟るように鷲掴みにされる。
「ァァァッいいじゃんか! 気持ち良いなぁオイッ!! これが神様からの思し召しってやつか! あぁ! 良い加減じゃんかよぉ!」
痛みに力が出ない。
仲間は束縛の呪文に精一杯だ。
一人でも欠ければ即座に巨体は動き出し──動き出し?
「ま……まさか」
八人でギリギリ押し留めていた呪文を、たった一人抜けただけで、束縛から逃れたとでも言うのか。
いや、完全に逃れたわけではない。
束縛から解放されているならば即座に光の柱から脱出する筈だ。
それをしないと言う事は、なんとか動ける程度の力が出せているのだろう。
──そのなんとか動かせる程度の力で、私は封じ込まれてると言うのか!?
視界は暗黒。
迫るのは死への恐怖。
光の中から遂に、黒革の面が口橋を吊り上げて登場した。
「俺だけ独り占めは勿体ねぇじゃんなぁ!? テメェにも、お裾分けダァッ!!」
「い、や……やめ」
痛みに、力に、抗えぬまま引き寄せられる。
神に捧げる生贄の光の柱。
その洗礼をまさか自ら受ける事になると、誰が予想したか。
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッ!!!?」
生命を分解する浄化の光に溶けていく。
痛みに苦しみに転がり、抵抗する事すら許されない。
焼かれ、剥がれ、溶かされ、消し去られるこの恐怖を、巨体は耐え切っていた。
その事実に驚愕する間も無く、光に溺れていく。
服も、肌も、肉も、骨も、感情も。
全て天へと召されていく。
ならば光の柱は役目を果たしたと言える。
ものの数秒で消失した贄と共に、光の柱は天に吸い込まれるように消えていった。
「ふぅーっ……やっとか」
解放された巨体は皮膚の所々が剥がれ、薄ピンク肉と鮮血を流している。
酷い傷だが、それだけだ。
神が作り出した奇跡の御業に耐え切った人間。
果たして何者か。
残り七人の逆徒は、恐れに呪文を止め、後ずさっていた。
だが神の信徒が敵前逃亡など許されない。
皆が皆、懐から十字架を取り出し、祈りを捧げれば堅牢な剣へと姿を変え──
「もう──ぶち切れちまったよ」
使う前に、一人潰れた。
たった一瞬、瞬きの間に数メートルの距離を巨体は詰めて、平手で押し潰した。
道端で馬車に潰された果物のように鮮血を撒き散らし、一人脱落。
残り六人が
城壁の端に身体を打ち付けた逆徒はそのまま上下の身体を分けて無残に死亡。
「く、化け物めぇっ!!」
一人が無策に突っ込んでいく。
無防備な背中へと剣を振り下ろす。
その死角からの攻撃を、振り向きざま、落ちていた城の破片を
強大な
下半身から噴水の如く鮮血が噴き出して、司令塔亡き下半身は走り続ける。
巨体を追い越したところで、無様に転けた下半身は痙攣の後、活動を停止する。
その惨たらしい結末を目にし、漸く逆徒は、
「う、うわぁぁぁっっ!?」
剣を捨て、一人が逃げる。
伝染する恐怖は信心を
自身の命惜しさに皆、背を向けて逃走する。
巨体の力があれば、追い掛けて殺す事も可能だが、手痛い仕打ちを受けたのだ。
ただ潰すだけでは──怒りが収まる筈もない。
右腕を顔横に。
全神経を右腕に集中して、叩き込む一撃に精神を注ぎ込む。
腕を大砲に見立て、打ち貫くは逃亡する逆徒。
次第に肥大化する右腕に光の線が走る。
無属性魔術の強化の証──準備が整い、撃鉄が今落ちる。
「
暴風が巻き起こる。
撃ち出されるのは、破壊を
一見すればただのパンチ。
しかし、肉体を極め、境地に至った者の拳であらば、例え鋼鉄でさえも貫こう。
解き放つ拳圧は空間を飛び、逃げる背中を根こそぎ撃ち抜いた。
止まることを知らない空気の弾丸は、勢いに任せ厚さ二メートルの城壁を粉砕する。
飛ぶ拳の
「っっしゃぁぁああらぁぁっ!! んんっ! 気持ちいいぜ!」
天に向かい咆哮する巨体。
ソレはある意味逆徒への手向けか。
神を信じた彼らが、神の元へと旅立てたならばソレはソレで幸せだろう。
巨体も久しぶりの全力解放に幸せで胸が一杯だ。
無邪気にガッツポーズを取るほどである。
そのまま気分に任せ、ポージングを取る巨体。
飛ぶ拳で吹き飛ばした城壁の穴から覗く、二人の気配に気付くのは、もう少し後の話。
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