第33話 芸術の教師 前編

 シュヘル先生の紹介通り、スヒルデュレイ先生の授業へとやってきた。


 教室に入れば、そこは真っ暗闇。

 教室の構造は他と変わらないが、二百、三百収納可能な大教室と比べると、五十人程度の小教室だ。

 個別に机が十個一纏めが五列。


 大教室は黒板に収束する様に扇型に作られ、各生徒が被らないよう机は階段式になっている。

 大勢が授業を受ける為の工夫というわけだが、この小教室は普通の長方形型の平面だ。


 きっと、というか間違いなく、受講者が少ないからこの小教室をあてがわれたのだろうが、授業時間だというのに電気一つすらつけていないのは不気味でしょうがない。


「あの〜、すいませーん?」


 恐る恐る、足を忍ばせる。

 別段、悪い事をしているわけではないが、雰囲気的に怖いのだ。


 無人の教室。

 窓が無いならば、光源はどこにも存在しない。手を伸ばした一寸先まで全て闇。

 足音を立てるのも危険な気がして、ゆっくりと机で位置確認しながら、黒板へ向かう。


 眼前まで来て、漸く気付いた。

 黒板の前に巨大な紙が貼られている。

 床まで垂れる程の巨大な洋半紙。

 芸術の授業だから何かしら描かれているのかと思いつつ、近寄るも生憎と純白。

 今日の授業で使う、のだろうか……?



「学園が始動すること一ヶ月と半分。今、此処に、漸くぶりの来訪者なりっ!」



 突然響く野太い男の声。

 声の主はどこだと辺りを見回すが、暗闇は視界を遮ったままだ。


「な、なんだっ!?」


 しかし、教室に四隅に設置された光を放つ魔水晶が、中央で膝をつく男を照らし出す。

 教師の証たる白いコート。

 それをバサリとひるがえし、男は叫ぶ。


「ようこそ! 我が芸術のそのへ! 君は映えある一人目の受講者である!!」


 同時、教室の照明が一斉につく。

 暗闇から解き放たれた僕の瞳に突き刺す光は刺激が強過ぎる。

 目蓋を閉じ、白い爆発を起こしたように眩んだ瞳が、光に慣れた頃──その驚愕な風景に絶句した。


 教室中を埋め尽くすよくわからないもの達。

 手足が生えた屏風びょうぶ、二足で立ち口から蛇を出すカエル、空飛ぶ毛玉目玉、天井を走る機関車、マトリョーシカ達磨だるまに、踊る人体模型像……と挙げればきりがない。

 それに加え手足が生え、自身で演奏する楽器達。


 来訪者を歓迎する盛大な演奏と共にクラッカーが鳴り、ひらひらと大量の紙テープが僕の頭に舞い落ちる。


「いぇーい!! ようこそ! 旦那の芸術楽園へ!」

「アホでバカでぼんくら、楽観的で高圧的で独善的だけど知性ある教授の授業へようこそ」

「きょーじゅ、えらい。きょーじゅ、すごい。おまえ、りかいあるすごい」


 次々と喋りかけてくるよくわからないもの。

 カエルに、人体模型像に、達磨だるまにと、皆が皆ジリジリと迫り、四方八方から言葉が飛んでくる。

 得体の知れないものが近寄る恐怖。

 僕は言葉も発せず、壁へと追いやられていた。

 しかし、


「待ちたまえ諸君! 折角の歓迎会を恐怖の宴にしてどうするのだ!」


 怒涛の展開に思考が働かず、唖然とする僕に助け舟を出したのは他でもない。

 教師の男だった。


「……何度この過ちを繰り返す。また逃げられたらどうするのだ」


「さーせん」「ゆるせ」「しゃざい」


 ボソッとした耳打ちは聞き捨てならないというか。

 教室に入って早々、化け物に歓迎を受けたら皆逃げるのも仕方ないと思う。

 そもそも芸術という授業の内容だから、来る人間も少ないだろう。

 生徒が貴重過ぎて、歓迎の方法を間違えているのはいつ気づくのか。

 そもそも、もう候補生もある程度授業は決まっているはずなので来ない気もする。


「ごほん! では改めて。ようこそ! 我がスヒルデュレイ・アップルゴルドバルグの芸術の園へ! この度は我が授業を選んで頂き、感謝の意を表明する次第……」


 男は優雅に礼をした。

 オールバックの黒髪が特徴的。

 被る仮面は道化師の如く目元だけ笑って口元は露出しているタイプ。

 芸術家というより、サーカスとかにいそうな印象を持つ。


 表情は仮面で隠れているが、僕への対応を見るに非常に喜んでいる事は分かる。

 だから、


「あの……すごく言いにくいんですが」


 喜びの感情を壊すと思うと、非常に胸が苦しかった。


「むむ? 何であろう。我輩、こう見えても寛容さが売りであるから、多少の要望は受け入れる所存」


 胸を張って答えるスヒルデュレイ先生。


「実は、シュヘル先生の推薦でスヒルデュレイ先生を頼ると良いと言われて来ただけで、受講したいと言うわけじゃあないんですよね……あはは、……ってあれ?」


 寛容さが売りなのであれば、きっと僕の告白も大丈夫と真実を告げた。

 しかし、スヒルデュレイ先生は仮面越しでも分かる絶望の表情。

 顎が外れているのではと心配する程、口を開き、


「ば、ば、ば、ばきゃなっ……!?」


 真後ろにぶっ倒れた。


「す、スヒルデュレイ先生!?」


「旦那が倒れた!」

「教授が死んだ」

「おなくなり」


 泡を吹き、痙攣を始めたスヒルデュレイ先生に皆駆け寄った。


 その後、よく分からない者達との看病により、スヒルデュレイ先生は復活を果たした。

 こういう事態が多発しているのか、カエル達はすぐに医療器具を用意し、処置に当たっていた。


 感情表現が豊かな人だから、何かあるごとにぶっ倒れているのかも知れない。


「いやはや……申し訳ない。こう見えても我輩、喜怒哀楽が激しい物で、こうしてひっくり返る事かれこれ二十三回目。何度も頭を打ち付けたおかげか打撃に対する耐性を得た気分である。主に頭部! ナーハッハッハッ!」


「笑い事じゃないんですが……」


「兎にも角にも先程、我輩への推薦状と耳にしたが?」


 シュヘル先生が書いてくれた推薦状を渡す。

 適当に封筒を破り捨て、中身を熟読玩味するスヒルデュレイは三回目の読み返しで、


「なるほど。だから我輩を頼ったわけか、シュヘル殿は」


 納得したように頷いた。


「どういうことですか?」


「いやな。シュヘル殿は創作を生業とする関係上、興味を持った御仁の一人でな。我輩からは何度も連絡を取っていたのだが、如何様なアタックにも音沙汰なし。興味関心の尾すら見せてはくれなんだ。

 故にシュヘル殿が直々連絡を取ってきた事に疑問を抱いていたのだが……文面を見て納得した」


 シュヘル先生はかの有名な呪いの魔術道具。

 六黑獄魔具ろっこくごくまぐを作成した魔術道具士だ。

 芸術の分野といえど、有名な人物らしい。

 そんな人物から直接連絡が来たのがよほど嬉しいのだろう。

 スヒルデュレイ先生は頬を緩ませ、喜色に満ちた声音をあげる。


「旦那はシュヘル先生に惚れてるんでさ」


「わっ! しゃ、喋るカエル……」


 いつの間にか横にいたカエルが悪い顔をして耳打ちする。

 しかも耳打ちをする為に、舌がわりの蛇を口から出して耳元で話すから気色悪い。


「教授は度し難い阿呆でありますが、こう見えても気さくな人。そして愛に生きる男。よろしくしてやってね」


「もう、おまえ、かえさない。ここで、じゅぎょー、うけてけ。そして、きょーじゅの、きゅーぴっどに、なれ」


 続き人体模型像も関節をあらぬ方向に曲げながら近寄り、達磨だるまも中から小さな達磨だるまを次々出して、会話を繋げていく。

 初対面よりかは怖くないけれど、それでも迫る圧は変わらない。


「こ、こら! 密かな恋心を赤裸々にバラすでない! 我輩の繊細な心は硝子ガラスより脆く、蒟蒻こんにゃくより軟いのだ!」


 顔を真っ赤にして慌てるスヒルデュレイ先生の姿は、なんだか同年代の恋の悩みを聞いているような親近感を覚えた。


「ごほんごほん! ま、つまりだな。先程我輩が言いたかった事は一つである。エイト候補生、君の懊悩の日々、我輩であれば解消せしめるのも可能という話だ」


「え、えっーと……どうゆう事でしょうか? それに……ここにいる変な生き物達は……?」


 言ってる間にも足の生えた人参が僕の膝下でタップダンスを踊り始めた。

 この奇妙な生命体の正体を開示してくれないことには会話に集中出来そうにもないのだが。


「あー、問題ないである。色々あって順序がおかしな事になったが、君の問題とここにいる皆は直結しているのだ」


「……え?」


 スヒルデュレイ先生は立ち上がり、ポーズを決める。

 右手は顔を隠し、左手は身体を抱くような姿勢。

 教室の電気が消え、またしても四隅の魔水晶が先生を照らし出す。


「何を隠そう、我輩の魔法は“描いた物を実体化する”魔法、その名も“挑戦する創作魂リアル・アントアゴニスト”!」


 描いた物を実体化する魔法。

 それはつまり、僕と対極に位置する魔法ということ──


「ここにいるカエルも、人体模型像も、達磨だるまも全て、我輩が魔法で作り出した我が従僕にして創作! さぁ、少年よ! 我輩の胸に飛び込むが良い! 君の悩みを解決し、創作に火をつけるのは他でもない」


 世界に光が戻る。

 取り囲むように圧をかけていたよく分からない物──もとい、先生の魔法で実体化した従僕達は皆膝をつき、スヒルデュレイ先生を讃えている。

 まるで、城下町を歩く王のように。


 唖然とする僕に手を差し伸べる。

 それはまるで姫を救う騎士のように。


「──この我輩だ」

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