第32話 ひたすらに謝罪

 ツツリの看病も甲斐あって、僕は一日で全快した。

 身体を襲っていた熱も消え、失われた平衡感覚も戻り、思考能力も回復した。


 授業一つでもランキングポイントに関わってくるこの学園。

 最下位である僕が授業をサボるわけにはいかない。

 いつ退学のルールに“一週間の中でランキングポイント最下位”が設けられてもおかしくないし、何よりこれから戦うべき魔物や魔法の事を多く勉強出来る機会を失いたくない。


 そう意気込み、僕は登校したのだが。


 お昼時間。

 僕は今、天井から逆さまに吊るされていた。


「それで? 何か言い訳はあるかい?」


 心の芯まで凍る淡々とした口調が、刃物で背を撫でるような恐怖を齎す。


「いいや、わかるよ? お前さんからはメールは送信出来ず、寝込んでいたとあっちゃあメールの返信ができないのも納得だ。しかしだね、それはあくまで君の私情であり、私が迷惑を被るのは一切関係ない」


 憤怒の口調が徐々に強まる。

 同時──僕の身体の締め付けも強まっていった。


「お前さんがすやすやと睡眠を取っている間、私は師匠として奔走した。貴重な時間を割いて、君に費やしたのだ。私が他人に協力するのはかなり珍しい話だという事、しっかり理解しているのかい?」


「……はい、本当に申し訳ないぃぃっ!! っ、と、思っていますぅぅぅっ!!」


 ギチギチと身体を締める力に音を上げそうになるが、文句は絶対に言わないと心に決めた。

 僕は何の反論なく、一人観念する。


 事の発端は、今日の朝。

 三件のメールを確認した時から始まった。

 一つはティアからの僕が寝ている間にお見舞いを置いてくれたという、優しさが伝わる物だが、もう二つは殺伐とした内容だった。


『なぜ今日は特訓にこないんだ? 何かしら連絡をよこすか、直々に理由を述べるものだろう? とりあえず訓練は特別メニューを追加は決定。このメールを確認したならば一報入れるように』


『おや。夜中の二十一時で返信がないのだが? これは私はどう受け取るべきなのだろうか。まさか初日の訓練が嫌で投げ出したのかい? であれば私の見込み違いだったと仮定し、明日からは私の人体実験に付き合ってもらうこととするよ。では、良い朝を』


 メールを見た瞬間、生きた心地がしなかった。

 文面から漏れる殺気に、一気に血の気が引いていった。


 全面的に悪いのはこの僕。

 メールで謝罪の返信を即効返した後、朝六時という時間だったが急いで支度した。


 しかし、夜行性のシュヘル先生は昼の十二時までは布団の中。学校にいるはずもない。

 悶々と集中力散漫の状態で、午前の授業を受けた後、僕は部屋へと直行、即謝罪の意を証明した。


 意外にもシュヘル先生は笑顔で僕を迎えてくれたが、それは悪魔の笑み。

 訓練場へと連行された後、謎の黒い粘液に捕われ、まるで蝙蝠のように天井からぶら下がる結末を迎えた。

 と、そういう経緯である。


「ふん。折角お前さんが知りたいと言っていた、魔法運用の鍵を握る者を探して来たというのに……仕事のやり甲斐がないよ、全く」


「え! それは本当ですか!!」


「ああ……、だからお前さんに早く教えてやろうと早めに部屋で待機していたのに、来ないもんだから、いつもより機嫌が悪いぞ。私は」


 シュヘル先生は確かに、いつもより多くパイプ煙草を吸って吐いてを繰り返している。

 それはストレスが溜まっている証拠だ。

 彼女に僕は対価を用意する事は出来ない。

 だから僕はただ、先生が望む物を献上するのみだ。

 だがまず、言わなければならない事があるのを忘れてはいけない。


「ありがとうございます! 本当に……本当にありがとうございます!」


 お礼だ。


 この状況で礼を言うのは場違いかも知れないが、それでも僕は感謝したい。

 実は言うとこんなに早く動いてくれるとは思っていなかったのだ。


 彼女は見た目通り、部屋通りの面倒くさがりやだ。

 そんな彼女が、研究対象の僕とはいえ、積極的に動いてくれないのではないか。

 そう思っていた。


 しかしそれは間違いだ。

 彼女は知りたい事には全力を尽くす知識欲優先の研究者だ。

 部屋が散らかっているのは──全て既に完成品だから。

 僕に助力してくれるのは──僕の魔法の完成体が見たいから。


 僕はまだシュヘルという人間を、真に理解していなかった。

 まだ数日しか顔合わせをしていないのもそうだが、彼女は自身の知識欲が原動力とはいえ、僕の為には手を尽くすのを惜しまない人なのだ。


 それを考慮に入れず、メールの一つも確認しなかった僕の責任。

 それを理解していれば、ツツリとのやり取りをする前に枕元に生徒手帳を持って来ていた。


 シュヘル先生は、想像以上に先生らしい。


「ハァ……なんだよ。そんな顔されたら、怒る気も無くなるってもんだよ。ったく」


「え…………ウワッ!?」


 諦めたような溜息を零すと、黒い粘液の拘束は溶けて解放される。

 突然のことで背中から落ちるが大事無い。


 痛みに背中をさすっていると、階段の方から人の気配がやって来て、


「あれ、なんだかドロドロですね……。まだ訓練終わってませんか??」


 ティアが可愛らしい顔をひょこりと出した。

 その背後から続くのはツツリ。

 どうやら僕がいないところでも仲良くしているようだ。

 ティアの友達はあまり見かけないから、自分のことのように嬉しい。


 だがなぜ……ツツリはリスみたいにぷっくりと、頬を膨らませているのだろうか?

 常時大騒ぎのツツリも、ティアの背後で大人しく口をもぐもぐさせている。


「あぁ……いや、昼は短いからな。訓練はしないようにしてるんだ」


「それはよかったです! エイトくんが元気になったと聞いたので、お弁当を作って来たんです!」


「え! お弁当!?」


 ティアが手に持つ小袋の布を解いていけば、姿を見せるのはお弁当箱。

 しっかり四人用を意識したのか重箱になっている。


「凄い嬉しいよ! 僕、女の子の手作りお弁当は初めてなんだ!」


 残念ながら記憶に浮かぶのはツツリのおにぎりくらいだ。

 ツツリはぷっくりさせた口のまま、ふがふが異議を申し立てている。

 残念ながらおにぎりは誰でも作れるんだ。

 もう少し手が凝った物を食べたいと思うのは男のさがか。

 ティアの手作りという言葉はあまりにも魅力的だった。


「えへへ、それはよかったです。今回は色々と用意して来て……あれ?」


 ティアが意気揚々と箱を開けると中身は空っぽ。

 二段、三段と開けても結果は同じ。

 あるのは無残に食い散らかされた食べカスのみ。


 皆が首を傾げる中、僕は唯一心当たりに視線を送った。

 頬をぷっくりと溜めたまま、平然を装うツツリの元へ。


「お前だろ。犯人」


「ひはふよ」


「やっぱお前じゃんか! ティアの手作り弁当をよくもぉぉぉぉっっ!!」


「ふゃ、ふゃぁーー!」


 僕らしくないといえば僕らしくないが。

 怒り心頭、例え神が許しても僕は許さない。

 食べ物の恨みは怖いというがまさしくその通りだった。


「ふゃ! ふゃっ、ふゃっ、ふゃっ! ひゃ、ふゃめへー!!」


 逃げるツツリを追い回し捕獲。

 幼少期から定番だったくすぐりのお仕置きを見舞わせて成敗完了。

 危うくお弁当が全て殲光牙ザフラの如く吐き出される寸前だったが、なんとかツツリは飲み込んだ。


「ごめんね、ティア。うちの姉弟子が……迷惑かけて」


「あはは……また今度作りますよ」


「……? ティア?」


 どこか悲しそうな表情をして、僕とツツリのやりとりを見ていた気がする。

 確かにお弁当は全てツツリの胃の中へと収納されてしまったが、相当にショックだったのか。


 僕の心配が伝わったのか、ティアは無理矢理話題を変えた。


「そ、そういえば、どうやってぼくのお弁当取って食べたんですか! 確か、ずっと手に持ってた気がするんですけど……」


「なははー。それはね、私の魔法が関係してるわけですよ」


 くすぐりの刑から復活したツツリはにこやかに自慢する。

 確かに、ツツリの魔法が有ればそれは可能だ。

 彼女の魔法、“我、此処に在らずメンテ・イミテイト”ならば。


「もう! 原則訓練場外での魔法は禁止なのに……。でも、ツツリさんの……魔法ですか」


「イシシ! まぁ、それは今度のお楽しみね!」


 結局、僕のお弁当は無くなってしまったわけで。

 僕とティアとツツリの三人は残り時間を使って食堂で食べようという話になった。

 シュヘル先生も誘ったが彼女は食が細いらしい、断られてしまった。


「あぁ、エイト少年。コレを持っていけ」


「はい? ……これは、推薦状?」


 投げ渡された紙には推薦状と記載されており、宛先はスヒルデュレイ・アップルゴルドバルグ。

 聞いた事のない名前だが。


「ソイツがお前さんの魔法の鍵になるやもしれん男だ。芸術を担当していてね。少し風変わりな男だが、私の紹介ならば無碍にはせんだろうさ」


「スヒルデュレイ……」


 芸術の教師。

 確かにこの人であれば、僕の魔法の悩みの糸口を探し出せるかもしれない。


「運の良いことに今日の午後はそいつの授業がある。行ってみると良い。きっと驚くよ」


「え、なんでですか?」


 単純な疑問。

 驚く、という点が人柄に対してなのか、それとも授業風景や受講内容が一風変わっているのか。

 そういう意図の質問だったのだが、それらを裏切る回答を持って、シュヘルは笑って言う。


「そいつの授業、学園唯一の受講者ゼロ人なんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る