第31話 幼馴染は口を噤む

 ティーー、ティーー。


 早朝。

 まだ授業すら始まっていない時間帯に、やかましい音が響く。

 視界を青く染める光が妙に眩しく感じられた。


「んっ……」


 しかし抵抗は弱々しく、僕はただ顔を横に逸らすだけだ。

 思考が上手くまとまらない。

 手足が痺れている。

 眠りを妨げる光や音よりも、身体が出す異常な緊急信号こそ、最も厄介な弊害と言えた。


「38°C……風邪、だね」


「体調おかしいなぁと……思ってたんだよ。やっぱり、風邪か」


 口から出る声も、どこかしゃがれている。

 安息の場である自分のベッドも今では汗だくの濡れた布だ。

 肌に張り付く、湿った感触は気持ち悪いの一言に尽きるが、身体が動かせない以上、暫くは汗だくベッドで過ごすしかない。


「にしても、迅速な判断よねー。風邪だと判断して、しかも私をチョイスしてるんだから」


 アヤメとの約束の後、すぐ自室に戻った僕の体調は驚く程おかしかった。

 頭はグルグル回るし、顔は火照って動くのがだるい。


 ここまで来ればさすがに体調が優れているはずもなく。

 緊急的措置として、ツツリを自室に呼んだのだ。


 ティアやアヤメを呼べる勇気はない。

 幼馴染で、何度も恥ずかしい場面を共にしているツツリならば問題なしと選んだ。

 一番の懸念は猪突猛進、ガサツで大雑把なツツリが有効な薬や医療器具を医務室から持ってきてくれるか? と言う点だったがその点は問題なく実行してくれた。


「熱測水晶……便利ねーこれ。光当てるだけで熱測れちゃうんだから」


「村にはそんなものなかったから……。技術の進歩には驚かされるばかりだ」


 ツツリが手に持つ熱測水晶は筒形で先端から青い光を発する魔術道具だ。

 炎魔術と光魔術の応用で光を当てた部位の温度を測る道具。

 元々は隠れ潜む魔物を探知する為の道具だったらしいが、改良して人の体温を測れる道具にしたらしい。


 そういえばアヤメが似たような熱源探知、という魔術を使っていたが、それの道具版ということだ。

 小型化した事で、光と音が強めに発生してしまう点は今後の課題となってくるだろう。

 病人の前で使用するにはいささか、騒々しい。


「ありがとう。風邪、移したくないし、昨日からずっと看病してくれてるだろ? あとは一人でやるよ」


 風邪薬も体力回復薬ライフ・ポーションも持ってきてくれた。

 もうこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

 とはいえ、この症状が出る前から身体に何かが潜伏していたと考えると、


「アヤメさんにも移してないと良いけど……」


「多分大丈夫じゃない? あの人、炎魔術で体内の菌とか焼き殺しそうだしっ」


「それは……言えてる」


 想像する意思も関係なく、勝手に場面が浮かんで来た。

 冷たい目で角の生えた黒いバイ菌を焼き殺すアヤメ。

 想像が少し子供っぽすぎるのは熱の所為だろう。


「私も大丈夫! 姉弟子が今まで一回しか熱出してないの知ってるでしょ〜? だからこういう時は甘える甘える!」


「……う、冷たっ」


 力瘤を見せたツツリは笑顔でアピールしてくる。

 筋力を見せつけるようにタオルを絞った後、ぺたりと置かれたタオルが額を冷やす。


 ツツリは僕のベッド横でタオルをいつでも交換できるよう、椅子に座り見守ってくれていた。

 僕が退屈にならないように、話しかければしっかり答えてくれる。

 いつもの横暴さ加減とは打って変わって、優しい幼馴染だった。


「こういうのも久しぶりだしね……看病とか、訓練とか……一年も経つと凄い懐かしく感じちゃうなー」


 そう言って、ツツリは懐かしむように頭を撫で始めた。

 髪の間に指を通し、ゆっくりととかす。

 本当の弟を見るような優しい目付きで、愛おしむように撫でるものだから、こっぱずかしくなって目を逸らす。


「こ、子供じゃないぞ……」


 ただでさえ顔が熱いのに、これ以上熱くしてどうすると言うのだ。


 僕の態度を見て、姉弟子の悪戯心が満たされたのかニヤニヤしながら、


「全く初心うぶだにゃー。ま、今回はこれで許したげるけど、もう少し居るよ。私午前休だし、タオルの取り替えとか人がいた方が色々便利でしょう」


 最もな理由を並べ立て、ツツリは身体を伸ばす。

 当たり前だ。

 ずっと椅子に座って看病してくれているのだ。

 身体も硬くなると言うものである。


「にしても、片付け甲斐のない部屋ねぇー。私の部屋なんかもう少し服が散らばってるけど」


「それは単純にツツリがだらしないだけだろ……」


 異性の部屋を物色するのは恒例か。

 それとも単にツツリだからか。

 興味津々、まるで猫のような悪い顔でベッドの下や机の引き出しなどを漁り始めたツツリ。

 抵抗出来ない身体が恨めしい。

 今すぐその無防備な頭を殴りつけてやりた──


「あーー! 懐かしいこれ!」


 何の面白味のない部屋の中で、ツツリが唯一過剰に反応を示した物。

 それは机の上に置いてある木彫りの人形だった。


「なっつかしぃー! これ持ってきてたんだ! ブッサイクな妖精の人形!」


 ツツリの父、師範代が僕にくれた人形だ。

 死んだ父が魔除の魔術をかけて僕に送った、いわゆる形見。

 僕が遊ぶ時にいつも絵にして持ち歩いていたから、幼馴染のツツリはもちろん知っているが──


「ツツリ……一つ、聞きたいことがあるんだ」


「何、突然……って! ちょっとちょっと! まだ万全じゃないのに寝てなさいよ!」


 唐突に思い付いたのは熱のおかげか、身体を起こして向かい合う。

 ツツリの制止を気にせず、僕は“不滅の本グリモワール・シュヘル”を開いてあるページを見せた。


「ツツリはこれについて……何か知ってるんじゃないのか?」


「こ、コレって……」


 見せたのは黒い闇が渦巻くページだ。

 今僕が魔法で封印している“闇”。

 コレは何年も前から封印されているのは分かるが、一体いつから封印していたのかは覚えていない。

 その鍵を、ツツリは握っている気がした。


「エイト……これ、解放したの?」


「した。それに、そういう聞き方をするって事は、知ってるんだね? ツツリはコイツの正体を」


「んー、白状しちゃうと知ってるんだけどね。今はまだ言えないな」


「……な」


 驚くほど簡単にツツリは告白した。

 今回の魔人戦における謎への答えの正体を、知っていると明言した。


 体調など関係ない。

 身体は思わず、動いていた。


「ちょ……ちょっとまだ寝てないと」


「い、いいや……ダメだ、教えてくれ。僕は、この話を知らなきゃいけない。“闇”の状態を暴かなきゃいけないんだ」


 ふらつく身体で、ツツリの肩を掴んで揺さぶった。


 ──アイツの正体が知りたい。

 アイツの強さの正体。

 アイツがなぜ僕と同じ姿をし、僕と同じ存在だと感じられるのか。

 アイツはなぜ十年前に封印されなければならなかったのか。

 そして、なぜ“闇”の事を忘れているのか。


 その全てが知りたい。

 知らなければならない。

 解放してはいけないという気持ち。

 それだけあっても中身を知らなければ、意味はない。


 僕が勇者を目指すにあたってこの事実は、確実に抑えておかなければならない内容だ。

 でなければ、

 僕はこれから安心して暮らせない。

 人を助ける事を誇れない。


『お前は既に大罪人だよ』


 アイツの言葉が脳に響く。

 アイツは全てを知っていて、僕の前に立っている。

 魔人戦以来、変な夢を見ることが多くなった。

 もし現状が続くようならば──僕の心が保つ自信がない。


 だが、そもそもアイツの目的は何だろうか。

 魔人戦の時は僕と身体を交換してアイツが戦った。

 そして、勝った後はその所有権を僕に戻した。

 いや、単純に僕が奪い取ったのかもしれないが、夢の内容を踏まえても目的がわからない。

 闇の正体を知れば、自ずとその答えも分かるはず、と。


「寝なさいって言ってんの!!」


「ぎゃふっ!?」


 どれくらいの時間だったか。

 掴みかかった僕の手を一瞬で外し、そのままベッドへと背負い投げる。

 その一撃の振動が頭を揺らし、もう僕は立てない事を悟った。


「エイトが気になる気持ちも分かるけどね。それは私の口からは教えちゃいけないことになってるのよ」


 私の口から教えてはいけない……?

 それはいったいどういうことか。


「アレは私の罪……。だけどエイトはそれを勘違いして背負ってる。アレをエイトが封印するときに言ったんだ。絶対に、私の口から伝えないでって」


 震える身体を抱くようにして、ツツリは悲哀の表情を浮かべている。

 その決断はきっと、彼女にとっても辛い物だからだ。


「それに大丈夫だよ。きっと時が来たら、絵の封印は解除されるからさ」


 その彼女の様子を見て漸く僕は観念した。

 ツツリの励ましを見て、抵抗する気が消失した。

 風邪をひいた身でこれ以上暴れれば悪化するだけだ。

 他でもない関係者のツツリが大丈夫と言ってくれるのだ。

 これ以上の安心感が他にはあるか。


「随分楽観的な言葉だな……、根拠はどこに」


 それでも悪態の一つは吐きたくなった。

 思わず口から出た言葉に、ツツリは真面目にうーん、と頭を捻らせて出した結論は、


「女の感? ──だぜ!」


 如何にも曖昧な物だった。


 グッと突き出される親指。

 ツツリは相変わらずツツリらしい。

 そんな安心感に包まれて、また僕は意識を落としていった。


 最近は悪い夢ばかり見る僕だけれど、なぜかその時は暗い意識に落ちる事に恐怖はなかった。

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