間章 ティアの憂鬱
エイトが放課後、シュヘルとの初訓練に勤しむ中、ティアは一人事実で自責の念に駆られていた。
城の自室に比べれば、バルコニーはないし窓も無いので、景色を眺めて気分転換、などは出来ないがそれでもティアは気に入っていた。
内装は性格が現れた、女の子らしい部屋だった。
壁に飾られる帽子の数々の配置には気を遣い、今まで一度も被った事がない帽子もインテリアとして配置してある。
机の上には熊の人形が一匹座り、その隣には口を開けた魚の様相をした筆箱に、ペンや定規などに見られる数々の動物グッズ達。
寝具は全てリボン付きであり、部屋にはゴミ一つ落ちていない。
「はぁ……」
ベッドの上に座り込み、かれこれ三十分が経過し、通算十回目の溜息を吐く。
既にティアの部屋内では彼女の陰鬱な空気が蔓延していた。
「お嬢。あんまり溜息ばっか吐いてっと、幸せがどんどん逃げていくぜ」
蒼炎が渦巻いて、眼帯をつけた青い狼が姿を現す。
野太い声は印象的で、人間に例えたら数多の戦場を生き抜いて来た歴戦の戦士、のような風格を持っていた。
「そうね。さっきから何度も何度も……よく飽きないものだわ」
続いて出現する紅炎から、赤い狼も姿を見せた。
鋭く切れるような目付きをした、静かな佇まい。
よく透き通るような声はお姉さんを彷彿とさせる。
ティアを主人とし、召喚魔法にて呼び出す召喚獣である。
主人の
その力は
現在、
「ったく、テメェはわざわざ出てこなくていいんだよ。俺がお嬢と話をしてんだ。さっさと帰りな」
「あーら。貴方のような野蛮犬がティア様の御心を癒すなんて土台無理な話でしょう? 寝言は寝て言えという言葉を知らなくて?」
険悪。
いや、犬悪とでも言うべきか。
主人が召喚せずとも、彼らの意思で顕現は可能だ。
その場合、力は弱くなる為、基本本人達は主人の召喚を待つ。
魔人戦では出番がなかったものの、ティアの攻撃の起点は彼らが作る。
約十年連れ添ってきた愛犬は、これから死ぬまでお世話になる大切な
例え
なぜかその、
「ったく……これだからテメェは。お嬢が苦しんでいる時こそ、俺の出番だろうが。お嬢の気持ちを真に理解出来るのは俺だけだ」
「ふっ。貴方のような撫でられるだけで誰にでも媚をうる浮気犬が、ティア様の心を真に癒せるとは思えませんわね」
「なっ……だ、誰が浮気犬じゃい!」
青い毛並みを真っ赤に燃やして、照れ隠しに吠える。
滑稽な抗いは彼女の嗜虐心を煽るだけだ。
「あーららららら! 図星突かれて負け犬の遠吠えかしら、はしたない!」
「ぐぅっ!! き、貴様ぁっ! 言わせておけば!」
ガウガウバウバウ。
ガウガウバウバウ。
恒例の取っ組み合いは日常だ。
お互いの爪牙は命をとらんと、喉に狙いをつける。
二人の喧嘩はそう簡単に止まるものでは無い。
ある時はボートの上で喧嘩を始め、海に落ちても尚喧嘩が続いていた時もあったのだ。
生半可な横槍では、寧ろ入れた方が怪我をすると言うもの。
だが、図らずも、
「はぁ…………」
彼女の大きな溜息が、彼らの喧嘩を止めるに至った。
「「………………」」
静寂が部屋を包む。
狼達はきょとんと見合う。
心優しいティアだ。
本来ならば、どんなに危ない喧嘩が勃発してもティアが止めに入ってくれる。
だからこそ、彼らは本気の喧嘩が出来ているのかもしれないが。
今の茫然としたティアの虚な瞳には何も映ってはいない。
いつも笑顔で周りを楽しませようと努力する、その輝きは失われている。
そんな主人を見るのは──一体何年ぶりだろうか。
「さすがに今は」
「こんなことしてる場合じゃないみたいね」
互いに蛇蝎の如く嫌う二匹だが、二匹ともティアの事だけは一番に考えている。
二匹はベッドに飛び乗り、主人に静かに寄り添った。
「なぁ、お嬢。悩み事があるなら話してくれよ。何も言ってくれなきゃ、さすがに俺らでもわからねぇよ……」
「
その二匹の心配する言葉が漸く届いたのか、感情の色を消していた瞳に光が宿る。
「ゲリ……? フレキ……? いたんですね」
呟くように囁かれる言葉にはやはり生気が感じられない。
まるで死者と話しているかのよう。
しかし、そんな状態でもティアは優しく
「ありがとうございます。お二人の心配は、とてもありがたいです……」
ティアの絶妙な指捌きに二匹は恍惚な表情を浮かべる。
長年連れ添った彼らのツボなど、体調が優れなくとも的確につく。
ティアの主人としての適性は充分だ。
だからこそ、滅多に見ない彼女の沈む姿を二匹は見ていられなかった。
いつもなら余計な事を考えず撫でられ続ける二匹だが、今だけは集中散漫。
撫で心地の良さに、浸っていられなかった。
その二匹の相棒の姿を見て、ティアは漸く心情の吐露を始める。
「最近色々ありまして……。幼馴染って言う強敵も出てきました。アヤメさんも少しエイトくんに好意を持っている節を感じます。別にぼくは構いませんが、最近は一緒にいる時間が減っているんです」
「なんだよ。恋煩いか」
「違います! そういうのじゃあ、ないんですけど……師匠との訓練も始まりました。ぼくとの時間が減る中で、初めてぼくは……かれに醜い姿を、見せてしまいました……」
両足を抱え込み、思い出すのは授業風景だ。
レイ・ナイトメアダークサイド。
彼の唐突な登場はティアに心の準備を与えず、印象を崩すような発言と態度を取ってしまった。
それがエイトに何かしら悪い感情を齎していないか、それが気になって気になって、眠る事すら出来ないのだ。
「もし……嫌われたりなんかしたら、ぼくは」
声音が一層暗くなる。
二匹は瞬時に主人の心の変化を察知した。
「お嬢! つまりは、あの兄ちゃんだろ? 茶髪のよ、如何にも無害そうな奴」
「名前も覚えられないのね、駄犬。あれはティア様のご友人、エイト様よ」
「そう、それだ! お嬢が落ち込むなんざ、見てられねぇ! そんなに心配だってぇなら、今から連れてきて奴に慰めてもら──」
わざと明るく振る舞う
しかし、
「やめて! フレキ!」
それを止めたのは、ティアだった。
「お、お嬢……?」
激情に任せ、叫ぶなど今までのティアからでは考えられない行動。
驚愕し、
静寂な空間。
荒い息、感情は膨らむばかりで収まりがつかない。
そうして遂に、ティアの目尻から一粒の雫が頬を伝う。
「ぼく……今まで隠せてたのに、初めて見せちゃったんです。ぼくの醜い部分を……! 初めての友達に……唯一の友達に!」
「お嬢……」
「嫌だ……失いたくない。今が一番楽しいんです。城にいた時よりも、学園に入学した時よりも……彼に出会ったあの瞬間から!」
例えば、城に心許せる友がいたならばここまで固執する事はなかっただろう。
例えば、入学試験後、ティアの都市伝説じみた噂が広がらなければ、他にも友達ができただろう。
しかしそれは土台無理な話だ。
ティアは
例えばパック・クルセイダー。
彼は鉄山皇国副騎士団長の息子だ。
例えばセキナ・ティックルセント。
彼女はウインドピスタチオの領地たるグリーンアイランドの弓兵団出身だ。
直接領地を守る団の為、王族とも繋がりがある。
皆が皆、ある程度の地位を持つ人間の為、貴族王族の噂話には詳しい。
そして、ティアは試験終わり三日と経たずに孤立した。
噂話を知らなかった者も、入学と同時に知ったからだ。
それ程に、彼らの情報網は音速だ。
一人が呟いた事でも、一日経てば半分の人間が知っている程、拡散が速い。
だから──彼、エイトだけは例外だった。
「このままじゃあダメです。レイの言葉で、エイトくんに何か疑いでも持たれて、少しでも調べられてしまったら! きっと、優しいエイトくんはぼくを許さない……! ぼくの秘密を知ったなら、きっと全部全部壊れちゃう!」
頭を抱え、金の髪を掻き毟る。
幼い顔を酷く歪ませて、脳内に沸き起こる最悪の展開に涙は止め処なく溢れて来る。
身体は失う恐怖に
恐怖に心が擦り潰されて、ゆくゆくは紛らわす為に自壊さえ許容してしまう──そう察知した、
「げ……ゲリ?」
「貴方が信じたご友人ではありませぬか。怯えなくても良いのですよ。信じて、また元の日常に戻りましょう?」
優しく呼び掛ける
一瞬の間を置いて、ティアの表情は柔んだ。
「……そうですね。エイトくんが、そんな事で嫌うわけ……ないですよね……へへ」
主人の心に少し余裕が生まれたのを見て、
対する
「でも……やっぱり秘密をバラすのだけは避けなくてはいけません。なんとしてもレイの奴には先に口封じをしておかなくてはいけませんね!」
「あと、今日お見苦しいところを見せたお詫びも、考えなければなりませんね! よーし、やることが沢山ありますよー!」
陰鬱な空間は一転、ティアの活気を取り戻した事でいつもの元気な雰囲気が戻っていた。
楽しげに机に向かい、作戦を練り始めるティア。
二匹は喧嘩するでもなく、主人の背後で嬉しそうに尾を振り、いつまでも静かに見守っていた。
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