第29話 訓練開始

 初めてのシュヘル先生との訓練は初とは思えない程、苛烈なものだった。


「まず……! 生物以外の対象とありますけど、僕自身は例外、です! 僕だけは絵として保存する事ができます!」


「ほぉ」


「そして! 自身を絵に変える行為はストック関係なしに行われます!」


「つまりお前さんの魔法は一応、ストックプラスいちの状態な訳か」


「それと……、僕が絵になっている間お腹は絶対に減りませんし、眠くもなりません!」


「ふーむ、……絵にした時の状態を保存する魔法の機能は果たしているわけだね。絵に変えた瞬間を半永久的に保存するのであれば、その状態のお前さんは一生腹が減らないからな」


「あと──あとは、あと、あ……と! う、うわぁぁっっ!!?」


 こめかみを黒の鉄拳がかする。

 皮膚は裂け、血が滴るのを感じて背筋が凍る。

 訓練でありながら、目の前の練習相手は殺気を纏って殺しに来る。


「あとは、なんだい?」


「え、えっと! えっと! そうです! 形あるものであれば魔術でも僕は絵にして保存出来ます!」


「ほぉ。それが噂の炎の剣が吸い込まれた、という話の真実か。それは攻撃に転用できる」


 シュヘル先生は、己が空間に作り出した黒い岩に腰をかけ、落ち着いてメモを取っている。


 かくいう僕は──


「うぐっ────!?」


「──────」


 先生が作ったという、人形を相手に訓練をしていた。

 ルールは簡単。

 武器は使わず、魔法と体術のみで相手の攻撃を避け続けるだけだ。

 そんな簡単なルールにもかかわらず、難易度は高難度。


 人形は先生によれば生命体を感知して攻撃を繰り出すだけの単調なもの。

 しかしその体術のレベルは道場の師範クラス。

 生命体でないから魔術による強化はないと、たかをくくっていたが、シュヘル先生はそこまで甘くない。

 空間から生み出された黒い粘液を浴びた人形はその拳一つ一つが殺傷能力を持つ、兵器と化した!


 多対一を想定した僕の体術はそんな殺人人形を前にしても充分に通用するものだ。

 高難度とはいえ、あの魔人には程遠い。


「うんうん。動きは悪くない。んじゃ、更にレベルアップと行こう──」


 しかし、その安堵も束の間。

 シュヘル先生がおもむろに指を鳴らせば、人形の瞳が赤く光り──


「ぃぇっ!!? う、腕がっ!?」


 伸縮自在の腕へと変わり、距離をとっても遠距離ロングレンジの拳を突き出してくる。

 腕だけではない。


 伸縮自在の脚が薙ぎ払う。

 伸ばした腕に引き寄せられた身体が、充分な加速を以て肉薄する。


 ──もう避けるのは無理かっ!


 そもそもが達人めいた動きの人形だ。

 そこに魔の力が加わったなら、回避しか許されていない僕ではやられるのも時間の問題だ。


 踏み込む足捌き、正確に人体に攻撃を当ててくるその精度。

 人形とはとても思えない。

 だから、この訓練を達成する為には────魔法が必須となる!


「────」


 意識するのは地面へ絵に変化する自分。

 今までの戦闘でして来た行為を、そのまま実行するだけだ。


 しかし──しかし、出来ない。


 意識を実現させる力が足りない。

 言葉による世界への証明が足りない。


「────き」


 迫る拳。

 回し蹴りを、背後にステップする事で回避した僅かな滞空時間を狙って、伸ばした腕が肉薄する。


 このままでは、地面に着地する前にやられる──!


「刻めっ、思い出ブックめ──」


「刻むなって」


「ぃたっ!? ──あ」


 真横から顔面を襲う衝撃に魔法が中止キャンセルされる。

 おかげで迫る拳への対処は最も最低な、


「がふ────っ!?」


 顔面キャッチで終わりを迎える。


「あばばばばばばばばばっ!!!」


 伸びる拳に延々と吹き飛ばされ、坂を転がるように地面を転がされた。

 身体中痛くて立つ事すら出来ないが、顔面の痛みはそれ以上だ。

 鼻が折れてるかもしれない……。


「情けないな。解言かいごんなしじゃあ、魔法もつかえないか」


「いきなりは無理ですよ! なのにこんな強い相手……まだ師範代の方が優しかった!」


 泣き言を言うようであれだが。

 師範代の鍛錬は優しく厳しく、そして無茶しないものだった。

 だからこそ、幼い僕でも続ける事が出来たし、ここまで身につける事が出来たと思っている。

 一歩間違えれば死ぬような訓練、身につく前に死んでしまったら元も子もない。


「あー? お前さん、舐めたこと言っちゃいけないよ」


 頭皮に痛みを感じた瞬間、眼前にはパイプ煙草を加えたシュヘル先生。

 いつのまに真横まで来ていたのか。

 彼女は僕の髪を乱暴に掴んで引き寄せている。


「私はねぇ、危ない橋を何度も渡って来た。だから知ってる。欲しい物を手に入れるには命をかけなきゃならないことを。

 私はお前さんの魔法の底が知りたいが、この有り様じゃあ、いつまで経っても拝めないままだ。それはごめんだね。だから、お前さんが泣こうが喚こうが、私はやめないよ。そして……」


「ぃたっ!? ……ってあれ?」


 思い切り頬を引っ叩かれたと思えば、身体の痛みが消えていた。

 というより……身体中の傷が消えている?


「死にそうな訓練はさせるが、死なせやしないさ。お前さんの三段魔法サード・マギナ達成、そして戦略の幅を広げる魔法の応用より先に目指すは解言かいごん破棄だ。

 威力、及び効果は薄まる解言かいごん破棄だが、お前さんの魔法にはこれ以上ない、強くなれる技法だろう」


 無茶苦茶な訓練ではあるが、どうやら彼女なりに色々考えてやってくれているらしい。

 師範代とは全くタイプが違う訓練で、僕に合っているのかも判断がつかないけれど。

 ここは師匠たるシュヘル先生に任せても良いのかも知れない。


 にしても彼女の魔法は一体なんだ?


 地下に外部からの干渉を断つ空間を作り出したり、何もない空間から黒い液体を出したり、僕の傷を一瞬で治したりと。

 彼女の方こそ──底が知れない。

 もしかして、僕の魔法の底が知りたいという彼女の願いは、既に自身の底を理解してしまった・・・・・・・・・・から、なのだろうか。


 それはこれから、考えていけば良いか。

 きっとこれからも長い付き合いになるだろうし。


「ま、とりあえず後三体増やしてチャレンジだ。解言かいごん使ったらまた邪魔するから、覚悟して挑まないと次は怪我じゃあ済まないかもねぇ」


「ええっ!! さ、三体も!?」


「お前さん、多対一が専門なんだろ? まぁ、フラム少年のデク人形みたく、同士討ちをするようなヤワな設計はしてないが……これでもっと楽しめるかと思ってね……ふふ」


 指を鳴らし、床から新たに出現する三体の人形。

 微笑するシュヘル先生の顔は、まさしく悪魔の如し。


 僕の事を考えてくれて、訓練を考えてくれているのは分かるけど……分かるけれどもぉ!


「貴方が楽しみたいだけじゃないのかぁぁっっ!!?」


 思わず叫びを上げられない、僕であった。



 ---



「ハァ……つ、疲れたぁ……!」


 腕につけた水晶時計を見ると、八時と浮かび上がる。

 約三時間程度の訓練だったが、その疲労は半端ではない。


 僕は床に崩れ落ちるように寝っ転がった。

 床は適度に冷えていて、火照った身体から熱を奪っていく。

 最後の訓練では傷を負う事はなかったけれど、結局解言かいごん破棄は出来なかった。

 その感覚すらも、掴めていない。


「ほら、少年。お疲れ様だ」


 ガラス瓶が放られる。

 それを身動みじろぎせずにキャッチして、すぐさま口に突っ込み中身を飲み干した。

 ただの水だが、汗を流し渇いた喉を潤すには充分すぎるご褒美だった。


「はぁ……はぁ……、あ、ありがとうございます」


「まぁ、今日は初日だ。出来なかった事を、そこまで悔いる事はないよ」


「……そう、ですね。ありがとうございます」


 シュヘル先生も同様に、僕の真横に座り込んだ。

 相変わらずパイプ煙草の煙を吸って、心地よさそうに吐いている。


「何か質問があれば聞いておくと良い。時間があった方が、私も訓練の内容を深く考えられるからな」


「質問……ですか?」


 考えてみる。

 解言かいごんについては、もう現在進行形で習っているから除外すると、一つ僕自身では解決出来ない事があった事を思い出す。


「これを……見てもらえますか?」


「ん……、コレは?」


 訓練中、使用禁止だった“不滅の本グリモワール・シュヘル”を開き、中のページを見せた。

 そこにあるのは黒い塊の絵。

 何とも判断し難い絵であった。


「僕が十年前に絵として封印した、“闇”です」


「闇……とはまた随分と曖昧だな」


「思い出せないんですよ。それが一体何なのか、封印した経緯すらも……。でも一つだけ言えるのは“闇”は生きているという事です」


「生きている……だと?」


 シュヘル先生は眉をひそめて訊く。

 当たり前だ。

 僕でさえも、しっかりと理解はしていないのだから。


「それを絶対に解放させちゃいけない事はなんとなく分かるんです。でもそれより問題なのは、“闇”は生きているし、それを僕自身だと、僕が本能的に思っている」


「…………」


「そして“闇”は僕より魔法の扱い方を心得ている。二次試験の魔人戦で、彼に乗っ取られて初めて知りました。それがどうにも、気に食わない」


 感覚だけで理解している事を並べる。

 口から出る言葉は止め処ない。

 心に溜まった泥のような不安が、堰をきって溢れていく。


 支離滅裂な不安の羅列を、シュヘル先生は何も言わずに聴いてくれた。


「ご、ごめんなさい。よくわからない事をつらつらと……。

 と、兎に角聞きたいことって言うのはですね。“闇”は形無いものまで絵にして変えたんです」


「ほぉ……?」


「今回“闇”は魔人の殲光牙ザフラを絵に変えました。でも僕は基本的に形あるものしか変えられない。炎の剣、とかは元になる剣の形があるので、絵に変えられるんですけど……。

 光の塊、或いは魔素マナの塊である殲光牙ザフラをどうやって変えるのか、分からないんです」


「ふむ……なるほど。お前さんの悩みは理解した」


 シュヘル先生は楽しそうに頷いている。

 単純に興味のある内容がなかったから黙って訊いていたのかも知れない……。


「その話についてはこちらで少し文献をあたってみよう。変換するタイプの魔法は色々と例があるからな」


「ありがとうございます!」


「となるとまた忙しくなるな」


 立ち上がり、指を鳴らすと空間の光が一斉に消える。


 前も背後も全て闇。

 立っている足場すら闇に覆い尽くされた世界は恐怖以外の何物でも無い。

 スタスタ歩いていくシュヘル先生は、異常にさえ感じられた。

 階段につく、赤インクを垂らしたような灯りだけが道標だ。

 ただ一つの光源に向かって歩いていく。


「私はもう帰るが、お前さんはどうするんだい?」


「どうするとは?」


「初の訓練だ。食堂で飯でも奢ってやろう」


 気前の良い提案に少し驚く。

 シュヘル先生は研究以外には興味関心を持たない人だから、そういう気遣いには無縁だと思っていた。


「なんだその顔は。実は開発中の触手全身洗浄機があってねぇ」


 懐から見せる小さな箱から、確かに触手が蠢いているのを確認した。

 それを使用された時の未来を想像し、身を震わせながら弁解する。


「い、いえっ! そういうのではなく、実はこの後用事がありまして」


「つまらないね。人が折角気を利かせてやったというのに」


 ぶつぶつと文句を言う様は、相当自身でも珍しい行為だと思っていたのだろう。

 しかし先約の用事があるのだ。

 そちらを放棄するわけにもいくまい。


「というよりもう八時過ぎだ。今からどこへ行くんだい?」


「ええ……まぁ、実は訓練場なんですけど。待ち合わせ、してるんです」


 自分でも驚きではあるのだが。

 まさか全く別の目的でその場所に行くとは、夢にも思わなかった。


「ほぉ、して、それは誰だい?」


 意外な食いつきようで、口元に薄笑いを浮かべるシュヘル先生。


 待ち合わせの用件はメールによるものだ。

 僕に来ていたメール二件。

 そのうちの一つはエンエムからのもの。


 僕を訓練場に呼び出した人物は、それこそ意外な人だった。


 誰よりも気高い炎の王女。

 ドラグニル皇国の六王族セクター

 アヤメ・フレイムクラフト。

 何を考えているのか理解出来ない、誰よりも勇者に近い候補生からのお誘いであった。

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